お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
Sole Survivor Policy ~『プライベート・ライアン』と日本と~ ― 2009/07/11
『プライベート・ライアン』という映画は、
Sole Survivor Policy を題材にして創られています。
出征する兵士、もちろん、第二次世界大戦は男性中心。
兄弟全てが出征する場合もありました。
そして、同じ任務につき、同じ船に乗船する。
船は撃沈され、全員が命を落とす。
巡洋艦ジュノーに乗り込んでいたサリバン5兄弟が
まさにそうでした。
Sole Survivor Policy は、
簡単にいえば、兄弟全員を戦死させる事態を
回避する政策ということになります。
映画『プライベート・ライアン』には、
ナイランド兄弟という、モデルがあります。
この兄弟は4人。
そううち3名が戦死(戦後に1名収容所で生存が確認)
したという事実に直面して、上の政策が発動され、
一人が戦場から連れ戻されるのです。
では、日本ではどうだったのでしょうか。
上の写真は、墓碑の一部です。
一つの墓碑に
三名の兄弟の名前と階級、そして、
死亡年月日と場所が刻まれています。
3人は、それぞれ、陸軍兵長
陸軍伍長、陸軍上等兵となり、
別々の日に、別々の戦場で戦死。
兄弟の笑い声は二度と家族のもとには、
帰ってこなかったのです。
むごい現実です。
Sole Survivor Policy を題材にして創られています。
出征する兵士、もちろん、第二次世界大戦は男性中心。
兄弟全てが出征する場合もありました。
そして、同じ任務につき、同じ船に乗船する。
船は撃沈され、全員が命を落とす。
巡洋艦ジュノーに乗り込んでいたサリバン5兄弟が
まさにそうでした。
Sole Survivor Policy は、
簡単にいえば、兄弟全員を戦死させる事態を
回避する政策ということになります。
映画『プライベート・ライアン』には、
ナイランド兄弟という、モデルがあります。
この兄弟は4人。
そううち3名が戦死(戦後に1名収容所で生存が確認)
したという事実に直面して、上の政策が発動され、
一人が戦場から連れ戻されるのです。
では、日本ではどうだったのでしょうか。
上の写真は、墓碑の一部です。
一つの墓碑に
三名の兄弟の名前と階級、そして、
死亡年月日と場所が刻まれています。
3人は、それぞれ、陸軍兵長
陸軍伍長、陸軍上等兵となり、
別々の日に、別々の戦場で戦死。
兄弟の笑い声は二度と家族のもとには、
帰ってこなかったのです。
むごい現実です。
コメント
_ ばるタン ― 2009年07月11日 10時01分46秒
_ BIN★→ばるタンさん ― 2009年07月11日 10時37分34秒
ほんとうにそうですね。
どの戦死者の墓碑もそうですけれど、
なにかを語りかけてくるように
思えるのです。
カミさんは、そんなことを言うと、
怪人扱いにしますけれど(笑)。
このような複数の名前が刻まれた墓碑、
兄弟の墓碑が並んで建てられている墓地
・・・それらは、珍しいものではないのです。
どの戦死者の墓碑もそうですけれど、
なにかを語りかけてくるように
思えるのです。
カミさんは、そんなことを言うと、
怪人扱いにしますけれど(笑)。
このような複数の名前が刻まれた墓碑、
兄弟の墓碑が並んで建てられている墓地
・・・それらは、珍しいものではないのです。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
姉に3人の息子がいますので、身につまされて忘れられません。
絵は、小学生くらいの男の子たちが年の順に並んで行進しているかわいらしい絵でした。
「兄弟三人そろって戦死」になってしまったおうちも多かっただろうと思うと胸が痛いです。