お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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檜山幸夫『日清戦争 秘蔵写真が明かす真実』(講談社 1997)2008/04/07

檜山幸夫『日清戦争 秘蔵写真が明かす真実』
 先日図書館で借りた1冊。
 日清戦争を描くという意図は別にすれば、「秘蔵写真が明かす真実」というサブタイトルの出発点は、写真の発見にあります。
 1995年に鎌倉の路上でアルバムが発見されました。そこの含まれていた写真は、オリジナルプリントであり、資料的にきわめて価値が高いと鑑定されました。
 私は、この本ではじめて、日清戦争の清国俘虜の姿や兵站病院の姿を見ることができました。

●大津市と日清戦争

 このブログで紹介してるとおり、大津市には、1877年から旧大津陸軍墓地(当初は第四鎮台第九連隊の大津営所附埋葬地)があり、そのなかに日清戦争に出征した将校、下士官、兵卒の墓碑が200基以上存在します。
 そのすべてが戦死ではなく、病死です。
 旧真田山陸軍墓地では、はっきり病死した病院名(たとえば「海城舎営病院」とか)が刻まれていますが、旧大津陸軍墓地の墓碑には、地名しかありません。
 日清戦争の記念碑は、大津市で私の知る限り、藤尾学区の蝉丸神社に1基あります。

姫路城内のサクラ2008/04/07

姫路城内は人もサクラも満開
4月6日の日曜日。暖かい日差し。花見の絶好の機会です。残念ながら、私は仕事。K君と私のカメラをつれてカミさんは姫路城へ出かけました。
姫路城はサクラが満開。人もいっぱい。

こんな色合いの和菓子がありましたね、そのモデル?2008/04/07

つばき?色が新鮮でおいしそう(笑)
 つばき・・・ですかねぇ。こんな色合いの和菓子がありませんでしたか?そのオリジナルがこっちなのでしょうか。

つぼみと花2008/04/07

つぼみと花
つぼみと花を比べると、つぼみの赤みが消えていくことが残念に思います。

すべてはこの張り紙から始まった(2007年2月13日ワコー倒産)2008/04/07

ワコー倒産(閉店)を伝える張り紙(2007年2月)
2007年2月13日に、突然、この張り紙が現れました。
大津市の生鮮食料品のチェーン店・ワコーが倒産。

全体で8店舗が開店していました。
 私が調べたところでは、現在、つぎのようになっています(間違いがあれば訂正しますので、ご指摘お願いします)。

フードマーケットワコー 仰木の里店
   大津市仰木の里7丁目1-15
  閉店中

●フードマーケットワコー 大津店
   大津市馬場2丁目6-10
  経営主体が変わって営業中

●フードマーケットワコー 国分店
   大津市国分1丁目34-45
   経営主体が変わって営業中

●フードマーケットワコー 神領店
   大津市神領3丁目8-5
   経営主体が変わって営業中

フードマーケットワコー 田上店
   大津市黒津2丁目19-8
   閉店中

フードマーケットワコー 本部
   大津市大平1丁目7-18
   閉店中

フードマーケットワコー 真野店
   大津市真野5丁目36-6
   閉店中

フードマーケットワコー もみじが丘店
   大津市里6丁目20-1
   閉店中

イオンの住民説明会2008/04/07

 「イオンモール出店反対とまちづくりを考える会」事務局から4月2日に『対策会議のご案内』が届きました。そのなかで、イオンの住民説明会の模様がレポートされていたので、伝えることにします。

(3月)29日、30日、31日とイオンの大店立地法にもとづく住民説明会が行われました。29日の(草津市)新浜会館は分かりませんが、30日の草津市民交流プラザは30人ぐらいで、(イオンモール開店による)深夜営業の青少年への影響や交通渋滞問題が質問として出ました。(草津市の石坂・前市議が参加)
 31日の(大津市)瀬田北公民館は会場一杯で50人以上の方が参加され、殿田自治会の人を中心に一杯質問や意見がでて、終了8時30分が9時30分になるほど白熱?した説明会になりました。おもに交通渋滞問題が中心でした。
 イオンは、「法的説明会はこれで終わるが、単なる説明会ならいく」と回答していましたし、「開店後の交通量調査にフォレオ(大津一里山店=新たに開業する大型店舗)は入れていない」、「1号線への渋滞は知っている。誘導を広報するが効果はわからない」などと回答していました。

 これらを受けて行われる4月15日の対策会議には、私も出席するつもりです。問い合わせ先=「イオン出店反対とまちづくりを考える会」(電話077-525-7360、FAX077-524-1519、〒520-0041大津市浜町9-28)。もしくは、私にメールください。

*はじめての方に
 2007年11月30日から、「これ以上の大型店の郊外出店は既存の市街地を一層衰退させる」として新まちづくり3法が施行され、「郊外へ1万㎡を越える大型店の出店は禁止」になりました。ところが琵琶湖の南では、守山わんわん王国跡地に「琵琶湖・守山リゾートSC」が、大津瀬田ヤンマー跡地に「フォレオ大津一里山店」が、草津市新浜に「イオンモール草津店」が駆け込み出店をしています。
 ちなみに、問題となっているイオンモール草津店は西日本最大規模で、敷地面積=167,000㎡、売場面積=60,000㎡。駐車場は、4,330台。

ウィルソン株のハート形@屋久島2008/04/07

ウィルソン株のハート形
 縄文杉をめざす旅の途中に出会うのが、巨大な切り株。ウィルソン株です。
 ウィルソン株の内部のある地点から。空を見上げれば、ハートの形にみえます。その場所を確保するのに順番待ち。水がたまっている場所をよけて、窮屈に見上げて撮影します。
 とくにハート形にこだわることはないのですが、みなさんが並んでいるので、つい・・・。

ウィルソン株について詳しくは、屋久島WEB

ウィルソン株のハート形(フラッシュ・ヴァージョン)@屋久島2008/04/07

ウィルソン株のハート形・フラッシュヴァージョン
屋久島杉の森の中。ウィルソン株の内部から外を写しました。ある場所から空を見上げれば、ハート形に見えるのです。これは、フラッシュを使って撮影したヴァージョン。屋久杉の株の内部であることがわかりますね。

サクラの木@夜雨2008/04/07

サクラの木@夜雨
 今日は一日雨。仕事場から外にでる機会もなく、カメラは暇そうでした。午後6時過ぎに、少しの間、休憩する時間ができました。外は暗く、雨が降り続いていました。
 でも、そういうときに写真を撮ったことがないことに気がつきました。フラッシュはあるし、近くなら花もしっかり写るはず。
 まずは、サクラの木。
 昼間とちがいフラッシュの届く範囲が妙に明るく写ります。それも面白いはず。実際の写真を見れば、海を連想します。海底で光が届く範囲だけが写り、そこには、岩にびっしりこびりついた白い貝殻・・・そんな風に見えませんか?

サクラの花@夜雨2008/04/07

雨に濡れた夜桜
 夜雨で濡れるサクラの花。寒々とした白です。
要するに濡れた夜桜・・・なのであって、平凡な写真になってしまいますね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)