
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
ボーとした一日に GODZILLA&HERO ― 2008/06/05
6月5日木曜日。今日は平日ですが休日。しかし、やむをえない事情で同僚に代わって夜9時から出勤・・・夜勤になります。こういう日程ですから、朝から外出はやめて、自宅でボーと過ごすことにしました。午後になると、H君が2時限の授業を終えて帰宅する予定(高体連があるのです)ですから、一人静かに過ごせるのは、午前中だけです。
トーストとコーヒーで朝を済ませて、部屋の片付け。疲れているせいか、動作が遅く、ボーとしています。まあ、このスローさが、休日のぜいたくといえば、ぜいたくです。
片付けが終わったので、本でも読もうかと思いましたが、一日は短いので、長編を読みはじめても、終わりません。でも、いつも挑戦しては挫折する小説も面白くなるところまでは読めるかも知れない、などと考えて書棚を物色。プルースト『失われた時を求めて』にしようか、マルティン・デュガール『チボー家の人々』にしようか・・・などと迷っているうちに、H君が11時過ぎに帰宅しました。
昼食をいっしょに食べ始めたころに、ピンポーン。H君のダチのMI君でした。二人は、H君の部屋で、ゲームらしいですね。
私は、食事後、本を読もうと思っていたことも忘れて、DVDを見る気になっていました。
まずハリウッド版『ゴジラ(GODZILLA)』(1998)を見ました。二度以上見たことがあるのに、見始めると、つい最後まで・・・。ビキニ水爆実験(1954)への抗議からはじまった元祖・日本の『ゴジラ』。アメリカの核実験をフランスにそれにすり変えているにしても、原水爆への批判的見地という姿勢を継承しているのも、原作尊重の現われでしょうか。それに、エンターテイメントとして、よくできていますね。巨大なゴジラよりも、生まれたての赤ちゃんゴジラの方が恐怖感があるというものも日本版にないオリジナリティです。”登場人物の掘り下げなんてしたくもありません”と割り切った姿勢(?)も、お気軽に楽しめる要因の一つ。
ああ、面白かった・・・というので、もう一作見ました。
チャン・イーモウ『英雄(HERO)』(2002中国)。これも何度も見たのに、また見てしまいました。象徴的に使われている色彩が印象に残ります。登場人物は極少で、ストーリーはシンプルで芥川龍之介『藪の中』風もしくは黒澤明『羅生門』系。もとより、リアルに世界を描いた作品ではありません。そのメッセージは深く、9・11後の世界でこそ生きるものです。
夕方になってしまいましたので、自分の生家ちかくまで、古いまちなみを歩き、古本屋によって、帰宅しました。1冊だけ買いました。以前、5巻までしかなかった『大江健三郎 全作品』(新潮社)の最終巻(6巻)を見つけたのです。400円也。花の写真は夕方の散歩のときのものです。
帰宅後は、家族のために、夕食を準備・・・こうして、一人の休日が終わりました。
トーストとコーヒーで朝を済ませて、部屋の片付け。疲れているせいか、動作が遅く、ボーとしています。まあ、このスローさが、休日のぜいたくといえば、ぜいたくです。
片付けが終わったので、本でも読もうかと思いましたが、一日は短いので、長編を読みはじめても、終わりません。でも、いつも挑戦しては挫折する小説も面白くなるところまでは読めるかも知れない、などと考えて書棚を物色。プルースト『失われた時を求めて』にしようか、マルティン・デュガール『チボー家の人々』にしようか・・・などと迷っているうちに、H君が11時過ぎに帰宅しました。
昼食をいっしょに食べ始めたころに、ピンポーン。H君のダチのMI君でした。二人は、H君の部屋で、ゲームらしいですね。
私は、食事後、本を読もうと思っていたことも忘れて、DVDを見る気になっていました。
まずハリウッド版『ゴジラ(GODZILLA)』(1998)を見ました。二度以上見たことがあるのに、見始めると、つい最後まで・・・。ビキニ水爆実験(1954)への抗議からはじまった元祖・日本の『ゴジラ』。アメリカの核実験をフランスにそれにすり変えているにしても、原水爆への批判的見地という姿勢を継承しているのも、原作尊重の現われでしょうか。それに、エンターテイメントとして、よくできていますね。巨大なゴジラよりも、生まれたての赤ちゃんゴジラの方が恐怖感があるというものも日本版にないオリジナリティです。”登場人物の掘り下げなんてしたくもありません”と割り切った姿勢(?)も、お気軽に楽しめる要因の一つ。
ああ、面白かった・・・というので、もう一作見ました。
チャン・イーモウ『英雄(HERO)』(2002中国)。これも何度も見たのに、また見てしまいました。象徴的に使われている色彩が印象に残ります。登場人物は極少で、ストーリーはシンプルで芥川龍之介『藪の中』風もしくは黒澤明『羅生門』系。もとより、リアルに世界を描いた作品ではありません。そのメッセージは深く、9・11後の世界でこそ生きるものです。
夕方になってしまいましたので、自分の生家ちかくまで、古いまちなみを歩き、古本屋によって、帰宅しました。1冊だけ買いました。以前、5巻までしかなかった『大江健三郎 全作品』(新潮社)の最終巻(6巻)を見つけたのです。400円也。花の写真は夕方の散歩のときのものです。
帰宅後は、家族のために、夕食を準備・・・こうして、一人の休日が終わりました。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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