お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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今日はお休みで、ブログ再開2008/01/22

今朝は真っ先に起きて、ネコと金魚と家族のために食事の用意(といっても、近くのローソンへ食パンを買いに行って、コーヒーをわかす程度)をして、部屋を暖めました。そして、久しぶりに、ブログを書くことにしました。

●感謝の気持ちでいっぱい

ご支援いただいたみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。
残念な結果で申し訳ありませんでした。
票数ではひどい結果だったので、学校や職場に通っている家族に申し訳ないなぁと思いましたが、結果をネタに笑い飛ばしてくれましたので、ほっとしました。

●記者会見の記事を読んで

 今日の新聞で当選された方の記者会見を読みながら、論戦を挑んだことが生きたと思いました。方向転換されたことをうれしく思います。
 ムダをやめて福祉充実。よいことは、だれがやってもいいのです。
 その行方を見定めながら、自分が掲げたことに責任をもつことにしたいと思いました。
 つまり、新庁舎建設をするというならば、住民投票で立ち向かうし、中学校卒業までの医療費の無料化と中学校給食、巡回バスは、会のひとたちと運動をはじめたいと思います。
 景観問題と活性化問題については、このブログで書き続けてきたこともあり、問題提起はできました。しかし、自分として納得する解決策はまだ練れていないと思いました。読もうと思っていた本や他の地域の実践例など調査の途中でしたから。
 小中高と同級生だった沖縄にいる設計事務所のFさんから連絡いただいたことが、今後にむけて、とても刺激となりました。沖縄へは、春になったら、行きたいと思います。

以上を読んで、何のことなのか、さっぱりわからないという方はいらっしゃると思います。
その点について、ひとこと書いておきたいことがあります。

●このブログの今後について

私は、このブログをハンドルネームではじめました。
最後まで、そのつもりでしたが、市長選挙のために実名を公開しました。
すぐ家族の要望もあって、出馬団体のサイトとのリンクを切りました。実名をタイトルにすることもなく、BIN★のままにしておきました。
もともと選挙などの目的でつくったブログではなく、自分と素直に向き合うためのものだからです。
もちろん、書くことには責任はもちますし、問い合わせがあればお答えします。コメントで私の実名を使っていただいてもかまいません。
ただ、BIN★のままでいこうという気持ちに配慮いただければと思います。

旧志賀町の中学校給食を残せという訴えに感謝されました2008/01/22

 関東の人には、当たり前の中学校給食ですけれど、関西では実施率が驚くほど低いのです。
 わが大津市は、志賀中学校(旧志賀町)を除いて、実施していません。これが06年の大津市との合併によって、存続が「当分の間」とされています。
せっかくあるものを合併というだけでなくすのですから、住民が怒るのは当たり前です。なんでも旧大津市に合わせると決めたからといいうのがその理由。
納得できるわけがありません。
 私は旧大津人ですが、やっぱり怒っていて、政策の柱にして、市長選挙のなかで訴えました。全国都道府県の実施率をビラにして配布したら(滋賀県は47中43位!)、さっそくいろんな反応がありました。
 旧志賀町の方々は、「旧志賀町のよい施策は残せ」と住民運動でがんばってこられましたが、大津市になり広大になったために、旧志賀町の中学校給食(自校方式で。小学校も自校方式にもどしてほしいというのも要求)を残すという要求が、旧大津市民に理解されず、そのため運動が広がらないのを懸念していたのです。
 市長選挙の結果が出たあと、旧志賀町の中学校給食を残す運動をしてこられた方に出会いました。
 私は「力不足で結果が出せずに申し訳ない」と謝りましたが、逆に感謝されました。
 「これで大津市全体に中学校給食の問題が広がった」というのがその理由。私は、運動のために、役立ったことをうれしく思います。
「感謝は半分、残りは実現してから」といわれました。
 もちろん、そのつもりですから、ご安心を。

沖縄のFさんへ 平和記念資料館にて2008/01/22

沖縄で活躍中のFさんへ

連絡いただきまして、
ありがとうございます。
「同級生の」と事務所でいわれて
ピンときました。

これは、2002年3月に
長男のK君の卒業記念に
沖縄に行ったときに、
平和記念資料館前で撮った写真です。
入館できず、手持ち無沙汰となり
後ろ手を組んでいるところを
撮られてしまいました(笑)。

私が最初に沖縄に行ったのは、
県民集会が行われた
1995年のことです。
問題が起きたことを契機に、
議員団に随行して訪問して、
県や町の当局者の方と懇談をしました。

二度目が、この旅行でした。
ともに、平和祈念資料館に行ったのですが、
家族といっしょに行ったときは、
運悪く(私の曜日の設定が悪く)、
閉館日でしたので、
入ることができませんでした。
仕方なく、平和の礎を眺め、
公園を散歩してすごしました。
あいにくの雨でしたので、
家族には気の毒なことをしました。

Fさんがこの祈念資料館の設計に
かかわっていおられたことを
誇りに思っています。

私のブログには、ともに過ごした
大津市の風景が多数載っています。
大津に戻られる機会が少ないのなら、
見ていただけたらと思います。

今日は、一日休日にしていただきました。
午前中に、チェリストのヨーヨー・マの
Inspired by Bachというシリーズの
映像作品を見ました。
バッハの無伴奏チェロ・ソナタは、
全部で6つの組曲から成っていますが、
それぞれに異なる芸術家との共同作業を
演奏とともに、映像化しています。
第一番は、自然を連想させる曲ということで、
「ミュージカル・ガーデン」を100万ドルの
寄付をつのって、友人の造園家と共同で
造るというコンセプト。
音楽を庭という形にする作業は、音楽への
感性、それを形にする創造的な設計能力と
資金調達、つまり現実化する企業家としての
能力が求められます。
一度破局しながら、実現されていくプロセス
はとても興味深く、「不可能を可能にする」と
いう言葉どおりの仕事でした。
私は、都市を設計するのも、これ以上に
創造的で、また「不可能を可能にする」
プロセスのように思います。
とても、やりがいがあることですから、
やってみたいと思いました。

そういうお話ができたら、いいですね。

お元気で今後もよいお仕事をしてください。
お会いすることを楽しみにしています。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)