お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
岡義武 『山県有朋 -明治日本の象徴-』(1958年) ― 2008/02/09
岡義武『山県有朋 -明治日本の象徴-』(岩波新書)は、1958年に初版ができて、2007年に第26刷が出ました。
私は、昨年に新しく買い換えたのです。
さて、この本の扉には、つぎのように書かれています。
『幕末に尊攘派志士、日本陸軍の建設者・大御所として、また総理大臣・元老として政界に君臨した山県の姿こそ、戦前における天皇制的な「政治的人間」の一典型である。「閥族・官僚・軍国主義の権化」として憎まれ、怖れられたこの軍人政治家の生涯の照らし出す日本近代史の過程と構造は、現代政治の課題に今なお深くつながるものである。』
これを読むだけで、うんざりきそうです。
もっとも嫌いなタイプといえます。
この本の最後の章は、「九 晩年とその死」です。
そこには、国葬であるにもかかわらず、きわめて淋しい葬式となったことをとらえて、つぎのように書かれています。
『彼は終始民衆から遊離していたところの存在であった。彼から見捨てられていた民衆は、それ故、また彼を見捨てていた。そして、彼の死に対しても冷ややかであり、無関心であったのである。』
旧日本陸軍のことを知りたいので、読破することにします。
私は、昨年に新しく買い換えたのです。
さて、この本の扉には、つぎのように書かれています。
『幕末に尊攘派志士、日本陸軍の建設者・大御所として、また総理大臣・元老として政界に君臨した山県の姿こそ、戦前における天皇制的な「政治的人間」の一典型である。「閥族・官僚・軍国主義の権化」として憎まれ、怖れられたこの軍人政治家の生涯の照らし出す日本近代史の過程と構造は、現代政治の課題に今なお深くつながるものである。』
これを読むだけで、うんざりきそうです。
もっとも嫌いなタイプといえます。
この本の最後の章は、「九 晩年とその死」です。
そこには、国葬であるにもかかわらず、きわめて淋しい葬式となったことをとらえて、つぎのように書かれています。
『彼は終始民衆から遊離していたところの存在であった。彼から見捨てられていた民衆は、それ故、また彼を見捨てていた。そして、彼の死に対しても冷ややかであり、無関心であったのである。』
旧日本陸軍のことを知りたいので、読破することにします。
土曜日はやっぱり雪になりましたね ― 2008/02/09
滋賀県大津市発。午前11時58分。
天気予報どおり、雪になりました。
どうも、土日に雪が降ることが多くないでしょうか?
先週も日曜日が雪でした。
天気予報どおり、雪になりました。
どうも、土日に雪が降ることが多くないでしょうか?
先週も日曜日が雪でした。
「高杉晋作」の文字@旧大津陸軍墓地 ― 2008/02/09
雪はしんしんと降り続いています ― 2008/02/09
コーヒー・ブレイク ― 2008/02/09
午後6時すぎに事務所を出て家にむかう。
幹線道路は渋滞だが、一歩町中の生活道路を
通ると、車にほとんど出会うことなく、
自宅に到着した。
それから、長靴に履き替えて、
しばらく、まちを歩いた。
幹線道路は、相変わらず渋滞。
逢坂山を越えて、京都に向かう道は
車が動かない。
ゆうゆうと道路を横断して、
旧市街へ。
旧いまちを歩くと、家の入り口の雪かきを
している高齢者が目立つ。
朝凍結したとき危ないから、夕方のうちに
片付けておこうとしているのだ。
狭い道のよこに、雪だるまを見つける。
朝から降った雪が
それだけ多かったということ。
明日の朝、道の凍結が心配。
水道もすこしだけど、流しっぱなしに
しておかないと。
みなさんのところはどうですか?
仰木の里「3点セット」 ― 2008/02/09
もう先月のことになります。
仰木の里でもちつき大会がありました。
たいへん楽しい集まりでしたが、そのときに
仰木の里(学区)の3点セットという問題が
あると言われていました。
具体的には、
①ワコーの突然の閉店問題。
歩いて買い物ができるまちをどうつくるか、
バス路線をどう充実させるか
・・などに発展する問題
②バイパス無料化にともなう騒音問題、
バイパス料金が無料になったので、
トラックが昼夜を問わず通過し、
すさまじい騒音がでる。
③大津市が中核市以降にともなう
動物保護管理施設計画が
仰木の里団地の中にある。
現在、署名運動をされているそうです。
なお、その集会で、
障害者自立支援法の欠陥について、
訴えられている姿も印象的でした。
私も問題の解決のために、力をつくしたいと思います。
仰木の里でもちつき大会がありました。
たいへん楽しい集まりでしたが、そのときに
仰木の里(学区)の3点セットという問題が
あると言われていました。
具体的には、
①ワコーの突然の閉店問題。
歩いて買い物ができるまちをどうつくるか、
バス路線をどう充実させるか
・・などに発展する問題
②バイパス無料化にともなう騒音問題、
バイパス料金が無料になったので、
トラックが昼夜を問わず通過し、
すさまじい騒音がでる。
③大津市が中核市以降にともなう
動物保護管理施設計画が
仰木の里団地の中にある。
現在、署名運動をされているそうです。
なお、その集会で、
障害者自立支援法の欠陥について、
訴えられている姿も印象的でした。
私も問題の解決のために、力をつくしたいと思います。
サンソン・フランソワ 『ショパン バラード&スケルツォ』 ― 2008/02/09
サンソン・フランソワさんのショパン。
10枚組のボックスを探し出しました。
すでに聴いたことがあるのは別にして、
まず、バラードとスケルツォが入っている
CDから聴くことにしました。
かなり自由に、きままに弾かれている
気がしました。
少々、荒くないですか
フランソワさん?
それが面白くて、
8曲全部、
聴きとおすことができました。
少し、録音上の雑音が気になりました。
フォルティッシモで音が割れるような。
10枚組のボックスを探し出しました。
すでに聴いたことがあるのは別にして、
まず、バラードとスケルツォが入っている
CDから聴くことにしました。
かなり自由に、きままに弾かれている
気がしました。
少々、荒くないですか
フランソワさん?
それが面白くて、
8曲全部、
聴きとおすことができました。
少し、録音上の雑音が気になりました。
フォルティッシモで音が割れるような。
スビャトスラフ・リヒテル BBCL 4090-2 ― 2008/02/09
日記のタイトルは、CDのIDです。
スビャトスラフ・リヒテルが演奏する
ショパンのノクターン作品72-1(遺作)が
聴きたくて、このCDを取り出しました。
二枚組ですので、CD1から順番に
聞いてみようと、冒頭のハイドンから入りました。
ハイドンのピアノ・ソナタ第37番の
つぎが、上のショパン。
そこで満足していたら、
三曲目のベートーヴェンのソナタが
始まってしまいました。
あまり思いいれがない
ピアノ・ソナタ第11番。
・・・ですが、
これがよかったのです。
演奏のせいでしょうか?
あたたかくて、変に慰められてしまいました。
ベートーヴェンというのは、常に前向き。
凛として姿勢の音楽だからですね、
・・・きっと。
ちなみに、1967年と68年のライヴ録音です。
スビャトスラフ・リヒテルが演奏する
ショパンのノクターン作品72-1(遺作)が
聴きたくて、このCDを取り出しました。
二枚組ですので、CD1から順番に
聞いてみようと、冒頭のハイドンから入りました。
ハイドンのピアノ・ソナタ第37番の
つぎが、上のショパン。
そこで満足していたら、
三曲目のベートーヴェンのソナタが
始まってしまいました。
あまり思いいれがない
ピアノ・ソナタ第11番。
・・・ですが、
これがよかったのです。
演奏のせいでしょうか?
あたたかくて、変に慰められてしまいました。
ベートーヴェンというのは、常に前向き。
凛として姿勢の音楽だからですね、
・・・きっと。
ちなみに、1967年と68年のライヴ録音です。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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