お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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黒ネコとSHIN-ICHI FUKUDA『JONGO』と森茉莉と2008/06/02

SHIN-ICHI FUKUDA『JONGO』
 福田新一さんのギターとピアソラが3曲楽しめるCDが、『JONGO』(VICP-228)。もちろん、14曲あるので、ピアソラだけではなけれど、一番気に入ったのは、タンゴ「ブエノスアイレスの冬」
 このCDの表紙に黒ネコがいる。このネコがいるので、つい買ってしまったのだけど、買ってほんとうによかったと思っている。
 昨日、森茉莉『私の美の世界』(新潮文庫)から、適当に気に入りそうな文章を選んで読んでいた。「なんか、ちがうなぁ」と思わないこともなかったけれど、二つの文章は気に入った。ひとつは、「悪魔と黒猫」。もうひとつは、「室生犀星の死」である。
 そもそも、福田新一さんのCDを取り出して聞き始めたのは、この文章を読んだからに他ならない。
 「悪魔と黒猫」はつぎのように結ばれている。
 死ぬ日の午後、寝台の下から私を見て、一声啼いたお前の声は今でも私の胸を掻きむしる。それは母親の死んだ時の記憶よりも切ない。何故ならお前は自分が猫であることも知らず、死というものも知らずにいて、そのために幸福だった。それが最後の日になって、やっぱり何かを感じたらしかったからだ・・・。

 私も昔からネコを人とかわらない気持ちで飼っていて、しかも、その最後を看取ったこともあるので、ぐっとくるものがある。
 他方「室生犀星の死」は、最後まで癌であることを告知しないまま迎えるものとなっていた。
 締めくくるりの文章は、つぎのように書かれている。
 仕方がない。と、マリは想った。敬愛している犀星のために、犀星の一生の最終を、人々に目にものを見せる絶筆を書かせて、光り輝くものにしたかったとしても、それは出来なかったのだ。死と、がっちり噛み合って、燃えながら死ぬ犀星を、人々に見せてやりたかった、なぞといったって、もう何もかもが終わったのだ。
 犀星は死んだ。せめて、最後の荒い呼吸づかいに、禿鷹の死の、烈しい羽音を、聴かせて。

 私も母を癌でなくしている。それが判明してから、数ヶ月におよぶ病院生活をともにすごした。
 森茉莉の死に向かい合う二つの文章に強く共感するものを感じたということである。

ドクダミとムラサキカタバミ2008/06/02

駐車場にてドクダミとムラサキカタバミ
 街中の駐車場は、雑草のよい苗床となってます。これは、ドクダミとムラサキカタバミ。車の陰にたくさん咲いています。
 ところで、7月には、琵琶湖一斉清掃日というのがあって、街中から雑草を一掃するイベントがあります。これは、雑草と勝手に名づけられた草花にとっては、(生えている場所によっては栽培花も)大虐殺イベントでしかありませんね。

ガードレールに紅い花2008/06/02

ガードレールに紅い花
 歩道のガードレールの一角だけに、蔓がまきつき、小さなジャングル状態です。その蔓は、別の植物なのですが、そのなかに目立つ赤色の花が咲いていました。バラなんでしょうか?
 雨の日に撮りました。実際は、もっと濃い赤です。
 使い慣れないカメラなので、接写はうまくいきませんでした。

歩道の並木の陰で2008/06/02

歩道に二輪、黄色い花
歩道の並木。その足元に二輪だけ小さな花が咲いています。ほとんど目立つことがないので、見えてはいるけれど、見て通る人がいるとは思えません。だれが植えたのかわかりませんが、鋭角的な花びらと茶色のグラデーションのかかったストライプ。いいデザインですね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)