お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
半藤一利『ノモンハンの夏』を読みながら ― 2009/07/03
半藤一利『ノモンハンの夏』は、1997年の作品。
ソ連崩壊後に旧ソ連側からの資料もでてきている。
それらも駆使して、ていねいに描かれている。
私は、読みながら、じりじりしてくる。
優秀な頭脳をあつめたはずの陸軍司令部が、
無残なぐらい愚かで、無謀な決断をし、
致命的な戦闘に突入していく。
しかも、その責任を自らとることなく、
現場の指揮官たちに押し付け、彼らを戦死と
自殺に追い込んでいく。
国が滅びていくとは、こういうことなのだ!
国の成り立ちの過ちは、頭脳のよさなどでは、
救うことができないのだ。
不思議なデジャブ感がある。
ただしくは、逆デジャブ・・・。
現在の姿を過去の姿のなかに見出すのである。
実際、この2年近くを見ていると、
政治権力を握り、支配しているはずの人物が、
国の動きどころか、自らの動きも
コントロールできなくなっている。
使い捨てのように舞台から消えている。
そのリストはまた増えるかも知れない。
昔でいえば青年将校にあたる若手政治家は、
もちろん声を挙げていることだろう。
たとえば、地元ということでチェックしている
政権党に属するU氏のブログには、その気持ちがよく出ている。
たとえば、本日7月3日の日記。
だが、それは滅びの道、狸の泥舟ではないのか。
私は、U氏は事態を次のように(6月30日付)正確に描いている。だが、それが、どれだけ深刻な問題なのかが、見切れていないように思う。
繰り返すけれど、これは、滅びの描写そのものではないか。
「政策の旗」が議論されない集団が平然と政権を担えるのだろうか?
そんなこと口走っていいことなのだろうか!
当事者だけに事実は見えているのだ!
だが本質が見えていないのは、過去も未来も同じなのだ。
かつての参謀本部同様に、優秀な頭脳をもっているだろうに。
ノモンハンでは、70年前の今日から激戦がはじまった。
2009年も、ほどなくはじまるだろう。
これまでのすべての経験が生かされるだろうか。
われわれは生かすことができるだろうか。
それとも、戦争への準備が加速する200Q年に
迷い込むことになるのだろうか。
ソ連崩壊後に旧ソ連側からの資料もでてきている。
それらも駆使して、ていねいに描かれている。
私は、読みながら、じりじりしてくる。
優秀な頭脳をあつめたはずの陸軍司令部が、
無残なぐらい愚かで、無謀な決断をし、
致命的な戦闘に突入していく。
しかも、その責任を自らとることなく、
現場の指揮官たちに押し付け、彼らを戦死と
自殺に追い込んでいく。
国が滅びていくとは、こういうことなのだ!
国の成り立ちの過ちは、頭脳のよさなどでは、
救うことができないのだ。
不思議なデジャブ感がある。
ただしくは、逆デジャブ・・・。
現在の姿を過去の姿のなかに見出すのである。
実際、この2年近くを見ていると、
政治権力を握り、支配しているはずの人物が、
国の動きどころか、自らの動きも
コントロールできなくなっている。
使い捨てのように舞台から消えている。
そのリストはまた増えるかも知れない。
昔でいえば青年将校にあたる若手政治家は、
もちろん声を挙げていることだろう。
たとえば、地元ということでチェックしている
政権党に属するU氏のブログには、その気持ちがよく出ている。
たとえば、本日7月3日の日記。
麻生総理の中央突破は結局成功しなかったようだ。捨て身の姿勢で、乾坤一擲の勝負に出る。自民党がそこまでやるの?という政策と、世代交代・党内改革を掲げて戦う。そうすれば、少なくとも中堅若手は雪崩を打って総理の元に結集するだろう。これしかないと思うんだけどな~。
だが、それは滅びの道、狸の泥舟ではないのか。
私は、U氏は事態を次のように(6月30日付)正確に描いている。だが、それが、どれだけ深刻な問題なのかが、見切れていないように思う。
少なくとも、次の総選挙を迎えるに当たって、「政策の旗」は何かということが、党内でほとんど議論されていないことに問題がある。選挙をいつやるかということも大事だが、何を訴えるか、ということをまっとうに議論しなければいけない。有権者に対する最低限の責任だと思う。マニフェスト作成委員会も、4月に若手で申し入れをして、設立されたのはいいが、1回も会合は開かれていない!とのことだ。
繰り返すけれど、これは、滅びの描写そのものではないか。
「政策の旗」が議論されない集団が平然と政権を担えるのだろうか?
そんなこと口走っていいことなのだろうか!
当事者だけに事実は見えているのだ!
だが本質が見えていないのは、過去も未来も同じなのだ。
かつての参謀本部同様に、優秀な頭脳をもっているだろうに。
ノモンハンでは、70年前の今日から激戦がはじまった。
2009年も、ほどなくはじまるだろう。
これまでのすべての経験が生かされるだろうか。
われわれは生かすことができるだろうか。
それとも、戦争への準備が加速する200Q年に
迷い込むことになるのだろうか。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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