お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「旧大津陸軍墓地を考える会」(準備中)の今後について ― 2007/11/27
11月24日に約30名の方が参加していただいて、「旧大津陸軍墓地を見て考え語り合う集い」をしました。いろんな思いで参加されたと思いますし、十分語り合う時間がなかったことが残念でした。
さて今後のことについて書きたいと思います。
24日に語り合った大切な結論は、いろんな立場があるにしても、旧大津陸軍墓地が大切な場所だということです。
奉賛会の方々は「英霊が眠る場所」として、献身的に清掃と保全にあたっていらっしゃいます。その無償の行為は、今後の担い手という問題をもちながらも、継続されていくことでしょう。私も、ときに参加するつもりです。
私がつくろうとしている会は、墓地としての保全ということとともに、墓地の成り立ちやとそこに眠る人たちの生き方の意味を、客観的事実を明らかにしながら、考えようというものです。具体的には、墓地の成り立ちについての資料を探し足して保全すること、墓碑が読み取れる間に、その文言を残す作業などが大切な中身になると思います。
それは、奉賛会のみなさんの活動と重なりながらも、ちがった仕事になると思うのです。
せっかく24日に集まっていただきましたが、墓地について調べた結果をお話するのがせいぜいで、会をつくるというお話は、ほとんど出来ませんでした。いまはじめた作業も、いつまでも一人で続けるという訳にはいかないと思います。
ですから、会そのものを立ち上がるということを主題にして、活動をはじめたいと思います。
できれば、24日に参加していただいた人に案内して、暖かい(笑)室内の会場で感想会を開きながら、お話ができたらと考えています。
私が調べて先日発表した文章は、より正確にして、「旧真田山陸軍墓地とその保全を考える会」に送ります。そういえば、私もこの会の会員にしていただきましたので。
同時に、大津の興味を持っていただける人たちに、見ていただけるように、パンフレットにできないものかと考えています。24日の文は、少し難解な書き方でした。その点を反省して、写真などを入れて、作ってみたいと思います。
さて今後のことについて書きたいと思います。
24日に語り合った大切な結論は、いろんな立場があるにしても、旧大津陸軍墓地が大切な場所だということです。
奉賛会の方々は「英霊が眠る場所」として、献身的に清掃と保全にあたっていらっしゃいます。その無償の行為は、今後の担い手という問題をもちながらも、継続されていくことでしょう。私も、ときに参加するつもりです。
私がつくろうとしている会は、墓地としての保全ということとともに、墓地の成り立ちやとそこに眠る人たちの生き方の意味を、客観的事実を明らかにしながら、考えようというものです。具体的には、墓地の成り立ちについての資料を探し足して保全すること、墓碑が読み取れる間に、その文言を残す作業などが大切な中身になると思います。
それは、奉賛会のみなさんの活動と重なりながらも、ちがった仕事になると思うのです。
せっかく24日に集まっていただきましたが、墓地について調べた結果をお話するのがせいぜいで、会をつくるというお話は、ほとんど出来ませんでした。いまはじめた作業も、いつまでも一人で続けるという訳にはいかないと思います。
ですから、会そのものを立ち上がるということを主題にして、活動をはじめたいと思います。
できれば、24日に参加していただいた人に案内して、暖かい(笑)室内の会場で感想会を開きながら、お話ができたらと考えています。
私が調べて先日発表した文章は、より正確にして、「旧真田山陸軍墓地とその保全を考える会」に送ります。そういえば、私もこの会の会員にしていただきましたので。
同時に、大津の興味を持っていただける人たちに、見ていただけるように、パンフレットにできないものかと考えています。24日の文は、少し難解な書き方でした。その点を反省して、写真などを入れて、作ってみたいと思います。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/11/27/2460845/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。