お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「中心市街地活性化」というなら、オープンカフェは、中心街にひらくんじゃないの? ― 2008/02/27
「大津市中心市街地活性化協議会」の設立総会が、この2月8日(金)に、明日都浜大津でありました。
自由に参加できる催しだったのでしょうか?それなら、私も積極的に参加して、ブログではなく、直接意見を言えばよかったのですね。
それはともかく、ネットに議事録が公開されていますので、拝見しました。
そこに「オープンカフェ」という言葉が見えます。
これに関心があったので、読みました。ごく短い部分ですので、引用します。
オープンカフェが計画されている場所は、「大津港とレストランヴェルツブルグ」と書かれていますが、それじゃあ、湖岸に帯状に伸びる「なぎさ公園」の中ということになります。つまり、市街地から離れた埋立地なのです。
中心街の歩道で実施してこそ、中心市街地活性化になるんじゃないでしょうか?オープンカフェって、そもそも、パリのシャンゼリゼ通りのイメージじゃないでしょうか。
確かに、なぎさ公園は、琵琶湖に面しているし、ここに(上の写真など)カフェができたら、ステキかも知れません。
でも、それって当初の目的とはずれませんか?
道路交通法上の制約はあっても、改善の見通しも出ているのですから、中心市街地で実施するように努力すべきだと思いますが、いかがですか?
以下のサイトが参考になりました。
オープンカフェ-公共空間の有効活用による都心の活性化にむけて 井沢 知旦
オープンカフェの景 公共空間活用の現状分析と提案
自由に参加できる催しだったのでしょうか?それなら、私も積極的に参加して、ブログではなく、直接意見を言えばよかったのですね。
それはともかく、ネットに議事録が公開されていますので、拝見しました。
そこに「オープンカフェ」という言葉が見えます。
これに関心があったので、読みました。ごく短い部分ですので、引用します。
・大津港周辺未利用地活用事業とあるが、琵琶湖周辺に建物を立てる場合には景観等に配慮する必要がある。また、オープンカフェの立地はほんとうにあの場所でよいのか。人が来るのか危機感を持っている。
・大津港周辺未利用地については、以前市役所移転の話があったのが現在はその動きは凍結されている。オープンカフェは、立地としては大津港とレストランヴュルツブルグの中間点にあり適当であると考えている。経営が成立するかどうかはまちづくり会社で検討することになる。
オープンカフェが計画されている場所は、「大津港とレストランヴェルツブルグ」と書かれていますが、それじゃあ、湖岸に帯状に伸びる「なぎさ公園」の中ということになります。つまり、市街地から離れた埋立地なのです。
中心街の歩道で実施してこそ、中心市街地活性化になるんじゃないでしょうか?オープンカフェって、そもそも、パリのシャンゼリゼ通りのイメージじゃないでしょうか。
確かに、なぎさ公園は、琵琶湖に面しているし、ここに(上の写真など)カフェができたら、ステキかも知れません。
でも、それって当初の目的とはずれませんか?
道路交通法上の制約はあっても、改善の見通しも出ているのですから、中心市街地で実施するように努力すべきだと思いますが、いかがですか?
以下のサイトが参考になりました。
オープンカフェ-公共空間の有効活用による都心の活性化にむけて 井沢 知旦
オープンカフェの景 公共空間活用の現状分析と提案
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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