
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
梅雨に咲く ― 2008/06/23
晴れのち曇りのち晴れ ― 2008/06/23
膳所公園で、仲のいいカモを見つける。カモはいつも2羽がセットなのだろうか。喧嘩している姿をみかけない。
わが家では、ゴミだしは私の仕事。午前8時前に出して、家に戻ろうとすると、カミさんの車が車庫から出てきた。いまから出勤。私を見つけて、車から笑って手をふっている。私も、手をふったけれど・・・なんかうれしい。
午後6時を過ぎて、車で事務所から移動。会議に向かう。交差点で長い信号待ち、少し前に、見慣れた車がある。仕事中に出会うのははじめて。午前中の笑顔を思い出し、ケータイで電話してみる。「いまどこ?」「仕事の帰り」「交差点?」「そう」「いまひとつ置いて後ろにいる」「・・・?!」「今晩は9時をすぎるんだけど」「・・・ムダな電話をしないでください(ブチッ)」・・・なんか悲しい。
ときどき何故、怒っているのかわからないときがある。共働きなので、どっちかに家事の負担が重くなるとつらくなる。一緒に帰れるという電話なら意味があるけれど、後ろにいるっていうだけで、なんなんと思ったのかもしれない。ここ数日、私が夕食をつくったことはないのだ。
午後9時頃に帰宅。にこにこ笑って、おいしい手料理が出てきた。・・・少し困惑したけれどうれしい。
仕事を終えて、帰宅した時間が一番ホッするとき。今日は、晴れのち曇りのち晴れ。
わが家では、ゴミだしは私の仕事。午前8時前に出して、家に戻ろうとすると、カミさんの車が車庫から出てきた。いまから出勤。私を見つけて、車から笑って手をふっている。私も、手をふったけれど・・・なんかうれしい。
午後6時を過ぎて、車で事務所から移動。会議に向かう。交差点で長い信号待ち、少し前に、見慣れた車がある。仕事中に出会うのははじめて。午前中の笑顔を思い出し、ケータイで電話してみる。「いまどこ?」「仕事の帰り」「交差点?」「そう」「いまひとつ置いて後ろにいる」「・・・?!」「今晩は9時をすぎるんだけど」「・・・ムダな電話をしないでください(ブチッ)」・・・なんか悲しい。
ときどき何故、怒っているのかわからないときがある。共働きなので、どっちかに家事の負担が重くなるとつらくなる。一緒に帰れるという電話なら意味があるけれど、後ろにいるっていうだけで、なんなんと思ったのかもしれない。ここ数日、私が夕食をつくったことはないのだ。
午後9時頃に帰宅。にこにこ笑って、おいしい手料理が出てきた。・・・少し困惑したけれどうれしい。
仕事を終えて、帰宅した時間が一番ホッするとき。今日は、晴れのち曇りのち晴れ。
花が目に入らない日 ― 2008/06/23
先週はとても余裕のない週でした。講演会やシンポジウムだけで、3日間も出かけました。内容も、後期高齢者医療問題、派兵恒久法と軍事費、地球温暖化など焦眉かつヘビーなもの。おまけに、ダム問題、イオンモール出店問題、そして憲法九条の問題などの集まりにもです。
今後ともかかわるのですから、ゆっくりこなせばいいのでしょうけれど、刺激をうけるとすぐに反応してしまうので・・・。
欠かさずしていたお昼のウォーキングも途絶えがち。たとえ、出かけても、花が目に入らず、ほかのことをいろいろ考えながら歩いてしまいます。
だめですね。休憩中まで、ゆとりをなくしちゃあ。
昔々、エディ・マーフィの映画でカルチャー・ショックを受けました。『星の王子様ニューヨークへ行く』ていう映画でも、『ゴールデン・チャイルド』でも、なんでもいいのですが、マーフィが演じる主人公は、ピンチなのに、ジョークを言うのをやめたことがないのです。アメリカ映画ってそういうところがありません?実際のアメリカ人がどうなのかわかりませんが、いつもどこかで冷静っていうか、余裕があるっていうか、いいなって思いましたね。そうそう、ルパン三世みたいなものです。だらしがない性格のくせに、冷厳なまでに合理的。怪奇現象にもパニクらない。
その対極にはいつも真剣さ100%満タンっていうタイプがありますね。旧い日本人好み(最近はそうは思わなくなりましたが)かも知れませんが、実生活では危ういものです。同じ平中物語でも、芥川龍之介が書くよりも、谷崎潤一郎が書くほうがよほどリアルで面白いでしょ。
なにがいいたいのか・・・つまり、花が目に入らない日は、自分も目にはいらない日ってことでした。
今後ともかかわるのですから、ゆっくりこなせばいいのでしょうけれど、刺激をうけるとすぐに反応してしまうので・・・。
欠かさずしていたお昼のウォーキングも途絶えがち。たとえ、出かけても、花が目に入らず、ほかのことをいろいろ考えながら歩いてしまいます。
だめですね。休憩中まで、ゆとりをなくしちゃあ。
昔々、エディ・マーフィの映画でカルチャー・ショックを受けました。『星の王子様ニューヨークへ行く』ていう映画でも、『ゴールデン・チャイルド』でも、なんでもいいのですが、マーフィが演じる主人公は、ピンチなのに、ジョークを言うのをやめたことがないのです。アメリカ映画ってそういうところがありません?実際のアメリカ人がどうなのかわかりませんが、いつもどこかで冷静っていうか、余裕があるっていうか、いいなって思いましたね。そうそう、ルパン三世みたいなものです。だらしがない性格のくせに、冷厳なまでに合理的。怪奇現象にもパニクらない。
その対極にはいつも真剣さ100%満タンっていうタイプがありますね。旧い日本人好み(最近はそうは思わなくなりましたが)かも知れませんが、実生活では危ういものです。同じ平中物語でも、芥川龍之介が書くよりも、谷崎潤一郎が書くほうがよほどリアルで面白いでしょ。
なにがいいたいのか・・・つまり、花が目に入らない日は、自分も目にはいらない日ってことでした。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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