お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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モーネコの寝顔2008/06/18

モーネコの寝顔
この寝顔だと心配せずに放置できます。

畑中純 『私の村』(ちくま文庫)に圧倒されました2008/06/18

畑中純 『私の村』
 月曜日。7時30分の会議を7時と誤解。途中で気がつき、向きを変えて、ブックショップで時間をつぶす。杉浦日向子の作品でお気に入りのちくま文庫のコーナーで、畑中純『私の村』を見つける。
 今日、講習。お昼休みに読み見始め、いま読み終わる。
 あけっぴろげで、幻想的で、ナイーヴで、下品で・・・驚くことが多かったけれど、最後まで引っ張っていくパワフルで心に響く作品だと思った。(5月3日に聴いた澤地久枝さんの講演と奇妙に重なる部分もある)
 著者の「あとがき」に著者自身による優れた作品論がある。私が付け加えることができるのは、この魅力的な文章よりもはるかに、マンガのほうが魅力的で猥雑で悲しいということである。
 老いた農夫の収穫の喜び、そしてダムのために売られていく悲しみ・・・ある作品では、二度、「でーきた、できたオコメができた」という叫びを聞くことができる。だが、その二つの叫びの響きのちがいはどうだろう。・・・そこにちょっとしたオチがつけくわわっている。それは、悲しみの物語のなかに見える未来への芽にほかならない。
 著者の「あとがき」は、この作品について次のように述べている。
 私の成すべきは、水と共存した土地を一種のユートピアとして描き出すことだ。もちろんそこは善意と永遠の生命が寝そべった、ふやけた理想郷ではない。人は、お金に転び、嫉妬に狂い、功名につまずき、性欲に走る。書き出せばキリのない様々な悪徳を、だから人間って面白いんだよ、と引き受けて、そしてそれらを消化しながら、より大きな喜びを産みたいと思う。なによりも人間の逞しさに拍手を贈りたい。私もまた収穫祭を祝いたいのだ。そして作品は、つまるところ、リアリズムを身の上とした花も実もある嘘八百でありたいと願っている。(畑中純)

球状に並ぶ小さな花2008/06/18

球状の花
野草は栽培花ほど目立つ色合いや形をもっていないようです。それだけに、目を凝らす楽しみがあります。
上の野草は、(琵琶湖の内湖のような)池の周囲で出会った花。
一点から多数の茎が出ていて、その先に花が咲いています。
一点から、三次元的に散らばって出ているために、
小さな花を一まとまりで見ると、きれいな球形となるのです。

ムラサキカタバミのとなりの花は、なんという花でしょうか?2008/06/18

ムラサキカタバミの隣の紫の花はなに?
ムラサキカタバミを撮ろうとして、紫色の小さな花を見つけました。これはなんという花なんでしょうか。とても、小さい・・・。

花から実への流れを一枚の写真でみることができます2008/06/18

花から実への時の流れを見ることができます
元は黄色い花。そこに、黄色や赤色の実が並んでいてきれいだと思いました。よく観察すると、この写真一枚で、花が咲き、花がちり、花びらが落ち、子房から実ができ、やがて黄色から赤に変わる・・・そんな流れを見て取ることができるのです。なんか面白いですね。

わが家でイヌを飼いたいのですが、飼えるでしょうか?2008/06/18

今、「犬」という言葉に反応してしまいます・・・
 マハさんのブログでイヌをもらってくれる方の募集がありました。息子のH君も、私も飼いたいのです。でも、家族で話し合えば、疑問や不安も出てきます。息子2人とネコさん2匹もいて、しかも共働きですから。だれがめんどうを見るのか。私が責任をもって、散歩に連れて行けるのか。出張などの仕事が集中したときはどうなるのか。深夜しか帰宅できなくなったときはどうなるのか。
 お話にあるのは、大型犬。ラブラドールとゴールデンのハーフ。私はよく知らなかったのですが、H君は知っているらしいです。
 わが家は一戸建ですが、狭い敷地にぎりぎりに3階建。一階の半分は駐車場ですが、残りは部屋。カミさんは、飼うなら室内でといっていあますが、大型犬では無理だし、ネコがかわいそうです。階段ばかりの家では、イヌ自身が大変。
 一番の不安は、旅行です。家族旅行を楽しみにしていて、子ども達の冬休み、春休み、夏休みはどこかに泊りがけで行くことが多いのです。「そんなとき、イヌはどうなるの?」と聞かれたら、私には答えがありません。
 にゃこりんさんの言うように、15年先まで飼ってあげるようにしなければいけません。それは可能?
 早く結論を出さないと、マハさんに迷惑をかけます。より条件のよい貰い手ができれば、それでいいのかも知れませんが。
 そんなことを悩んでいると、いままで気がつかなかった看板が目に付くようになりました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)