お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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商店街のにぎわいをとりもどせ2008/02/01

大津市の石山商店街
大津市の石山商店街を
杉浦智子市議会議員と
ふたりで歩きました。

冬の平日(木曜日)のお昼前
人通りのない歩道が
長く続いていました。

自分の高校生のとき、
この商店街のにぎわいを
覚えています。
配達のアルバイトをしていましたが、
普通のお店が2~3人の高校生を
雇うぐらいの活気があったのです。

いまや商店街に空き店舗が生まれ
そこにマンションがつぎつぎと
建設されています。

商店街の様相が劇的に
変わろうとしています。

商店街の真ん中に巨大なマンションがつぎつぎと2008/02/01

上のマンションは商店街に面して
建てられました。
これにつづいて次々と
建設されていっています。

「商店街に空きができると、
たちまち、そこは買われて、
マンションが建てられる」

「最初は、マンションが建つと、
お客が増えるといわれて、
期待したけれど、逆だった。
若い人は、こなくなる一方」

古くからお店を営んでいる
方にお話をきくとこういうこと
でした。

「おまけに、突風が
すごい。屋根がはがされ
そうになったので補修した。」

商店街にまた空き地が2008/02/01

これは、郊外を写したのではありません。
商店街のなかに生まれている空き地です。
すっかり整地されて、マンションの
建設がいまにも始まりそうでした。

石山商店街は、JR石山駅と京阪石山駅
に接している商店街です。
通勤の便利さでは一等地。
そのために、商店がなくなると、
その土地は売れなくなるどころか、
マンション建設にとっては、
願ってもみないようなありがたい
用地となるのです。

中心店舗からもお客が奪われる2008/02/01

石山商店街の中核をなすのが平和堂。
ところが、マンションは建設されても、
お客は車で郊外の大型店へ。

数年前は、自転車であふれていた
この駐輪場も、余裕で止めることが
できるようになってしまったのです。

商店街を大切にしないまちは、
やがて、人が住めなくなるまちに
なってしまいます。

車に依存した社会が
変わろうとしているときに。

ビル風から、居住環境をまもることはできるのか?2008/02/01

ビル風が気になる
マンションの住人から、ビル風のすさまじさを
聞いています。
残念ながら、私は、それを身近で経験していません。

となりに巨大マンションができるときいて、
既存のマンションに住む人たちが反対運動。
ビル風のすさまじさが反対の理由のひとつ
に挙げられています。

ところが、マンション建設をすすめる業者からは
いっしゅうされてしまったといいます。

ビル風から、居住環境を守る基準は
ないのでしょうか?

上の写真は、反対運動をされている
マンションではありません。
商店街に建てられているマンションを
写したものです。

★ビル風で調べるといろいろでてきますね。
剥離流
吹き降ろし
逆流
谷間風
開口部風
ピロティー風
街路風
吹き上げ

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)