お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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本を読んですごす冬の日に2009/12/11

 年末まで行事を様々控えて休むタイミングが難しいのですが、今日、休むことにしました。
 12月になってまだ11日。私は一ヶ月経ったぐらいの気分です。ブログには書きませんでしたが、集中してモノを考え、そして文章をつくりました。息が切れてきたので、休符を入れました。
 読み返して見ると、自分自身が少しは見えてきます。私はとても思い入れが強く、感傷的、劇場的。・・・いくつになっても変わりません。他人に迷惑をかけないことが大事ですね。

 読みたい本がたまっていきます。
 買った本はいいけれど、 『坂の上の雲』の開始にあわせて、10冊ばかり図書館から借りてきました。あと一週間たらずの返却期限です。

○白井久也『明治国家と日清戦争』(社会評論社1997年)
○古屋哲夫『日露戦争』(中公新書1966年)
○福井雄三『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実 明治と昭和の虚像と実像』(主婦の友社2004年)
○平間洋一『日露戦争が変えた世界史 「サムライ」日本の一世紀』(芙蓉書房出版2004年)
○コンスタンチン・サルキノフ著鈴木康雄訳『もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から』(朝日新聞出版2009年)
○原田勝正監修『近代日本の分水嶺 日露戦争の事典』(三省堂1986年)
○太平洋戦争研究会編・平塚柾緒著『図説 日露戦争』(河出書房新社2004年)
○太平洋戦争研究会編・平塚柾緒著『写説 日露戦争 「日本外交」総力戦』(ビジネス社2006年)<
○太平洋戦争研究会編・平塚柾緒著『従軍画家が描いた日露戦争』(河出書房新社2005年)<
○太平洋戦争研究会・谷沢永一『写説「坂の上の雲」』(ビジネス社2004年)

 休日なので、一通り目を通すことにしました。

谷沢永一/太平洋戦争研究会「写説『坂の上の雲』」(ビジネス社)2009/12/11

谷沢永一/太平洋戦争研究会「写説『坂の上の雲』」(ビジネス社)
 谷沢永一/太平洋戦争研究会の「写説『坂の上の雲』」は、豊富な写真で、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をほぼ忠実になぞっている。
 まるで映画のメイキングのような本である。
 「乃木と児玉の二○三攻略戦」のつぎの文章には、深く考えさせられるものがあった。
 日本軍兵士の勇敢さの基調には、ある歴史的な精神と事情が波打っている。明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であった。
 明治維新によって誕生した近代国家は、憲法によって国民を兵士にし、そこからのがれる自由を認めず、戦場にあってはいかに無能な指揮官が無謀な命令をくだそうとも、服従以外になかった。それでも明治の庶民にとってこのことがさほどの苦痛ではなく、ときにはその重圧が甘美でさえあった。

 現象はあくまで現象にすぎないと私は思います。明治6年以降徴兵逃れは後を絶ちませんでした。西南戦争後に、近衛兵の叛乱(竹橋事件)が起こり、これらを予防するために『軍人勅諭』などの思想統制の徹底が行われました。
 国家が意図的に創り上げた異常な状態や、戦意鼓舞を目的とする宣伝を鵜呑みにするような叙述には、疑問を感じるのです。

「赤紙」(召集令状)が記憶する戦争2009/12/11

「赤紙」(召集令状)
 去る12月8日は68年目の真珠湾攻撃の記念日でした。太平洋戦争の開始です。この結果、犠牲となった日本人は310万人、アジアの人々には2000万人を超える被害となりました。会場で配られたチラシのなかに、「赤紙」(召集令状)を見つけました。
 血のように真っ赤な赤紙は、戦争の素顔を、いまも伝えています。

Franz Schubert Impromptus op.90 D.8992009/12/11

ケンプに捧げられた演奏曲集
シューベルトの即興曲集。作品80。D.899
多くの人たちに親しまれた曲集です。
私が最初に聞いたのは、SPからLPに復刻したもの。
シュナーベルなのか、フィッシャーなのか、
もう忘れてしまいました。
それにしても、古い話です。

10代の私は、ベートーヴェンのような
硬派のものを聞いていて、
シューベルトにはなじめませんでした。
ほかにLPもなく、聴き続けているうちに、
突然、目が熱くなる体験をしました。

かなえられることのない願いへの執拗な憧れ。
あきらめとの終わることのない交差。

その当時の私の心境とシンクロしたのでしょうか。

今日は、ヴィルヘルム・ケンプで聴きました。
これはLPからCDに復刻したものでした。

聴くうちに同じような思いがこみ上げてきます。
口にできない願いが心にあふれて
抑えようとする手を振り払います。
しかし、最後はあきらめるしかありません。

音楽は隠れた思いまで裸にしていくようです。

多木浩二 『戦争論』(岩波新書1999年)2009/12/12

多木浩二 『戦争論』(岩波新書1999年)
多木浩二『戦争論』を買ってきました。
いまからちょうど10年前の1999年に出版されています。
『戦争論』という名前から、
クラウゼヴィッツの名前が浮かびます。
おなじ『戦争論』という名前の古典的名著の著者。
プロイセンの軍人です。
森鴎外が読み、軍の要請で翻訳したはずのものです。
ロシアではレーニンが高く評価し、
その基本的テーゼを肯定的に用いています。

私はのんきなもので、クラウゼヴィッツの現代における
位置について考えたことがありませんでした。
そのテーゼ『戦争は政治の継続である』
そのまま受け入れていたわけです。

多木浩二氏は、冒頭から、それを俎上にのぼせています。
 戦争を政治の延長と見なしたこ、それはとりもなおさずクラウゼヴィッツにとって、戦争が国家間の政治外交的関係を進める上で、当然ありうるものだったことを意味する。戦争を悪と見なすことは、彼の理論の範囲内ではありえない。クラウゼヴィッツは戦争を合目的化していたのである。近代国家の指導者たちは、戦争の合法化、合目的化という意味で、クラウゼヴィッツの考え方からはなれることができなかった。それは戦争の様相が変わってしまった今日でも、メンタリティのなかに残っている。

なるほど、そうですね。
先を読むのが楽しみです。

Horowitz plays Chopin vol.12009/12/17

Horowitz plays Chopin vol.1
緊張がつづきましたから、疲れています。
疲れに気がつかないほど・・・。
久しぶりに自室の机に座りました。
ブログを書かないなんて珍しいことです。

12月の前半は、不思議な時間をすごしました。
そして、それも一区切りがつきました。

体と神経は癒しを求めています。

自分自身の世界にもどり、
静かに考えたいことがたくさんできました。

別世界から自分の世界へのゲートを
なにで開ければいいのでしょうか。
どうすれば、まぶしい世界から、
落ち着いた世界にもどることができるでしょうか。

ホロヴィッツのショパン。
心のツボを知り尽くした不道徳な音楽に聴こえます。
抵抗があって、あまり聴かないのですが、
いまの私は、ホロヴィッツの弾く練習曲作品25の7に
心をゆだねています。

音楽が終わるとき、私は戻ってこれる気がします。

駐車場のネコを撮りました2009/12/17

駐車場のネコ
駐車場でネコを見つけました。
仕事を始めるまでまだ時間があります。
それで、カメラを取り出しました。
ネコは・・・逃げません。
手を振ると、近づいてきます。
すると、また一匹が登場。
うれしくて手をだすと、じゃれて爪がでてきます。
前みたときより、ずいぶん大きく成長しましたね。

左のネコの目がいいですね。

本とブログと生きた会話と2009/12/17

たいしたことを書くわけではありません。
二週間にわたって、生きた会話を楽しみました。
ここ数年なかったことです。

本はインプット専門。
ブログはアウトプット専門。
・・・もちろんコメントはいただきますが。

生きた会話はその場で消えていきます。
しかし、一瞬一瞬のやりとりが感情とむすびつき、
心地よい気持ちにさせてくれます。

それがしばらくブログから遠ざかった理由です。

つながることの難しさをかかえるようになった時代。
つっこんだ会話が異なる世代の間で
生まれたことが不思議でした。
それがようやく一段落。お疲れ様でした。

こういう経験を大切にしたいと思いました。
さて、次はどういう人とつながるのでしょうか。

Sviatoslav Richter : Beethoven piano sonata №17 "Tempest"2009/12/18

Sviatoslav Richter : Beethoven piano sonata №17 "Tempest"
ベートーヴェンのピアノソナタ「テンペスト」を聴きました。
スビャトスラフ・リヒテルの演奏。

自分の気分が求める音楽を拾って車に載せました。
それが、テンペスト。
心は嵐(テンペスト)を求めているのです。

仕事場までの短い時間、全曲を鳴らすことはできません。
車がたてる騒音は、ピアニシモを消し去ります。
途中で第三楽章だけ聴こうと思いました。

同じ音型でも、控えめにためらうように始まり、
加速し、低音を響かせて、進んでいきます。
しかし、無神経な突進とは無縁のもの。
泣きがら走っているわけでもなく、
笑いながら走っているわけでもありません。
希望は失望と裏腹に存在します。
いろんな感情の色彩をまき散らしながら、
ある特別な思いに突き動かされて進んでいきます。
そして、生きることにも終わりがあるように、
音楽も終わりを迎えます。

・・・私はきっと志向性の明確な生活を
強く求めているのでしょうね。

クリスマス・ケーキ 20092009/12/24

クリスマス・ケーキ 2009
家族4人のクリスマス・イブ。
子ども達とカミさんに服のプレゼント。
ケーキは少し小さめにしました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)