お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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村上春樹 『1Q84』・・・2009/06/03

村上春樹 『1Q84』BOOK2
村上春樹『1Q84』。
BOOK1は読み終え、
BOOK2の真ん中まで来ました。
ようやくです。

緊張を強いられて、
なかなか読み進むことが
できませんでした。

この点は、これまでの他の長編と
少しちがうかも。

内容は、おぞましくもありますけど、
まぎれもない春樹ワールドですね。

モーツァルトの『魔笛』や
コッポラの『地獄の黙示録』が、
あたまをよぎります。

ふ~うぅという状態。

”宇宙からの侵入者との総力戦”?!2009/06/03

3日付けの京都新聞に掲載された斉藤美奈子さんの文章を読んでいました。「オピニオン・解説」というページで、タイトルは、『危機煽る社会の危うさ』

新型インフルエンザ問題です。

・・・新型インフルエンザをめぐるこの半月あまりは、宇宙からの侵入者に人々が総力戦で立ち向かうSF映画を見るようだった。
 警戒線を突破し、ある日、わが国に投下されたインフル爆弾。

・・・なるほど。

そして、「事態がマスクという目に見えるものに収斂していったのはなぜたったのか」と問いかけ、興味深い指摘をしています。
 それは省略。
 その上で、その反応が「他の感染症に比べ、バランスを欠く対応だったのも事実である」として、結核を挙げています。
 新型インフルは感染者は世界で1万数千人。死者は100人以上。結核は、毎年世界で900万人以上が新たに発症。毎年160万人以上が死亡。日本では、毎年2万5千人発祥し、死亡者は毎年2000人以上。
 「新型インフルよりは結核の心配をするほうがじつは現実的、かもしれないのだ。」

・・・・・なるほど。

・・・SF映画のような右にならへ現象が起きる背景には、日本人のグッズ信仰(モノを買って安心する)、横並び志向(人とちがった行動をとりたくない)、加えて企業や学校の保身が大きく作用したように思われる。つまり、対応の悪さを後で批判されたくない。・・・
 ・・・危機意識を過剰に煽る社会も、煽られた危機をすぐモノに転換する社会も、それはそれで危うい。

 マスクが店頭から消えるほどの過熱ぶりは、1970年代のトイレットペーパ騒ぎを思い出しました。
 新型インフルは収束に向かっていますが、それが提起する社会的な問題は、これだけではありません。
 ネットでの、風評被害や、感染者へのいじめなどの問題もそうですね。

「傘がない」20092009/06/03

ナメクジは傘がなくても悠々なのに
いまは梅雨。
ナメクジは傘がなくても悠々と暮らしています。
でも、人間界は、傘をめぐって騒動が起こっているらしい・・・。


カミさんから、いつも怒られています。
「傘をどこかに、おいてこないで!」
私は、いいわけできずに、ベソをかきます。
「高い傘にしたら?そうしたら忘れないんじゃない?」
と追い打ちをかけるカミさん。
「それは甘い!」と自分を棚に上げて言う私。
「値段で忘れないなんてことはない。
 安い傘でいい。  
 とにかく気をつけるから・・・」
とふたたび自信のない私にもどります。

今日の午後、にわか雨がふりました。
・・・傘がない。

ところで、井上陽水の「傘がない」。
さっぱり意味がわからなかった十代の私。
傘がないよりは、自殺する若者が増えているほうが、
よっぽど問題じゃないかと思ったのでした。
彼女ができたとき、傘がないと確かに困る。
ついでに時計・・・世界のなににもまして。

ときは2009年。オバマさんが表舞台へ。
プラハで「核のない世界」演説をしました。
パチパチパチと拍手がわいたのに、
「困った」といったのは、日本国の政府でした。

傘がない!
「核の傘がないと安全が守れない」のだと。

ねえ、核兵器さえなくなれば、
傘もいらないんじゃないの。
あなたの理屈でいくと、
いつまでもなくならないよ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)