お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「政権は変わっても政見は同じ」というのは深刻なこと2009/06/22

新聞のコラムかなんかで書いていました。

「"政権"は変わっても"政見"は同じ」

笑いました。なかなか当を得ています。
そういえば、時事ドットコムに次のような記事。

衆院選後に大連立の可能性=中曽根元首相

 中曽根康弘元首相は11日、都内で開かれた内外ニュース主催の講演会で、次期衆院選について「(自民党と民主党の)いずれが勝つにしても(議席数は)接近した結果になり、政界再編や大連立の可能性が出てくる」と指摘した。
 また、中曽根氏は「(選挙後に)公明党がどちらにつくのかという問題も出てくる。選挙前には各方面からよろしくとのあいさつがあり、どちらがあいさつがうまいかということになる」と述べ、公明党の動向がかぎを握る可能性もあるとの見方を示した。(2009/06/11-16:15)


毒まんじゅうを二つにわけて、
「さあどっち食べる?」

「え~、もっとほかにないの?」

「あるけど、今日はこれがオススメなんです。
キャンペーン期間なんです。」

「そんなキャンペーンやめてほしい。
あんた、毒まんじゅう屋さんなの?」

「ちがいます、公正中立がモットーのお仕事です。」

「ならさあ、それらしくしたら。」

冗談を言っている場合ではありませんね。
国民から嫌われそうになると、数にまかせて、負けないような土俵をつくる・・・つまり、名前だけ変えて、似たような政党を二つつくり、そのうちどっちかしか選べないような仕組みをつくる・・・そんなことしていたら、社会の閉塞状態は続くばかりです。

のんびり撮っている場合じゃない?2009/06/22

清林パークで見つけたアザミです
ソマリア沖の海賊。
たしかによくないです。
解決するために、協力するのはいいこと。
でも、解決にことよせて、危険なことはしてはだめ。

たとえば、チェルノヴィイリ事故のとき、
大量の放射性物質が大気にばらかまれた。
少々ならわからないだろうと、
他の原発からも放射性物質を放り出したという
ブラックなうわさもある。

そんなことはだめです。

軍事的対応で解決するのが一番?
客観的にそうなの?
アフガニスタンでも、イラクでも、
そして、ソマリアでも?

武器は使えないのに、
なぜ、武器が専門の部隊が
イラクへ行くの?
送るのに熱心な人たちは、
この問いにまともに答えない。

まず、しがらみを突破して外へ出よう。
平和維持の何が悪い!
そのつぎは、なんとか「それ」が
使えるように・・・目的はミエミエだと
私には思えます。

武器使用条件の緩和が進むと、
戦後はじめて、日本の若い兵隊さんが
他国の人を殺すかもしれない。
殺されるかもしれない。

その日は、いつくる?
もう差し迫っている?

そんなときに、のんびりお墓を撮っている私です。
・・・戦死者のお墓ですけれど。

西南戦争後、外征用の軍隊に
日本軍は再編されていきます。
人のこころを慣らすために、
竹橋事件のあと、「軍人勅語」や
軍事的な国民教育が進みます。

それでも、いざ、戦死者が
おらが村や町から出たとき、
人々はどう対応したのか?
その衝撃はどれだけのものだったのか?
人々は、父や母は、ココロの傷はどう癒したのか?

日清・日露の戦役のあと、
建てられたお墓とその位置は、
誇りと悲しみが交差しているように
私には思えます。

そういう墓をさらに増やすのは、やめてほしい。
今と未来を信頼して、のんびりと
過去の遺産として、撮らせてほしいと願います。

村上龍 『昭和歌謡大全集』(1994)2009/06/22

村上龍 『昭和歌謡大全集』(1994)
村上龍の小説。最近読んだのは、『半島を出よ』。
刺激を受けたので、もう何冊か読んでみようと思っていた。
物色しているうちに、この中古本↓を見つけた。

『昭和歌謡大全集』(1994)

楽譜かと誤解。
「Ryuは、こんなジャンルも手がけるのか?」と手に取る。
・・・全10章に歌謡曲のタイトルがつく小説だった。

恋の季節、星の流れに、チャンチキおけさ、
有楽町で逢いましょう、港の見える丘、錆びたナイフ、
アカシアの雨がやむとき、骨まで愛して、いつでも夢を
また逢う日まで

村上龍は、書いた動機を「あとがき」に記す。

・・・まったく何も感じない。あらゆる人間が、幼児から老人までが、世界のどこかの誰かのマネをして生きているような印象を受ける。・・・
 何かと引き換えに、退屈を選んでしまった人間達なんか小説にしてもしょうがない、といつも思っていた
(1994年とは、そんな時代だったのだろうか?)
のだが、いつだったか調布で暗い目の青年が買いものをしているおばさんを突然つきとばすのを見て、この『昭和歌謡大全集』を思いついた。

それは、とんでもないストーリーであった。

たしかに、21世紀の社会は、
不可解で悲惨な事件を生み出ている。
自分が死にたいからといって、他人を殺す若者、
つまり、死刑で死にたいのだという。
歩行者天国にダンプでつっこみ、無差別にナイフで殺傷する若者

しかし、この小説の内容はそれを超えているかも知れない。

いったい、なんなんだろう?
こんなところで、降ろされても困るんですけど状態。

ついでにいえば、買った理由の一つは、表紙。
「昭和だ!」と感じて、買ってしまった。
絵の作家は、小林源文
読み終わって、しげしげと眺めて、なるほどと思った。

沖縄「慰霊の日」(6月23日)に寄せて2009/06/22

「昭和二十年六月二十日於沖縄島戦死」と刻まれた墓碑
私がいま住んでいるのは、滋賀県の県都・大津市。
合併をくりかえして、いまや中核都市。
山野を切り開き、琵琶湖を埋めた土地に、
道路や新興団地や高層マンションが
つぎつぎと建設されています。

失われていく景観や街の変貌を注視しながら、
旧い時代の痛みを追跡する私です。
墓地を見かけると、戦死者の墓碑文を、一柱づつ
ていねいに読みつづける・・・「悼む人」状態です。

岡にむかって細長くつらなる墓地を、
見て回っていたときです。
「故陸軍伍長」の墓碑に、「沖縄」の文字を見つけました。

昭和二十年六月二十日於沖縄島戦死

そうです、この日は、「慰霊の日」の三日前。
つまり沖縄で司令官牛島満中将が自決して、
組織的な戦争が終わった日の三日前にあたるのです。

沖縄に行ったとき、「平和の礎」に沖縄戦で散った
全国の人たちの名前が刻まれているのを見ました。
ですから、滋賀県人がそのなかにいるのも
知識としては持っていたのです。
しかし、遠くはなれた大津の地で、
「沖縄」の文字を目にしたとき、15年戦争が、
全国民をまきこんだ総力戦であったことを感じました。

明日は、6月23日。64回目の「慰霊の日」です。

琉球新報に、「慰霊の日」についての記事が載っていました。
とても、大切な内容だと思いましたので、引用しておきます。

あす「慰霊の日」 5大学1129人、3割「由来知らない」

6月22日9時40分配信 琉球新報

沖縄戦アンケート
 23日の「慰霊の日」を前に琉球新報社は16日から4日間、県内4年制総合5大学の学生(1129人)を対象に沖縄戦について知識や意識を問うアンケートを実施した。その結果、沖縄戦を学ぶことは99・4%が「大切」と答えた一方、牛島満司令官が自決した日として定められた「慰霊の日」の由来を「知らない」と答えた学生が29・4%に上ったほか、今年は沖縄戦終結から何年かとの質問で「64年」と正しく回答できたのは61・6%にとどまった。
沖縄戦の体験継承に関心や意欲が強い一方で基礎的知識に課題があることが浮き彫りになった。
 高校歴史教科書の「集団自決」の記述から「日本軍の強制」が削除された問題について、県内出身者と県外出身者の意識に差があることも分かった。
 日本軍による住民虐殺があった事実は86・8%、学徒動員は92・8%の学生が知っていると答えた。学徒隊の名前を一つ挙げることができた学生は76・0%で、ほとんどが「ひめゆり」を挙げた。
 住民の「集団自決」はどのような死かを問うと「日本の軍事体制下で米軍への投降を許さない、追いつめられた死」を選んだ学生は83・6%、「国のために自ら命を捧げた美しい死」は4・4%、「分からない」5・2%、その他6・3%。
 「日本軍の強制」が削除された問題を知っているのは90・4%、削除は「正しくない」との回答は81・8%に上った。「正しい」は2・8%。「分からない」が14・2%いた。
 県内、県外の出身別でみると、県外出身者は「集団自決」を「―美しい死」と回答した割合が8・1%と県内3・8%よりも高く、歴史教科書問題を知らないと回答した割合も県外は27・4%で、県内6・4%よりも高かった。「日本軍の強制」削除は「正しくない」は県外65・9%で、県内84・3%よりも低かった。
 沖縄戦を学ぶことは「とても大切」88・1%、「ある程度大切」11・2%とほとんどが「大切」と回答。沖縄戦について小中高校の授業で学んだことがある学生は91・9%、戦跡や平和資料館に行ったことがある人も95・2%と多かった。
 調査は5大学の教員に協力を依頼し、講義の際、学生に回答してもらった。

◆識者分析 新城俊昭氏「意識高いが知識伴わず」

 「沖縄戦が終わって何年か」との質問に正答が約6割というのは気になる。8割は超えてほしかった。一方で沖縄戦を学ぶことが大切との回答99%はかなり高い数値だ。現代の若者は一般に言われるほど沖縄戦に無関心ではない。むしろ素直な気持ちで沖縄戦から平和の在り方を学ぼうとする姿勢がうかがえる。意識は高いが知識がそれに伴っていないのが実情だ。平和教育の在り方や教える内容に問題がありそうだ。生徒の実態に合った、体系立てた学習を工夫する必要がある。
 毎年6月は特設授業で、演劇や映画鑑賞、戦争体験者の講演などが実施されているが、近年、こうした学習法もマンネリ化し新たな平和教育の在り方が求められ、内容も問われている。
 1995年、2000年に高校生を対象にしたアンケートでは戦跡・平和資料館に行ったことのある生徒はほぼ半数だった。それが05年は94・5%と大幅に増え、今回のアンケートでも95・2%と高い。おそらく、多くの学校が総合的学習の時間に平和学習を取り入れ、学年単位で戦跡・資料館巡りをするようになったのだろう。07年の教科書検定問題による沖縄戦への関心の高まりも一因だ。
 沖縄戦をじかに語れる世代は急速に減少している一方で沖縄戦研究は大きく進歩し、県平和祈念資料館や対馬丸記念館の建設、ひめゆり平和祈念資料館のリニューアル、各市町村の戦争体験記刊行など沖縄戦を継承するための未来への環境作りは着実に進んでいる。これからの平和学習はこれら戦争遺跡や資料館に何を語らせるかが大きな課題だ。
 教科書から「日本軍の強制」が削除されたことは「正しくない」との回答が県内出身者より県外が大きく下回ったのは気になる。単に沖縄戦への認識が足りないというより、15年戦争への歴史認識そのものに違いがあるように思える。だからこそ教科書で沖縄戦の真実をきっちり記述する必要がある。
 (沖縄歴史教育研究会代表)

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)