お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
棚田のログハウスにて ~TPP、尖閣諸島、千島問題を考える~ ― 2010/11/08
棚田ののどかな風景は永久に続くものではないのかも知れません。それは、遠く離れた場所で、運命を変えられようとしているからです。
ちなみに、TPPとは、「環太平洋戦略的経済連携協定」のことです。日常的にもなじみのない話ですが、それへの参加をめぐり、政権が揺れています。問題の焦点は、日本農業の再生と両立するかどうかです。
関税を撤廃し、例外品目をなくすということになれば、日本の食糧自給率は上がるどころか、14%まで落ち込むというのが、農水省の試算です。
私は、参加に反対です。
私が注目したのは、尖閣列島問題、千島列島問題とは異なる世論とマスコミの反応が出ていることです。国際的道理と国民的利益を貫くという観点からは、私には同一の思えるのです。
尖閣列島も、千島列島も、日本の固有の領土であり、そのことを率直に国際社会に伝えて、道理にもとづく解決をもとめるべきものです。TPPは、食料主権の確立という国民的国家的利益の核心にかかわる問題です。
ただTPPについては、輸出を主にする大きな企業にとっては、利益となるものであり、一部の企業の利益と国民的利益が鋭く矛盾する側面もあります。それが、マスコミの論調にあらわれているように思えます。
民主党政権への希望は失望と幻滅に変わっています。普天間基地移転問題、最近では八場ダムなど、そのブレは国際的にも失笑を買うはずです。しかし、それは、一政党の浮沈の問題にとどまらないことでしょう。長くつづいた自民党政権もそうですが、この一年の民主党の失政により、庶民の未来から多くのものが失われていこうとしています。
私として、なにができるのか---せめて声をあげなくてはと思うのです。
ちなみに、TPPとは、「環太平洋戦略的経済連携協定」のことです。日常的にもなじみのない話ですが、それへの参加をめぐり、政権が揺れています。問題の焦点は、日本農業の再生と両立するかどうかです。
関税を撤廃し、例外品目をなくすということになれば、日本の食糧自給率は上がるどころか、14%まで落ち込むというのが、農水省の試算です。
私は、参加に反対です。
私が注目したのは、尖閣列島問題、千島列島問題とは異なる世論とマスコミの反応が出ていることです。国際的道理と国民的利益を貫くという観点からは、私には同一の思えるのです。
尖閣列島も、千島列島も、日本の固有の領土であり、そのことを率直に国際社会に伝えて、道理にもとづく解決をもとめるべきものです。TPPは、食料主権の確立という国民的国家的利益の核心にかかわる問題です。
ただTPPについては、輸出を主にする大きな企業にとっては、利益となるものであり、一部の企業の利益と国民的利益が鋭く矛盾する側面もあります。それが、マスコミの論調にあらわれているように思えます。
民主党政権への希望は失望と幻滅に変わっています。普天間基地移転問題、最近では八場ダムなど、そのブレは国際的にも失笑を買うはずです。しかし、それは、一政党の浮沈の問題にとどまらないことでしょう。長くつづいた自民党政権もそうですが、この一年の民主党の失政により、庶民の未来から多くのものが失われていこうとしています。
私として、なにができるのか---せめて声をあげなくてはと思うのです。
コメント
_ やつしろ ― 2010年11月08日 23時28分31秒
_ BIN★→やつしろさん ― 2010年11月08日 23時39分44秒
おっしゃるとおり、楽しい日を送ってきました。
ご健脚、恐れ入ります。
では、お言葉に甘えて、12日に日程を開けることにします。
時間については、またご連絡いたします。
ご健脚、恐れ入ります。
では、お言葉に甘えて、12日に日程を開けることにします。
時間については、またご連絡いたします。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
世間が閉塞で、空白の時、あそこだけがキラキラと輝き、生きる喜びに満ちていたように感じました。
日本中が、そんなになるのは・・・いつのことでしょうね・・・
足の引っ張り合い、けなし合い・・ホントに国政はどうなっているんでしょうね?
昔は、学生や若者に、もっと力があった。
働く者も、希望に輝いていた・・・・駄目な世の中ですね。
今日、剣熊の忠魂碑の確認に行って来ました。
大正12年建立の立派なものでした。
相当高い処にあるので、石段大変でした?
忠魂碑を挟んで、シナ事変の墓(両方とも「碑」となっていました。)
単なる、遺体を埋めた印の「墓」ではなく、ある事実を記念して文を記した「碑」なんですね。
あんな高い処に、建立するのは大変だったでしょうが、残された人の心意気なんですねえ。
所で、11日、12日だけ、時間があります。
もし天気と都合が良ければ、電話してみて下さい。