お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

炎天ウォーキング・・・2008/07/23

今日のびわ湖(近江大橋のたもと 大津側)
本日は、ほぼ一日会議。
1時間の昼休みは、短い食事とウォーキング。
時間きっかりに帰着。

日誌にすれば、こうなのですが、
6月までの暑さとは、格段の違いです。
足元が溶けていきそうな強い日差し。
頭上に陽炎をつれて歩いてきました。

琵琶湖岸の道なのに、風を感じませんでした。
いつもの夏と同様、からまった藻が岸辺に漂っています。
釣り船も動いていない様子。



見上げた向こうには、近江大橋。
そして、イオンモール建設現場。
橋げたが普段より高く見えることに気がつきました。
渇水が心配・・・。

それは、人間も同様・・・ということで、
「氷結」ドリンクを買いにいきました。
会議では、これが大人気。

夏のまちかど2008/07/23

この花なんの花?
紫外線が強いので、
サングラスが必要かなと思いました。
でも、似合うかどうかは別問題。
ところで、信楽たぬきが、
サングラスをかけたら、どうなるのか。
その答えが、私の場合は、重要なんです。

今日も、シッポをゆすりながら、
いえいえ、カメラをゆすりながら、
まちを歩きました。
キレイな花を見つけると、
人に声をかけて撮らせてもらうのが私流。

残念なことに、真夏の道端に
人影を見つけるのは難しくなっています。
夕方になれば、水遣りをされている姿を
見ることができますけれど。

人はいなくても、花はいつもそこに。
UVカットフィルターとか、
サングラスをかけているところを
見たことがありません。
人より強いってことですよね。
強い方にお願いすればいいかな・・・。

冷麺とラフマニノフ2008/07/23

ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番
もちろん、冷麺とラフマニノフは関係がありません。
いま食べたいのは、冷麺。
涼しい部屋で聴きたいのは、ラフマニノフ。
それだけのことなんです。

ラフマノニフのピアノ協奏曲第2番は、
チャイコフスキーのそれと並んで、
もっとも人気の高い曲だそうです。
甘い映画で使われたというだけで、
毛嫌いするのが私のよくない性格。

でも、毛嫌いするのはポーズであって、
二三日前には、3度も聴きました。
ソリストは、スビャトスラフ・リヒテル。
1959年に録音されたものが2種類。
ひとつは、1959年2月18日。
ザンデルリング指揮のレニングラード・フィル
(現在は、サンクト・ペテルブルグ・フィル)
もう一つは、1959年4月26日~28日。
ヴィスウォツキ指揮のワルシャワ・フィル。

オーケストラの深々とした歌は、レニングラード。
リヒテルの熱気は、ワルシャワ・フィルとのもの。
どっちも、気に入って、3度も聴くことになったのです。

YouTubeで「のだめカンタービレ」を見ていたら、
このコンチェルトが登場。
実際に誰が演奏しているのかわかりませんが、
楽しんで聴きました。

するとその翌日、朝BSを見ていたら、
中村紘子さんがこのコンチェルトを演奏。

そこでなんとなく思ったのです。
暑い夏、日本人にとって、
冷麺のような存在なんだなぁ・・・
ラフマニノフはって。

ヒマワリはフィボナッチ数列を知っている?2008/07/23

ヒマワリは、フィボナッチ数列を知っている?
0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55,
89, 144, 233, 377, 610, 987, …
この数列は、第1項=0。第2項=1。
第3項以降は、どの項もその前の2つの項の和
となる数列です。
名前は、「フィボナッチ数列」といいます。

「フィボナッチ数列は、 ヒマワリの種にあらわれている」

ガーデンミュージアム比叡を
いっしょに歩いているときに、
突然、長男のK君がいいました。

「でも、具体的にどう現れているのかは、 よくわからないのだけど。」

興味をもった私はネットで調べてみました。

ヒマワリの種をよく見ると、
格子状に並んでいるのではなくて、
渦巻状に並んでいます。
右の螺旋と左の螺旋。
数を数えると、右回りが55、
左回りが34の場合が多いといいます。
巨大なヒマワリは、右回りが144、左周りが89。

これら、34、55、89、144は、
一番最初に見たフィボナッチ数列そのものです。

フィボナッチ数列は、ヒマワリ以外にも、
セミ、開花植物の葉がつく秩序などに
あらわれるそうです。

まるで植物が数学を知っているみたいで不思議です。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)