お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「戦争に行った」という誇り ~出征軍人と刻まれた墓碑~2010/11/05

階級名だけでなく「出征軍人」と刻まれた墓碑@石山霊園
 従軍記章というものがあるのを知っています。戦争に行ったことで、年金などもついたことでしょう。戦死されたわけではないのでしょうが、「出征軍人」と刻まれた墓碑を見つけました。
 残念ながら、碑文は陰に隠れて読むことができません。
 なぜ、こう刻んだのか。
「戦争に行った」という誇りを刻んだのか、そのことを忘れてほしくないと遺族が思って刻んだのでしょうか。
無縁仏となった墓碑が集められているところなので、碑文の続きを読むことができません。刻んだ遺族の思いを半ばしか受けとめられない気がしました。

コメント

_ やつしろ ― 2010年11月05日 13時31分56秒

出征をすることが、表面的には、その時代的には、社会的には、どんな名誉なことであったか!
シナ事変、大東亜戦争の初期には、出征兵士を、郷土では挙って歓呼の声で送り出しました。
学校の子供は授業をやめて、旗行列で駅まで見送りました。
男の子は、「僕も大きくなったら・・」と、目を輝かしていました。本当に、そう思っていたのです。(戦局が、好都合に、報道されていましたから・・・)

考えてみたら、恐ろしい時代だったのです。国の思うように、国民は、完全にマイルドコントロールされていました・・・・

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年11月08日 18時55分36秒

コメントありがとうございます。
自ら体験されたことだけに、どれほどの値打ちがあるコメントか知れません。
いつまでもお元気でと思う毎日です。
私が恐ろしく思うのは、逃げ場のないことです。
出征兵士を入営する営所まで助役が送り届けたという記事を、どこかの町史で読みました。ご丁寧なことだと最初は思いましたが、ほんとうは逃げることを許さないために、助役が責任を負わされたということではないかと思います。
ネットで旧い文書を検索していると、営所から逃亡した兵士の記録が載っていました。もちろん、軍隊の内部報告です。それによると、逃げたはいいけれど、故郷の自宅に戻れず、幼いころになじんだ神社の境内で死んでいたとのことでした。
国の政策に反対する者の生存の可能性を奪う仕組みは、憎むべきものです。マインドコントロールという言葉が広がったのは、あのいいかげんな宗教団体の被害の結果でした。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)