
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
日野町出身とわかった二等軍曹矢杉安太郎の墓碑@日清戦争 ― 2009/09/19
私の当面の目標は、旧大津陸軍墓地に眠る人たちの経歴を、明らかにすることです。墓碑からは、個人としての生き様や死に様が見えてこないからです。せめて、出身地などが分かればいいと始めました
大津市立図書館の資料室で、県内の市町村の公史から、何枚かコピーをとりました。そこにヒントが書かれているのではないかと思ったからです。そのうちの一つが『近江日野町志』(昭和五年版)下巻の『第三章 明治二十七八年戦役』・『第六節 戦病死者及び従軍凱旋者』で、見つけたのが、矢杉安太郎の記事でした。
その墓碑は、旧大津陸軍墓地のBブロックに存在(上・下の写真)します。
一人でも見つかる、ほっとするのは不思議ですね。
大津にあるからといって、大津市だけを見ていては、わからなかったのです。当然ですが、その聯隊の管区を見て、調べるべきでしたね。

大津市立図書館の資料室で、県内の市町村の公史から、何枚かコピーをとりました。そこにヒントが書かれているのではないかと思ったからです。そのうちの一つが『近江日野町志』(昭和五年版)下巻の『第三章 明治二十七八年戦役』・『第六節 戦病死者及び従軍凱旋者』で、見つけたのが、矢杉安太郎の記事でした。
その墓碑は、旧大津陸軍墓地のBブロックに存在(上・下の写真)します。
明治二十八年四月廿六日於清国盛京省劉家店倉営病死わずかな記事ですが、日野町で「明治二十七八年戦役」(つまり、日清戦争)では、3名が病死で亡くなっていることがわかりました。
日野町大字大窪ニ○七番屋敷平民戸主
第四師団歩兵第九聯隊第六中隊 予備役二等軍曹
矢杉 安太郎 明治三年十月廿六日生
一人でも見つかる、ほっとするのは不思議ですね。
大津にあるからといって、大津市だけを見ていては、わからなかったのです。当然ですが、その聯隊の管区を見て、調べるべきでしたね。

日清戦争期の下士官の墓地:今日までに2名の出身地が判明 ― 2009/09/19
旧大津陸軍墓地には、日清戦争期(台湾征服戦争含む)に戦病死した下士官の墓地があります。私は、Bブロックと呼んでいます。下の名簿では⑮をのぞく14柱(写真)が、それにあたります。
①陸軍歩兵二等軍曹 中川 彌三郎出身地などの経歴がわかっている墓碑は、いまのところ2柱のみです。一人は矢杉安太郎で、もう一人は、太田末次郎です。
明治28(1895)年 4月27日 於 沈家屯(?)歿
②陸軍歩兵一等軍曹 元武 勇
明治28(1895)年 4月25日 於 柳樹屯歿
③陸軍歩兵二等軍曹 山元 丑之助
明治28(1895)年 9月18日 於 ?子? 歿
④陸軍歩兵一等軍曹 松宮 寅治郎
明治28(1895)年 4月28日 於 ?家屯 歿
⑤陸軍歩兵一等軍曹 矢杉 安太郎
明治28(1895)年 4月26日 於 劉家屯 歿
⑥陸軍歩兵特務曹長 尾嵜 常人
明治28(1895)年 4月11日 於征清従軍航海船中歿
⑦陸軍歩兵一等軍曹 小泉 音吉
明治28(1895)年 7月13日 於 海城 歿
⑧陸軍歩兵一等軍曹 中沢 市次郎
明治28(1895)年 9月 5日 於 海城 歿
⑨陸軍歩兵一等軍曹 濱田 定一
明治28(1895)年 7月17日 於 小河沿 歿
⑩陸軍歩兵一等軍曹 太田 末次郎
明治28(1895)年10月16日 於 海城 歿
⑪陸軍歩兵曹長 阪根 萬太郎
明治29(1896)年 3月25日 於 台湾 歿
⑫陸軍歩兵二等軍曹 中村 定太郎
明治28(1895)年 9月16日 於 海城 歿
⑬陸軍歩兵一等軍曹 松室 重凞
明治28(1895)年 9月15日 於 海城 歿
⑭陸軍歩兵一等軍曹 阪井 晸一郎
明治28(1895)年 7月 2日 於 小河沿 歿
⑮陸軍歩兵特務曹長 柳川 傳蔵(大正期)
大正11(1922)年11月13日
北朝鮮の新しい動きと日米合同演習と ― 2009/09/19
外交は、その情報が少なく、庶民にはわかりにくい世界です。
オバマ演説があり、核兵器廃絶への流れが一気に加速するかと思えたのですが、近隣では、北朝鮮をめぐり、ロケット発射や核開発再開など、後ろ向きのニュースばかりが目立っていましたね。
朝鮮半島の緊張緩和と非核化は、他人事ではありません。北朝鮮の多国間協議への復帰を強く望んでいました。
民主党新政権の「核密約」問題への新しい前向きのアプローチとともに、北朝鮮の「六か国協議」復帰示唆は、明るいニュースです。ここまでこぎつけるために、中国やアメリカを中心に、どれだけ多くの努力が水面下ではらわれたのか、想像するしかありません。そして、それは、これからが本番ということになります。
お隣の高島市「あいば野演習場」で、海外派兵を想定した日米合同演習が行われるタイミングなだけに、私は、朝鮮半島での緊張緩和の進展を強く願っています。
写真は、毎年8月6日に行われる大津市の三井寺の原爆慰霊法要の風景。参加者が、平和への願いを込めて風船を放っています。
私が撮影している場所は、かつて西南戦争の記念碑が建っていたところ。お寺の向こうに広がるのは、明治初年から陸軍の基地がおかれ、戦後は、アメリカ軍の占領地となった場所です。
近代日本の戦争への起点であり、アメリカへの従属の象徴となった場所と、平和へのを発信する風船が同時に写っている写真ということになりますね。
オバマ演説があり、核兵器廃絶への流れが一気に加速するかと思えたのですが、近隣では、北朝鮮をめぐり、ロケット発射や核開発再開など、後ろ向きのニュースばかりが目立っていましたね。
朝鮮半島の緊張緩和と非核化は、他人事ではありません。北朝鮮の多国間協議への復帰を強く望んでいました。
民主党新政権の「核密約」問題への新しい前向きのアプローチとともに、北朝鮮の「六か国協議」復帰示唆は、明るいニュースです。ここまでこぎつけるために、中国やアメリカを中心に、どれだけ多くの努力が水面下ではらわれたのか、想像するしかありません。そして、それは、これからが本番ということになります。
お隣の高島市「あいば野演習場」で、海外派兵を想定した日米合同演習が行われるタイミングなだけに、私は、朝鮮半島での緊張緩和の進展を強く願っています。
写真は、毎年8月6日に行われる大津市の三井寺の原爆慰霊法要の風景。参加者が、平和への願いを込めて風船を放っています。
私が撮影している場所は、かつて西南戦争の記念碑が建っていたところ。お寺の向こうに広がるのは、明治初年から陸軍の基地がおかれ、戦後は、アメリカ軍の占領地となった場所です。
近代日本の戦争への起点であり、アメリカへの従属の象徴となった場所と、平和へのを発信する風船が同時に写っている写真ということになりますね。
金総書記、「6カ国」復帰を示唆=核問題で中国特使と会談
9月18日14時19分配信 時事通信
【北京時事】新華社電によると、北朝鮮の金正日労働党総書記は18日、中国の胡錦濤国家主席の特使として平壌を訪れた戴秉国国務委員(外交担当)と会談した。金総書記は席上、核問題について「2国間および多国間の対話を通じ解決したい」と述べ、6カ国協議復帰の可能性を示唆した。こう着状態にある北朝鮮核問題が動き出す契機となるか注目される。
会談では、戴氏が胡主席の親書を手渡した。胡主席は親書で、「中国は、(朝鮮)半島非核化の実現や北東アジアの平和・安定維持を一貫して目指しており、(北)朝鮮と共に努力することを惜しまない」とのメッセージを伝えた。
これを受け金総書記は、朝鮮半島情勢や核問題をめぐる北朝鮮の立場を詳しく説明。「(朝鮮半島)非核化の目標を堅持し、平和安定維持に力を尽くす」と表明した。
対話による核問題解決の姿勢を見せ、6カ国協議議長国の中国の顔を立てる一方、「2国間対話」の選択肢も示して、米国との直接協議を求める立場も維持した形だ。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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