お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「慰霊碑」@広瀬神社2010/12/02

「慰霊碑」@広瀬神社
広瀬神社の慰霊碑。

隣に由来を記したボードがおかれている。そこに書かれているのは次のことでした。
慰霊碑
 昭和二十四年、当地方出身戦没者一四四九柱が合祀され、その十周年記念事業として三十四年遺族会の発起で建設された。制作は郷土出身の彫刻界の大家・帝室技芸員・故朝倉文夫翁のご厚意になるもので、碑面に大書された「慰霊」の二字は特に翁が精魂を打ち込んで揮毫されたものである。碑に配置された五つの石は、「仁・義・礼・智・信」の五字をかたどり、裏面の大小の石は、「忠・孝」の二字をあらわし、翁が自ら厳選した秘蔵の岡山県産御影石を御寄贈されたものである。

3月のチー2010/12/02

3月のチー
仔猫時代のチーの写真を
もっと撮ればよかったと
何度も思います。

わが家に来て2ヶ月目で、
すこしは元気になったときです。

目が鋭く(お昼だから仕方がないですが)
怖~い感じがします。

山川招魂社における西南戦争戦死者の墓碑から16柱2010/12/02

福岡県久留米市にある御井(みい)町。
サイト「御井町誌」に注目しました。
目次から「第三章 石は語る」
→「二、上町」と進むと、
「十九、山川招魂社」が出てきます。
ここに、佐賀の乱鎮圧と西南戦争で
戦死した官軍の墓碑がおかれています。

西南戦争の墓碑は、242柱。
軍夫のものもあります。
碑文が収録させていて
参考になりました。

クリック→「御井町誌」

*追記

私がメインとする調査フィールドは、
大津市(志賀町を含む)高島市(高島郡)です。
また、大津に営所をもつ陸軍歩兵第九聯隊です。

第九聯隊関係の墓碑は、山川招魂社に16柱
そのうち、高島市(高島郡)出身者3名で、
志賀郡志賀町(現在は大津市)出身者は1名でした。
245 陸軍少佐 従六位津田正芳之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊長心得
    明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国
    山本郡植木負傷後四月十日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    福岡縣豊前国仲津郡豊津士族
大津に営所があった歩兵第九聯隊の
初代の聯隊長(心得)の墓碑がここにあるのです。

その他、第九聯隊の戦死者。16柱
89  陸軍歩兵 中村広吉之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第八中隊
    明治三年三月九日於熊本縣下肥後国
    山本郡田原坂負傷後同月十四日福岡
    縣筑後国久留米病院二於テ死
    滋賀縣近江国甲賀郡水口村平民
91  陸軍歩兵 加藤勝次郎之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第一大隊第一中隊
    明治十年三月九日於熊本縣下肥後国
    山本郡田原坂負傷後同月十五日福
    岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    三重縣第八大區五小區船山村平民
97  陸軍兵卒 辻村松次郎之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第三中隊
    明治十年三月七日於熊本縣下肥後国
    山本郡田原坂負傷後同月廿五日福岡縣
    筑後国久留米病院二於テ死
    三重縣伊勢国一志郡新家村平民
99  陸軍兵卒 近藤伴吉之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第三中隊
123 陸軍兵卒 若林弥佐次郎之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第四中隊
    明治十年三月十九日於熊本縣下肥後国
    玉名郡横平山負傷後同月廿一日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    滋賀縣近江国犬上郡八坂村平民
134 陸軍兵卒 屋島五次郎之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第四中隊
    明治十年三月十五日於熊本縣下肥後
    国玉名郡横平山負傷後同月十九日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    滋賀縣近江国高島郡辻澤村平民
136 陸軍兵卒 山中鹿蔵□□
    大阪鎮臺後備□□□□□□第二□□第四
    □□
    明治十年廿日福□縣ー
    筑前国山家ニテ病□ー
    滋賀縣近江國甲□□大寺村平民

138 陸軍兵卒 山中鹿蔵之墓
    大阪鎮臺後備歩兵第五大隊第四中隊
    明治十年十月廿日福岡縣下筑前国山鹿二於テ病死
    滋賀縣近江国甲賀郡三大寺村平民
    (136と同一人かと思われる)
171 陸軍兵卒 太田音次郎之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第四中隊
    明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国
    玉名郡横平山負傷後四月十三日福岡縣筑後
    国久留米病院二於テ死
    三重縣伊勢国飯高郡下村平民
183 陸軍兵卒 中村銀蔵之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第一大隊第二中隊
    明治十年三月九日於熊本縣下肥後国
    山本郡田原坂負傷後四月六日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    滋賀縣近江国高島郡地子原村平民
186 陸軍兵卒 萩 嘉右衛門之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第一中隊
    明治十年三月六日於熊本縣下肥後国
    山本郡田原坂負傷後四月六日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    三重縣伊勢国三重郡川北村平民
203 陸軍兵卒 鋒山宇吉之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第二中隊
    明治十年三月十八日於熊本縣下肥後国
    山本郡田原坂負傷後四月十二日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    滋賀縣近江国犬上郡金屋村平民
205 陸軍兵卒 津曲辻松之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第一大隊第二中隊
    明治十年三月九日於熊本縣下肥後国
    山本郡田原坂負傷後四月十二日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    三重縣志摩国荅志郡岡崎村平民
213 陸軍兵卒 駒井新吉之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第二中隊
    明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国山本郡田原
    坂負傷後同月廿九日福岡縣下筑後国久留米病院二
    於テ死
    滋賀縣近江国高島郡北舟木村平民
219 陸軍兵卒 杉山庄治郎之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第三大隊第二中隊
    明治十年三月二十三日於熊本縣下肥後国山本郡半
    高山負傷後同月卅日福岡縣筑後国久留米病院二於
    テ死
    三重縣第四大區三小區本郷村平民
221 陸軍喇叭卒 川中槌松之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第一中隊
    明治十年三月七日於熊本縣下肥後国
    山本郡田原坂負傷後同月三十一日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    滋賀縣近江国滋賀郡西浜村平民
236 陸軍兵卒 増田元之吉之墓
    大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第四中隊
    明治十年三月十五日熊本縣下肥後国
    玉名郡横平山負傷後四月二日
    福岡縣筑後国久留米病院二於テ死
    滋賀縣近江国愛知郡三津村平民

『高島郡誌』には、以下の15名が西南戦争の戦死者として掲載されています。
 ①剣熊村 2名 谷口筆松(山中)、谷口由造(野口)
 ②海津村 1名 南部由松(海津)
 ③西庄村
 ④百瀬村 1名 中川寅吉(知内)
 ⑤川上村 1名 大森六蔵(日置前)
 ⑥今津村 1名 古我梅治郎(大供)
 ⑦三谷村 
 ⑧饗庭村 1名 尾島五次郎(熊之本)
 ⑨新儀村 1名 清水清五郎(藁園)
 ⑩本庄村
 ⑪青柳村 1名 中井藤吉(青柳)
 ⑫安曇村 2名 岸嘉七(西万木)、日置住吉(三尾里)
 ⑬広瀬村 1名 井上亀吉(上古賀)
 ⑭水尾村
 ⑮大溝村 1名 内田幸吉(永田)
 ⑯高島村
 ⑰朽木村 2名 仲村銀蔵(地子原)、朽木雄六(市場)
高島郡出身者だけを取り上げれば、尾島五次郎、中村銀蔵そして駒井新吉の3名の墓碑が山川招魂社に存在します。しかし、駒井新吉は墓碑が存在するのに『高島郡誌』の名簿に欠落しています。
 ちなみに『大津市志』には、駒井新吉の名前があります。ですから、高島郡出身者で西南戦争で戦没した人たちの名簿は、その後判明した分を含めて、作成しなおす必要があります。  名簿のなかで、個人墓碑を見つけたのは、あと日置住吉です。旧真田山陸軍墓地にあります。記事は→ここ

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)