お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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一つの墓碑に二人の戦死者 ~横を向く墓碑~2009/07/11

一つの墓碑に二人の戦死者 ~横を向く墓碑~
墓地をめぐると、本来は正面と思われる面が
側面になっているのに気づきます。
陸軍の階級名つきの名前。
それが正面だったはず。
ところが、法名が正面に変えられているのです。
すべての戦死者の墓碑がそうではありません。
私は途中からずらされたと思っているだけで、
最初から、こういう形だったのかも知れません。

上の墓碑は、正面が戒名。
左側面が階級名と氏名になっています。
一つの墓に二人の名前・・・・。



そして、背面には、死亡年月日と場所。

六 昭和二十年七月十五日 於比島戦死
辰 昭和十八年十二月十五日 於満州戦死

まともに宣戦布告されることなく、
はじまり続いた日中戦争。
真珠湾攻撃で開始された太平洋戦争。
兄弟は、この二つの戦争にそれぞれ参加し、
遠く離れた異土でなくなったのです。

二人の魂は、この一つの墓碑のなかで
再会を果たすことができたのでしょうか。

コメント

_ やつしろ ― 2010年10月31日 15時03分46秒

浄土真宗御門徒の、残された親が建てられた御兄弟のお墓でしょう。

浄土真宗では、死ねば「即極楽浄土往生」して諸仏となります。
再会の場所がお浄土です。
戦争で離ればなれになって亡くなった兄弟も、「倶会一処」死んで再会することができるのです。
俗名を前に出さず、法名(戒名ではありません)を前に出された御両親のお心。
本当に有難いことです。

今その方々は、どうしておられるでしょうか?
み仏となって、還相回向・・・この世に還り、我々を導いて下さっているのです。

 たぶん貴方は、このことから何かを得られたと思います。

「死んだら終わり」ではなく、無量寿の世界に往き生まれること・・・そんな世界もあるんです。
 そのことを、今も残された人々に、教えて下さっているんです。

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年10月31日 15時32分48秒

コメントありがとうございます。
去年の夏に書いた記事です。
その後も、墓地をめぐるたびに、
同様の墓碑があるのに気がつきます。
先日も、田中墓地をご案内いただいたときに、
そういう墓碑にも出会いました。
そのときにも、このような感想を抱きました。

墓碑は亡くなった方のためのものであると同時に、
残されたものの願いも込められたものと
理解しています。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)