お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

やっと見ることができた月下美人!2007/11/03

月下美人が咲きました
深夜でもなく、無茶な早朝でもなく、午前11時に咲いた姿を見ることができました。
 今日は、休日。
カミさんと二人で見に行きました。
社長さんの話によると、もうひとつは今晩咲くということでした。

シンクロみたいに並んでいる花(?)2007/11/03

5つの花が、シンクロっぽく咲いています。
でも、これは・・・。

花というより、おしべだらけ?2007/11/03

花びらが目立ちません。
おしべだらけですね。

これってメシベ・・・?2007/11/03

この花の名前は・・・。まんなかは実?めしべ?

まぶしい黄色の花です2007/11/03

ひたすら黄色の花でした。

家族の絆_草場家@旧大津陸軍墓地2007/11/03

草場彦輔少将夫妻の墓石
11月3日。本日は休日。
ひさしぶりに、旧大津陸軍墓地の現地に行く。
たとえ、一時間でも行けば、成果はある。
その場で出た疑問は、その場で解決できるからだ。

今日は午前中に行くことにした
これまで午前中に行ったことがないので、文字が鮮明に見える墓碑があるかも知れない。

●家族の絆

大津陸軍墓地で最高位は、草場彦輔少将の墓石。
同じ、草場の姓がついた墓石が、陸軍墓地に接してはいるが、正規の陸軍墓地ではないと思われる領域にある。
場所は、上段の西半分。
ちなみに西半分が将校の墓地である。

上の写真のメインは、草場彦輔少将の墓石ではない。
その左に見えている墓石である。
それが、実は、草場少将の奥さんの墓石なのだ。
この写真は、夫妻の墓石が
ひとつになって写っているのである。 .

草場彦輔妻の墓碑@旧大津陸軍墓地2007/11/03

草場彦輔少将の墓石の近くに身を寄せる妻の墓石
旧大津陸軍墓地で家族の絆を
見ることができます。
一つ前の写真で、
草場彦輔少将の墓石の背後に見えていたのは、
この墓碑です。

草場彦輔の妻、草場栄子さんの墓石。

草場家三柱目の墓碑@旧大津陸軍墓地2007/11/03

草場家の三柱の墓石が見えています@旧大津陸軍墓地
旧大津陸軍墓地には、
戦死した将校とその家族が
隣あわせの墓地で眠っています。

草場家は、草場少将とその妻の墓碑以外に
もう一柱を目にすることができます。

●草場三千雄の墓碑

上の写真を見てください。
真ん中に大きな草場彦少将の墓碑。
その左に西田源吾中佐の墓石。
その左後ろが、草場少将妻の墓石。
この妻の墓石に重なってわずかに見えている墓石があります。それが、草場三千雄の墓石です。

草場三千雄氏の墓碑@旧大津陸軍墓地2007/11/03

草場三千雄の墓石@大津陸軍墓地
旧大津陸軍墓地の上段は、
将校の墓地(Aブロック)と
その家族の墓地(Mブロック)があります。
Mブロックのもっとも西よりにあるのが、
草場三千雄という墓碑名をもつ墓石です。
この方と草場少将との関係は、まだわかりません。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)