お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

集落に一つは日露戦争戦死者の墓碑2009/10/02

日露戦争戦死者の墓碑から戦死場所の部分です
 甲賀市に赴任して、二週間あまりが経ちました。水口、土山、甲賀の農村地帯をゆっくり車で走ると、大きな間隔をあけずに、寺院と共同墓地を見つけることができます。目を向けると、隅の一角に戦死者の墓碑が特別の位置を与えられて、並んでいます。
 それと少し離れて、これも特別な位置に背の高い尖った墓碑の姿が必ずと言っていいほど、一基や二基経っています。墓石の表面が共通して黒く汚れているのは、石の種類によるのでしょうか。それとも、年月の違いでしょうか。
 それが、日露戦争の戦死者の墓碑です。
 どの集落からも、日露戦争の戦死者が出たという事実は重いものです。そのことがもたらした深刻な影響はさらに・・・。


(浄土宗 慈雲山 修善寺)

コメント

_ Holland ― 2009年10月09日 22時28分27秒

はじめましてHollandと申します。
とある湖西の墓地で気になった事があり、検索して調べて行くうちに
このブログにたどり着きました。

先日、湖西の湖岸を歩いていたところ、比良駅付近で戦没者の墓が
琵琶湖を面して最前列に立ち並ぶ墓地を見つけました。
日頃、意識して墓碑を見ることはないのですが、同一姓(中村姓)が刻まれた
物が多く、所属は陸海軍・軍属、階級は兵・下士官・将校まで様々です。
墓石達が無言で語りかける「戦死」という事実に圧倒され、帰路に色々考え込んでしまいました。

調べてみたところ滋賀県は中村姓の方が多いようなので、墓地整備等の点から
すると地方の民間墓地では珍しい事ではないのでしょうか?
散文失礼いたします。

_ BIN★→Hollandさん ― 2009年10月10日 01時45分54秒

わざわざのコメントありがとうございます。
墓碑は、近代以前は、庶民は建設しなかったようです。
武士でもおそらくそうでしょうね。
板に文字を書き記して墓碑としていたようです。
そういう墓地を最近でも見かけます。
戦死者の墓碑は、「この国にもそういう時代があったんだ」と
無言ですが、強い衝撃と訴えを持っている気がします。
私も、その衝撃を出発点として、訪ね歩きはじめました。
比良駅付近のその墓地を見に行きたいと思います。
またいらしてください。

_ MK ― 2009年10月13日 22時36分24秒

生物にとって最も重要な事。

自己を防御し、保存すること。
自己の遺伝子を残す事。
自己の種を保存すること。

どんな奇麗事を並べたところで、以上3点を守るために私たちはじめ、単細胞生物までが日夜活動を繰り返しています。
現在私たち人類が覇権を極めていますが、その中でもその民族がおかれた地政学他の環境によって、自己の生命さえ危険に瀕する状況に追い込まれる人々が居ます。今日の食糧や飲料水にも事欠く状況を打破するため、望まない争いに呑みこまれ、より悪化した状況に追い込まれる人々も多くいると聞き及んでいます。
地球上のあらゆる地方に暮らし、異なる宗教の人々へも平等に行き渡る充分な食糧、飲料水が足り、安全が確保できれば世界に戦争などと云う争い事は無くなるのでしょうが。
私たちは、究極の環境破壊たる戦争などの争い事が無くなる事を願い環境保護活動を続けております。
そして、そんな豊かで安全な社会を目指すためと信じ、尊い命を落として逝かれた先人の事を忘れないために、このような墓碑を見つめる事も大切ではないでしょうか。

_ Holland ― 2009年10月14日 19時54分27秒

_ BINさんお返事ありがとうございます。
先日また湖西を散歩する機会があり、再びその墓地を訪れることができました。
近くにいらした地元のご年配の方にお話を伺ったところ、
南比良には中村さんが多いとのこと。また、配置については
墓地を整備した際にそうなったのではないか?と推測されていました。

私も滋賀在住なので、これを機にBINさんのブログで紹介されている墓地を
訪れてみたいと思います。

*URL欄は南比良の墓地のおおよその地点のgoogle mapリンクです。
ご参考になりましたら幸いです。

_ BIN★→MKさん ― 2009年10月17日 23時07分50秒

環境問題にとりくんでおられるお気持ちを語っていただいてありがとうございます。そういえば、これほどつっこんだお話はしていなかってですね。

_ BIN★→Hollandさん ― 2009年10月17日 23時10分23秒

ぜひ訪問してみてください。
私は、いま甲賀市で仕事をしています。
短期出張ですが、のんびり訪問する余裕がなくなって
紹介できないのが残念です。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/10/02/4609853/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)