お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「植池春松之墓」(19歳)@旧大津陸軍墓地F272008/10/26

「植池春松之墓」@旧大津陸軍墓地F27
植池春松という若者の墓。
出身は「農」つまり、農民。
順番でいけば歩兵第九聯隊では十一番目に古い墓碑です。
記録文書によれば、明治8年3月に、京都の知恩院から
真新しい大津営所に移動してきた第九聯隊の部隊は
将校・下士官を除けば、明治七年以降の徴兵から
なっていることになっています。
残念ながら、それまでの墓碑では、読解困難もあり、
士族以外の出身が刻まれた墓碑は見つかりませんでした。
この墓碑ではじめて徴兵制度によって兵役を
課された若者(農民出身)に出会うことになりました。

墓碑を読んでいて、驚いたことがあります。
それは、入営が明治9(1875)年5月2日。
病死がわずか9日後の5月11日だということです。
しかも、(数えで)19歳で亡くなったと刻まれています。

春松者○○○○縣下農植池市作次男也安政三辰年二月十日生於紀伊國@@@@@村明治九年五月二日為應徴入歩兵第九聯隊第二大隊同年同月十一日病死於大津営所病室干時年十九

20代目前の若者が入営わずか9日で亡くなる。
いったいなにがあったのでしょうか。
物言わぬ墓石。
本人はどういう思いだったのか。
「徴兵さえしなければ」という両親の慟哭が
聞こえる気がします。
(生年月日と歿年齢があいません。読み取りが悪いのでしょうね)

「西河亀吉之墓」(22歳)@旧大津陸軍墓地F262008/10/26

「西河亀吉之墓」@旧大津陸軍墓地F26
「西河亀吉之墓」は、文字が大きいのです。
制作者がそれまでと違うのでしょう。

下は右側面。歿年月日。



「明治九年六月六日」と
大きな字でしっかり彫られています。
左側面は個人の履歴。
亀吉者京都府下農西河嘉助次男嘉永六丑年九月十四日生於丹波國船井郡@@@上村生明治七年四月二十七日為應徴入@@@@歩兵第九聯隊第二大隊 同九年六月六日病死於大@@@@干時年二十二年又十月



亀吉も農民出身の徴兵。
こうなってくると、この部分の文字が読めなかった、
舘、喜多などの墓碑も知りたくなります。

葉を輝かせる夕陽2008/10/26

夕陽に
夕陽のやわらかさと
あたたかさが
大きな葉を通して伝わるようです。



夕陽とは関係ありませんが、
花びらもやわらかなベールですね。
これはアサガオです。



そうそう水玉に輝く夕陽を撮ろうとしましたが、
なかなか難しかったです。
チカチカ光っていたのですけれど。

「森本元次郎」@旧大津陸軍墓地F252008/10/26

「森本元次郎」@旧大津陸軍墓地F25
「森本元次郎」の墓碑も、解読が容易ではありません。
石の質がもろいのかも知れません。
正面は「森本元次郎之墓」
右は歿年月日。
「明治九年七月七日」とはっきり読めます。



問題は、左側面の碑文。



元次郎者@懸下@@@森本源平@安政@@年二月七日生於大和國@@@松本村明治八年四月一日應徴為大阪鎮台歩兵第九聯隊第一大隊@@@九年七月七日病死於大津営所病室干時年二十二有@月

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)