お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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清水勲編 『ビゴー日本素描集』(岩波文庫)2008/06/12

清水勲編 『ビゴー日本素描集』(岩波文庫)
 歴史の教科書のなかでも、ビゴーの絵は登場しています。ですから、絵そのものは有名だと思います。しかし、ビゴーとはなにものなのかが知られているとは思えません。
 フルネームは、ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot, 1860年 - 1927年)です。
 『近代日本漫画百選』(清水勲編 岩波文庫)でも、何枚かが登場していました。そういえば、二つの本は、同じ清水勲氏の編集なんですね。
 このビゴーの素描集は、わずか150ページ足らずの短さです。『近代日本漫画百選』と同様に、見開きページの右が解説文、左が絵という構成。
 全体(本編)は、5章から成っていて、「東京・神戸間の鉄道」「兵士の一日」「芸者の一日」「娼婦の一日」「女中の一日」。
 見ての通り、日本女性が多く取り上げられていますが、ビゴーの視野が女性風俗に限定されているわけではありません。
 そうそう、紹介しておきますが、ビゴーはフランス人。イギリスに対してライバル意識をもっていた点が興味深いです。日本滞在は、18年間。自由民権運動などとかかわり、政府からの抑圧の流れが生まれる中で、日本に妻を残して(離婚して)帰国してゆきます。  日英同盟の成立で、条約改正がなり、日本の国際的地位が向上していくのですが、ビゴーはこれを歓迎していません。
 フランス人居留地(他の外国人居留地と同様ですが)は、治外法権の特権下にありました。つまり、日本政府批判をしても、手が出せない安全圏にいるわけです。しかし、条約改正で治外法権がなくなると、日本政府の弾圧がふりかかるのです・・・。自由民権派とつながっていたビゴーには(そしてこの点だけ見れば運動には)都合のいいことではなかったのです。こういう矛盾には気がつきませんでした。

清水勲氏のホームページ←クリック

コメント

_ K ― 2008年06月13日 20時01分24秒

こんにちわ
同じタイミングでビゴーさんのレビューをアップしたとのことで、コメントをいただきびっくりしました!
ビゴー氏はとても興味深い人だと、読めば読むほど思います。こちらの本はまだ未読だったので、是非読んでみようと思います!
ブログもとても面白そうなので、またチェックさせてもらいます♪

_ BIN★→Kさん ― 2008年06月14日 00時40分08秒

そうなんです、同じタイミングでしたね。日、時間、分、秒までいっしょでしたね。新着画像を見ていて、驚きました。ビゴーの本の写真がならんでいるんですから。
今後とも、よろしくお願いします。

_ K ― 2008年06月25日 20時47分09秒

こちらの素描画集、読みました。
こちらも読みごたえありましたね。
続 にはビゴー自身の写真もあり読みごたえありました!

_ BIN★→Kさん ― 2008年06月25日 23時24分29秒

重ねてのコメントありがとうございます。
青春を異国で過ごしたビゴーですが、日本人妻を離婚し、おきざりにしたのは、なにか・・・双方にですが・・・気の毒に思いました。
「続」もあるんですね。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)