お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
つげ義春 『別離』と邂逅 ― 2008/06/04
つげ義春さんの名前もマンガも『ガロ』の時代から知ってはいます。私は興味をもちましたが、近づくことができない気がしていました。心の向きが変わったのは、佐々木昭一郎さんNHKで制作したドラマ『紅い花』(1976年)を見たときからです。
こんな叙情的な世界を描いていたんだと、”再発見”したのです。
それから、ずいぶん年月が過ぎました。
先日、K君の本探しにつきあって、京都三条のブックオフの店内を回っていたときに、『ねじ式』(小学館文庫)と『義男の青春 別離』(新潮文庫)を見つけました。つげ義春のマンガはもう一冊あったのですが、つまらない時代劇だったので買いませんでした(丁寧に見ていないので、ほんとうにそうかは・・・「?」)。
その日は、杉浦日向子のマンガをさがしていたのです。見つからなかったので、なにか心にひっかかりを感じるつげ義春の本を、買ってみることにしたのです。
なにかっていうのは・・・かつて遠かった世界が、いま自分にどう写るのか知りたいと思ったのです。
10代にもならないときに、絵本をたくさん読みました。そのなかで、なんともやりきれない憂鬱を覚えた本があったのです。題名を思い出すことはもうできません。工場が並ぶまち、そこに働く人たち。そこに魔法使いのような人物が登場して、不思議な砂をまいていきます。すると、工場はとまり、休みなく働く人たちは、眠りにつき、つかの間の休息が与えられる・・・。この本は見るとなにか得体の知れない恐怖を感じたものです。それは、自分がこれから入ってゆかなければならない実生活への恐怖のようなものかも知れません。
つげ義春さんのマンガの世界には、希望を感じません。薄っぺらい希望や暖かい人間関係の世界は排除されています。やさしい母親はいても、人情あふれる下町の風景はありません。生活は過酷で、人々はそれぞれ勝手に生きています。伝記的作品から、もどるべき”楽しい幼年時代”が存在しなかったことがわかります。救いは、主人公を通して、作者の繊細で傷つきやすい魂を感じることができることぐらい。
つげ義春のマンガを最初に読んでから、長い年月がたちました。そのなかで、私自身も変わったことを発見しました。『別離』(1987年)の行き場のない世界を、10代とは違って身近に感じることができるようになったからです。
こんな叙情的な世界を描いていたんだと、”再発見”したのです。
それから、ずいぶん年月が過ぎました。
先日、K君の本探しにつきあって、京都三条のブックオフの店内を回っていたときに、『ねじ式』(小学館文庫)と『義男の青春 別離』(新潮文庫)を見つけました。つげ義春のマンガはもう一冊あったのですが、つまらない時代劇だったので買いませんでした(丁寧に見ていないので、ほんとうにそうかは・・・「?」)。
その日は、杉浦日向子のマンガをさがしていたのです。見つからなかったので、なにか心にひっかかりを感じるつげ義春の本を、買ってみることにしたのです。
なにかっていうのは・・・かつて遠かった世界が、いま自分にどう写るのか知りたいと思ったのです。
10代にもならないときに、絵本をたくさん読みました。そのなかで、なんともやりきれない憂鬱を覚えた本があったのです。題名を思い出すことはもうできません。工場が並ぶまち、そこに働く人たち。そこに魔法使いのような人物が登場して、不思議な砂をまいていきます。すると、工場はとまり、休みなく働く人たちは、眠りにつき、つかの間の休息が与えられる・・・。この本は見るとなにか得体の知れない恐怖を感じたものです。それは、自分がこれから入ってゆかなければならない実生活への恐怖のようなものかも知れません。
つげ義春さんのマンガの世界には、希望を感じません。薄っぺらい希望や暖かい人間関係の世界は排除されています。やさしい母親はいても、人情あふれる下町の風景はありません。生活は過酷で、人々はそれぞれ勝手に生きています。伝記的作品から、もどるべき”楽しい幼年時代”が存在しなかったことがわかります。救いは、主人公を通して、作者の繊細で傷つきやすい魂を感じることができることぐらい。
つげ義春のマンガを最初に読んでから、長い年月がたちました。そのなかで、私自身も変わったことを発見しました。『別離』(1987年)の行き場のない世界を、10代とは違って身近に感じることができるようになったからです。
赤いミズバショウなんでしょうか? ― 2008/06/04
ピンクのアジサイ(つぼみ) ― 2008/06/04
ピンクのアジサイ(すこし咲き始め) ― 2008/06/04
「まんがで読破『蟹工船』小林多喜二・作」を読破 ― 2008/06/04
いま空前のブームとなっている小林多喜二『蟹工船』。
先日、カミさんが「まんがで読破」シリーズ(イースト・プレス)を見つけて買ってきた。それを、K君が先に読み、洗濯物の上に放置。私がさっき見つけて読んだばかりである。
ある新聞が夕刊一面で、「悲しきブーム」というタイトルをつけていた。それは、『蟹工船』のブームが、派遣労働などの過酷な現実を苗床にしているという意味である。そういう狭い時事的な小説ではないと私は思っている。
ネットのレビューを見ると、教科書でも取り上げられるほど有名な本ではあるけれど、「プロレタリア文学」という区分が接近の障害となっていたことがわかる。同時に、読破後に読者の印象が確実に変わっているのも特徴だ。20代の青年が命を落としてまで、描き、たたかおうとしていたことを、素直に見つめることが大事ではないだろうか。
このブームはどこに行き着くのだろうか。
先日、カミさんが「まんがで読破」シリーズ(イースト・プレス)を見つけて買ってきた。それを、K君が先に読み、洗濯物の上に放置。私がさっき見つけて読んだばかりである。
ある新聞が夕刊一面で、「悲しきブーム」というタイトルをつけていた。それは、『蟹工船』のブームが、派遣労働などの過酷な現実を苗床にしているという意味である。そういう狭い時事的な小説ではないと私は思っている。
ネットのレビューを見ると、教科書でも取り上げられるほど有名な本ではあるけれど、「プロレタリア文学」という区分が接近の障害となっていたことがわかる。同時に、読破後に読者の印象が確実に変わっているのも特徴だ。20代の青年が命を落としてまで、描き、たたかおうとしていたことを、素直に見つめることが大事ではないだろうか。
このブームはどこに行き着くのだろうか。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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