お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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生い茂るイタドリの運命2008/06/08

イタドリのトンネル
石垣の上に土手があり、その上にフェンス。そして、校舎。
イタドリは、土手から思いっきり茎を伸ばし、葉を伸ばし、太陽の光を我先に浴びようとしていました。一番下の石垣は隠れ、まるで緑のトンネルでした。その様子が見事だったので、写真を撮りました。
 夕方に同じ場所を通りました・・・。



こうなっていたんですねぇ。
電動草刈機の活躍の結果でした。
7月には、いっせい琵琶湖清掃があります。
いたるところで、雑草が刈られる姿を見ることになります。

豆なのか、葉っぱなのか?2008/06/08

豆なのか、葉っぱなのか?
まちかどに並べられている鉢。
花と並んで、緑の・・・なんなんでしょう、これは?
豆のようですが、葉っぱにも見えるし。

中島みゆき@’70sビデオ(アザミ嬢のララバイ&わかれうた)2008/06/08

 「著作権に問題があるんじゃないか」と思いながら、YouTubeを楽しんでいます。そう思うなら、見なければいいんでしょうけれど(笑)。
 昨晩は、一青窈さんの歌を動画で楽しんでいました。彼女は、CDよりライヴのほうがいいですね。おなじ曲でも、うたうごとに違う面を見せてくれるので、いろいろ見たくなるのです。
 どういうわけか、一青窈を検索したとき「トリビアの泉」が登場。なんだろうと見ると、「もらい泣き」の速度を80%にすると、平井堅の歌声になる(←クリック)というのがあって、実際そのとおりでとても面白い!!専門家の見解も紹介(ふたりとも裏声になる音の高さが同じで、こぶしなどのタイミングも似ている)されていて、しっかりした裏づけがあることも知り「ヘェ」の連続でした。ふたりのソウルフルな歌声はいいですねぇ。(CD買ってこよう)。

 それはともかく、中島みゆきさんの話です。

 彼女が、70年代の「夜のヒットスタジオ」に出演していたことを知りませんでした。初出演(たぶん)のときの映像がアップされていたのです。

これです←クリック

 新人なので、司会のふたりから、尊重されていない様子がありありでした。それに怒ることもなく、照れくさそうに、居所がなさそうにしています。ほぼノーメイク。地味な黒い衣装に、ギター1本だけをもち、足元は素足。おもわず、ちゃんと歌えるんだろうかと思ってしまいました。もてあまし気味に司会者に促されて、スタンバイ。
 ここまでは、ゲド戦記の「テルーの歌」手嶌葵さんとそっくりでした。 (初々しい手嶌さんの場合は、見た目と歌声が一致していました)
 歌は2曲。「アザミ嬢のララバイ」「わかれうた」
 歌いはじめたとき、照れくさそうな、居所のなさそうな女の子はそこにはいませんでした。まぎれもない中島みゆきがそこにいました。歌は、周囲の空気まで一変させるのです。これをリアルタイムで見ても、「ああ、みゆきさんは本物」って思いますよね。

オキザリス2008/06/08

オキザリス
 この花はなにかに似ていると思って、じっと見つめていました。そうそう、カタバミに似ています。写真を撮ったあと、調べてみることにしました。そこで、オキザリスであることがわかったのです。



 上の写真のカタバミ(片喰)は、雑草。つまり、自然に生えるいろいろな草の一つ。生命力があるところから、家を絶やさないようにと家紋になることもあるようですね。雑草ですが、敬意をもって見つめている人がいるわけで、そういうまなざしに私は共感を覚えます。



 上の写真は、ムラサキカタバミ。別名は桔梗カタバミ。似たカタバミに、イモカタバミがあります。
 ムラサキカタバミイモカタバミは、名前はともかく、外見上は似ている様子。区別の方法は、花の色も中央部も薄いのが、ムラサキカタバミ。両方とも濃いのが、イモカタバミ。葯の色は、ムラサキカタバミが白で、イモカタバミが黄色。イモカタバミは名前から想像がつくように、根がちがう。芋状の塊茎らしい。
 イモカタバミは見つけることがまだできていません。
 あと、アカカタバミというのがありますが、このアカ(赤)は花ではなく、葉っぱの色が赤。下の写真ですね。

《なぜ、現代のうば捨て制度と呼ばれるのか? 「後期高齢者医療制度」を考える学習県民集会》(滋賀県社会保障推進協議会)2008/06/08

《なぜ、現代のうば捨て制度と呼ばれるのか? 「後期高齢者医療制度」を考える学習県民集会》
6月8日(日)。大津市民会館小ホールで、時の焦点である後期高齢者医療制度をめぐって、《なぜ、現代のうば捨て制度と呼ばれるのか? 「後期高齢者医療制度」を考える学習県民集会》が開催されました。
 主催は、滋賀県社会保障推進協議会。
 午後1時半から3時半までの予定でしたが、午後4時近くまで集会は延長されていました。私は別の会議があったために、閉会ぎりぎりに到着しました。
 この集会は、そのタイトルからわかるように、後期高齢者医療制度の撤回・中止をもとめ運動をしてきた人たちの主催です。
 わたしが最初にこの制度の重大な内容を知ったのは、2007年のはじめでした。旧志賀町のF医師さんが学習会を開いていただいたのです。そのときは、医療をめぐる焦点は、医師不足・看護師不足(現在も重大事態にかわりはありません)だと思っていました。Fさんに教えていただいて以来、参加の濃い薄いはありましたが、やめさせたいという立場で私は、署名活動などをしてきました。
 そのとき、滋賀県社会保障推進協議会とともに反対の立場で運動に参加していたのは、政党では、(いつものように)共産党だけだったのです。地方議会(県議会、市議会)でも同様でした。
 しかし、この学習県民集会は、様変わりしていたと聞きました。
 国会で廃止のために共闘している国会議員からのメッセージが届いたり、反対の立場の県議会議員が参加するならわかりますが(現実に複数の党派から参加されていました)、推進の中心となっている党派の県議会議員が「発言させてもらいたい」と参加するなどは、前代未聞のことです。
 詳細はあとで参加者から聞きたいとおもいます。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)