お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
横手慎二『日露戦争史 20世紀最初の大国間戦争』(中公新書) ― 2009/11/18
日本の近代の戦争について、手軽に読める本を探しては読んでいます。この本もその一つでした。注目されたのは、著者が《日露戦争と聞くと、すぐに司馬遼太郎の『坂の上の雲』を想い出す。読んだのは1970年代の学生時代のことである。たんなる小説に過ぎないと思いつつ、そこに書かれている日本の「歴史」に惹かれて一気に読んだ。》と振り返っていることです。
近代日本の歴史は、高校の日本史でもほとんど触れられることがなかった気がします。その間隙を、『坂の上の雲』が埋めたのです。私の記憶に浮かぶ日露戦争の最初のイメージは、古い戦争映画でした。『坂の上の雲』を読むずいぶん前から、親に連れられて何度も見た気がします。調べれば題名はわかるのでしょうけれど、「203高地」の凄惨な戦いの姿などはいまでも目に刻まれています。
この本によっていろんな史実を知ることができましたが、そのスタンスについては、中途半端な印象をもちました。
あらためてタイトルを読み直してみてやはりと思ったのですが、大国のパワーポリッテックの帰結のように日露戦争が描かれています。「セキュリティ・ジレンマ」論もそうです。そのことが、私が不満に思う原因だと思います。
「倫理的批判」と自分で書いてみて苦笑してしまうのですが、ほかにいい表現はないので、このままにします。
小田実が講演のなかや、本のなかで書いていることですが、高空から空爆した飛行士には、下界の地獄図は見えません。高空から戦争史を描くことは大国や統治者を主人公とするこぎれいな戦争絵巻になってしまいます。複数のプレーヤーが演じるゲームのようなものにです。
地獄図のなかで展開される戦争の素顔を土台において、全体像に迫る道を私は求めているのです。
旅順要塞の第一次総攻撃について、次のように書かれています。
私がいいたいのは、戦死者を数として束ねる前に、一人一人が名前をもった若者だということを心すべきだということなのです。
先日、『高島郡誌』に記載されている日露戦争の戦死者100名の名簿を紹介しました。戦死場所と日をもとに、無謀な旅順要塞第一次総攻撃で戦死した若者の名前を挙げて、この記事を終わることにします。それとても、「一万五八○○」のうちの、ごくごく一部に過ぎません。
以上です。
近代日本の歴史は、高校の日本史でもほとんど触れられることがなかった気がします。その間隙を、『坂の上の雲』が埋めたのです。私の記憶に浮かぶ日露戦争の最初のイメージは、古い戦争映画でした。『坂の上の雲』を読むずいぶん前から、親に連れられて何度も見た気がします。調べれば題名はわかるのでしょうけれど、「203高地」の凄惨な戦いの姿などはいまでも目に刻まれています。
この本によっていろんな史実を知ることができましたが、そのスタンスについては、中途半端な印象をもちました。
あらためてタイトルを読み直してみてやはりと思ったのですが、大国のパワーポリッテックの帰結のように日露戦争が描かれています。「セキュリティ・ジレンマ」論もそうです。そのことが、私が不満に思う原因だと思います。
「倫理的批判」と自分で書いてみて苦笑してしまうのですが、ほかにいい表現はないので、このままにします。
小田実が講演のなかや、本のなかで書いていることですが、高空から空爆した飛行士には、下界の地獄図は見えません。高空から戦争史を描くことは大国や統治者を主人公とするこぎれいな戦争絵巻になってしまいます。複数のプレーヤーが演じるゲームのようなものにです。
地獄図のなかで展開される戦争の素顔を土台において、全体像に迫る道を私は求めているのです。
旅順要塞の第一次総攻撃について、次のように書かれています。
準備不足のもとで突撃を重ねた結果、日本軍はこの八月の第一回総攻撃で参加戦闘総員五万七○○人のところ、一万五八○○人の死傷者を出した。たしかに事実には、ちがいありませんし、こう書くほかはないのでしょう。
私がいいたいのは、戦死者を数として束ねる前に、一人一人が名前をもった若者だということを心すべきだということなのです。
先日、『高島郡誌』に記載されている日露戦争の戦死者100名の名簿を紹介しました。戦死場所と日をもとに、無謀な旅順要塞第一次総攻撃で戦死した若者の名前を挙げて、この記事を終わることにします。それとても、「一万五八○○」のうちの、ごくごく一部に過ぎません。
高島市出身の第一次旅順要塞攻撃の戦死者
8月20日
○山室 源治郎 川上村大字日置前 旅順要塞
8月21日
○北村 梅吉 廣瀬村大字長尾 旅順
○横江 菊次郎 安曇村大字西萬木 東鶏冠山
○藤澤 傳治郎 安曇村大字田中 旅順要塞
○日置 鹿蔵 安曇村大字西萬木 旅順要塞
○山本 鶴吉 本庄村大字四津川 旅順
○竹原 岩次郎 本庄村大字南船木 旅順
○中川 萬助 今津町大字今津 旅順
○青谷 重太郎 西庄村大字牧野 旅順
○桒原 元次郎 今市 清国旅順鶏冠山北砲台(22歳)
8月22日
○岡田 亀吉 青柳村大字青柳 東鶏冠山北砲台
○八田 金蔵 高島村大字高島 旅順
○西歳 徳 高島村大字鹿ヶ瀬 東鶏冠山北砲台
○新井 勝吉 川上村大字深清水 旅順
○古谷 徳次郎 川上村大字日置前 東鶏冠山
○小川 友吉 今津町大字弘川 旅順
○上田 興市 剣熊村大字浦 旅順
○鳥居 宗七 百瀬村大字知内 旅順要塞
○兼子 捨松 藁園 清国東鶏冠山付近 (27歳)
○清水 音治郎 太田 清国東鶏冠山付近 (31歳)
8月23日
○安本 孫吉 剣熊村大字野口 盤龍山
8月24日
○入江 初次郎 廣瀬村大字上古賀 旅順
○薬師川 彌市 安曇村大字田中 旅順
○小島 松之助 青柳村大字下小川 盤龍山西砲台
○岡本 常吉 朽木村大字麻生 盤龍山
○山田 長蔵 今津町大字藺生 盤龍山
○久保井 友吉 西庄村大字寺久保 盤龍山
○木下 龍之介 西庄村大字下開田 盤龍山
以上です。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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