お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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アジサイの色2008/06/01

アジサイは水彩画に似合うきがします
アジサイといえば、いわさきちひろの絵本を思い出します。どの絵だったのか、口では言えないのですけれど。中間色で微妙な色合いの変化があり、水彩画に似合う花ではないでしょうか。

白いアジサイ・・・2008/06/01

白いアジサイ?
これは、アジサイ・・・だと思ってみています。
真っ白ですね。アジサイとちがうのかな?
色のグラデーションはありませんが、
ステキな花だと思います。

アジサイの色はどう変わるのでしょうか?2008/06/01

アジサイ。緑から白へ。
アジサイばかりで申し訳ありません。形といい、色といい、興味を惹かれるのです。花の色は、もともとは緑が出発点なんですね。そこから、開花するにつれて、変化が生まれていきます。徐々に白色に変わっていく姿をあきずに眺めていました。

アジサイ。緑から白、白から青へ。2008/06/01

青色へ変わるアジサイ
アジサイの色の変化は、緑のつぼみは共通。それから、開花するにつれて、白になり、その白の先が青。花の先から変色していくのですねぇ。そして、それぞれの花の時期のちがいがあって、いろんな花があるように見えるのです。
 もっとちがった色のアジサイを探して見ましょう。

え!?これもアジサイなんでしょうか?2008/06/01

変わった形ですが、アジサイなんでしょうか?
アジサイは色も興味深くて飽きませんが、形も、個々の花によって違うのでしょうか。これは・・・アジサイ?なぜ、周囲の花だけが咲いて、しかも白?

ブログを楽しんでいますか?2008/06/01

曇り空、偶然シャッターにモノが当たり撮れた写真
 ブログは、書くほうは、楽しいにちがいありません。よほど差し迫った事情、たとえば業務命令で記事を書かされて盗作さわぎをおこす(どこかのテレビ局のアナウンサーのように)などの場合は、別です。個人でつくるブログで楽しくもないのに書く人はいないと思います。
 でも、追い込まれて書くって場合もあるんでしょうね。
 ブログランキングがあります。あれに熱中すると危険だと思います。多くの人に見てもらいたいと思うのは、自然な気持ちなんですが、それを主な動機(もしくは楽しみ)にすると、視聴率に振り回されるTV局状態になるんじゃないでしょうか。
 少し前に、ブロガーの死が話題になりました。あれは、組織や集団があってはじめてできる情報提供(量的にも質的にも高いもの)を個人でやろうとして、過労死するってケースでしたね。
 そういうブログのプロとしてやるのは、問題外。




 個人ブログの楽しみってなんだろうってことを考えてみたのです。
 書くほうは、まずは、なにをやっても楽しいのです。でも、少し時間がたつと飽きてきます。コメントがないとか、見てもらう機会が少ないとかが気になりだします。自分のなかに、ブログ更新の動機があれば、そんなことは気に留めずに、ドンドン書くことになりますが、見てくれている人を無視するのなら、なんのために発表しているかわからなくなります。自分用のノートという機能でもいいですが、それだけではさびしい。
 私は、ブログの楽しみは、(まったく知らない人との出会いを除けば)「刺激」だと思いました。
 他の人のブログを見に行って、いいなぁと思うのは、「お!」とかいう刺激です。「なんだこれ?」とか、「きれいだなぁ」とか、いう感嘆符がつくのがいいです。
 そして、個人の顔が見えて、ナマの声が聞こえるってことでしょうか。あまり客観的な書き方だと疎遠な気がします。告白っぽいのも中身によりますけれど、なんか教えてやろうという雰囲気のものよりは、よっぽどいいと思いました。
 自分だけの楽しみに書くのですが、きてくれるひとを不快にするようなものは、ダメだと思いました。
 もちろん、これらは、私自分についてもいえることです。
 自分が後で読んでも、刺激されるような、そういうブログを書いてみたいと思っています。思うことができれば、苦労はしません。二つが別物ってことは知っていますが、楽しみながら接近できればいいなぁと思います。

横尾忠則 『コブナ少年』2008/06/01

横尾忠則 『コブナ少年』
 私が思い描く横尾忠則というアーティストのイメージとこの著作『コブナ少年』は、いちじるしく異なるものでした。
 もっと自己主張のつよい原色系の人(どういう意味か不明かも知れませんが)かと思っていたので、その水彩系の生き方(清楚ってこと)とのギャップに驚きました。
 そういう驚きは別として、10代を主題にした本としての魅力がたっぷりつまっていますね。

横尾忠則さんの公式サイト
http://www.tadanoriyokoo.com/

杉浦日向子 『合葬』(ちくま文庫)2008/06/01

杉浦日向子 『合葬』(ちくま文庫)
 杉浦日向子さんのマンガには、切なさがにじむような江戸物があると同時に、より痛切な憤りを感じるようなものがありますね。
 彰義隊を扱った『合葬』は、その最たるものです。
 ご本人は、静かな口調でつぎのように書いています。そして、それがすべてを物語るように思います。
 江戸の風俗万般が葬り去られる瞬間の情景が少しでも画面にあらわれていたら、どんなに良いだろうと思います。

 文庫の表紙は、タイトルにあわせるように黒を基調としています。
 読み終わったとき、10代の若者たちの運命を思い、ため息がもれてきます。「江戸=旧弊もしくは封建的遺物、明治=文明開化」という維新政府の図式とは、まったく別の歴史観がここにあります。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)