お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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著名ブロガーの死@米国2008/04/11

4月10日のJ-CASTニュースを見ていたら、つぎの記事がありました。

米国で著名ブロガーの死亡が相次ぎ、「デジタル時代の労働搾取」と話題になっている。ブログがメディアに匹敵する存在に成長、24時間労働を強いられているケースも多い。日本国内でも「ドクターストップ」が出た著名ブロガーもいる。今やブログ運営はハードワークなのだ。

 お気軽にブログを書いている私には、ブロガーの死は衝撃的な事実です。ただネットが人間を過労に導く吸引力をもっているのは、わかります。ネットゲームがそうですから。自分でブログを書きながら、ついついのめりこむ危険があるのも感じています。
 そういう世界ですから、過労死するのは自己規制をきかせるほかはないのです。たとえ、それが仕事としても。

 実は、私がより大きな衝撃をうけたのは、「ブログがメディアに匹敵する存在に成長」という点です。
 私が思い当たるのは、新聞社のHPよりも、記者が個人的に(?)運営するブログが興味深くて読み応えがあるということです。
 こういうもののことをさして「ブログがメディアに匹敵」といっているのでしょうか。それなら、少しはイメージがつかめます。

 でも、私自身についていえば、ごらんのとおり、ブログはお粗末です。
   オリジナルな情報を発信しているというよりも、好き勝手に写真を撮って載せているにすぎません。そこに写るものについて付加価値をつけて日記にするということをしていません。
 浅はかにも、ブログってその程度のものだと思っているからなのです。
  しかし、上の記事を読んで、ブログの価値と可能性を生かせるようには、なりたいと思いました。過労死はしたくありません。でも、ブログのもつ可能性を自分で実感したいとは思いました。

サクラは散って2008/04/11

地面をおおう名残のピンク
すべてのサクラが散ってはいません。
まだこれからという木もあります。
しかし、近くの公園のサクラは盛りをすぎ、
緑の葉が目立つようになりました。
ブログでも、ゴミの山のように
サクラの花があつめられている写真を
見るようになりました。

散ってしまってなお、地面をピンクに
覆っている姿は、名残惜しさを
漂わせているようにも思えるし、
最後まで目を楽しませようという
姿にも見えます。

先日隣家のサクラをじっと見ていたら、
先輩のN氏がいいました。
「あのサクラの枝が気になっていたが、
 その理由がわかった。映画や。」

なんでも、その映画は、特攻機にのって
最後の出撃にでる若者に、少女が
サクラの枝を折って、渡すシーンがあり。
それが心に残っているからだそうです。

私は、「またサクラか」と思ってしまいました。
この映画でどういう意味で使われていたかは、
知りません。しかし、サクラは、あの戦争のとき、
潔く散るたとえとして使われたと聞いています。
サクラに戦争の記憶がまとわりついて
離れないことが、たまらないのです。

命を散らせることを美化してはだめなのです。
戦争で散るよりも、戦争をやめさせることに
なぜ命をかけなかったのかと悔やんで
死んでいく若者を描いたという映画がありました。
「きけ、わだつみのこえ」。
モノクロームで雨のように劣化した画面を通して、
伝わってくるメッセージは、「生きたい!」でした。

サクラの花は散っても、木の命はつづいていきます。
緑の葉が伸びて、木を覆い、
夏にはよい日陰ができます。
一年中楽しませてくれる木として大切に。

からし菜体験2008/04/11

からし菜
昨晩、帰宅したのは午後9時まえでした。
ちょうど家族が食事をはじめようとしていました。
ひとりの夕食にならずにすんだことはうれしいこと。

皿の上にのっていた生野菜が見慣れないものでした。
「まぁ食べて。味でなにかわかる?」と
カミさんがいっています。

とげっぽい姿だと思いましたが、気にせず
何枚もおいしそうに食べました。
平気な顔で食べていると、
家族はけげんそうにしています。

K君は、「お父さんは、やせ我慢をしているんや」
とまで言う始末。
私は「(????)」状態。
そうするうちに、”当たり”が出て
・・・ガツンと来ました、鼻の奥に。

「ねぇ、なにかわかる?」
「わさび?」
「からし菜。産直野菜に入っていたレアもの。  ナマで食べるって書いてあるよ。」

レアかどうか知りませんが、忘れられない味です。

(後期高齢者医療制度)「長寿医療制度ではなく『はよ死ね保険』に名称を変えろ」2008/04/11

●「長寿医療制度ではなく『はよ死ね保険』に名称を変えろ」

 4月1日から、「後期高齢者医療制度」から「長寿医療制度」と名前を変えた医療制度が開始されました。当初からの混乱。制度が知らされていない、保険証が届いていない・・・。ネットでも、不祥事がたくさん報道されています。
 実施が決まってから、問題点を指摘する報道が目立ちますが、問題点は当初からはっきりしていたのですから、やめさせるべきだという世論をつくるのが公正な(つまり国民の立場にたった)報道ではないかと思います。
 ネットでは、「後期高齢者医療制度」と「長寿医療制度」と”どちらがわかりやすいですか”という投票をしています。途中経過を見ていると、”どちらもわかりにくい”というものが圧倒的です。
 そもそも、日本語には、「後期高齢者」という言葉がありません。制度としても、75歳から医療内容を差別するような発想は、他国には見ることができません。それだけ、恣意的な制度であり、そのためにつくりだされた名称なのです。わかりにくいのは当たり前。
 内容から見ても、75歳以上の高齢者が、これまでどおりの医療を受けられる保障がなく、一定以上の医療をうけようとすると医療機関が損をする仕組みになっています。
 その一方で、保険料は年金から問答無用で天引き。まともに年金をはらわないお上が取ることには容赦がないわけですから、怒りの激しさは理解できます。
 厚生労働省は、直前に、「長寿医療制度」に名前を変えました。
 わかりにくいという反発はありますが、制度への不同意の根底にあるのは、高齢者をどこまで差別しいじめぬくのかという怒りだと思います。要するに内容に問題があるのです。道路や空港の建設などにはどんどんムダ使い。米軍にはおもいやり予算。その一方で、国民の命をささえる医療制度は、国の予算をどれだけ削るかに熱心で、挙句の果て、医者や看護師の不足まで招く事態に及んでいます。
 その内容や方向を変えないまま、名前だけを「長寿医療制度」に変える姑息さ。これは、高齢者や国民を愚民と考えてこれぐらいでごまかせるという馬鹿にした行為です。
 それがわかっていても、うまく表現できないのですが、産経新聞の記事のなかにあった上の一言は、見事な刃となって、国のノドもとにつきささるものとなっています。

散り始めたサクラ2008/04/11

サクラの葉と花とのマッチングがいいんでは・・。
 私のまちでは、サクラの季節が過ぎようとしています。
サクラの木を見ても、花がまばらで
緑の葉がいっせいにひろがっています。
 どうして、花と葉の季節がズレるのかは知りません。
サクラにはサクラの事情があるのでしょうね(笑)。

花の裏でわかるタンポポの種類2008/04/11

タンポポは総苞片で見分けるといいますが・・。
蒲公英をタンポポと読むことさえ知りませんでした。
それは、ともかく、タンポポの種類は、
花期に総苞片が反り返っているのが外来種で、
反り返ってないのが在来種ということらしいです。

ところで、これは???

紫の花。マメ科っぽい?2008/04/11

くきから釣り下がっているような花ですね
紫のかわいい花です。
花が真上を向くわけでなく、
真下を向くわけでなく、
わざわざ横を向いているのが不思議です。

「かざぐるま」を思わせる花です2008/04/11

紫の花にまた会いました。
これは、風車か、かざぐるまっぽいですね。

狼川の土手から2008/04/11

狼川の土手から
狼川の土手を歩きました。
そこは自然の花壇です。
春の花がいろいろあります。
青はオオイヌフグリでしたっけ。
黄色はタンポポ。
つくしもありますね。
あとの草はわかりません。

つくしに混じって、キノコまで生えています2008/04/11

春の土手にキノコがありました
花ばかりを見ていたら、
キノコを見つけました。
地味な色と形から、
食用になりそうな気がします。
でも、採りませんでした。
キノコ・・・はやっぱり、怖い。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)