お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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「1名の将校と14名の下士官、そして204名の兵卒」の日清戦争 その2 ~旅順口、大連湾、柳樹屯そして劉家店~2011/08/22

柳樹屯で死亡した陸軍歩兵一等軍曹元武勇の墓碑がある下士官の墓地
 4月11日と13日に分かれて廣島の宇品港を出港した歩兵第九聯隊は、4月14日と16日に大連湾に到達します。しかし、そこに上陸はしませんでした。
 翌17日には、日清講和条約、いわゆる下関条約が締結され、清国は巨額の賠償金を払い、遼東半島と台湾を日本に割譲する約束をしました。大連湾の第4師団(第九聯隊を含む)が、戦うべき戦争は終わっていたのです。
 第九聯隊は中国の心臓部へ向かわず、そのまま遼東半島の守備につくことになり、柳樹屯に上陸しました。そこに着くまでに、さらに3名が亡くなりました。
 4月17日 旅順口 一等卒 山本 重太郎(181)
 4月21日 旅順口 一等卒 駒澤 榮太郎(79)
 4月21日 大連湾 一等卒 隠岐 四郎(44)
 柳樹屯への到着は、公式には、22日と23日になっていますが、墓碑を見ると、その日付よりも早く、亡くなっている兵卒がいます。それは、この場所に、柳樹屯兵站病院があり、そこに重篤患者が運ばれためだと思われます。
 上陸して一週間、「柳樹屯」だけで、一等軍曹を含む13名の若者が病死しています。
 4月 6日 柳樹屯 一等卒 森田 阪松(199)
 4月16日 柳樹屯 上等兵 増岡 竹治郎(166)
 4月17日 柳樹屯 二等卒 木村 市太郎(117)
 4月20日 柳樹屯 一等卒 森田 友次郎(45)
 4月20日 柳樹屯 二等卒 中川 周太郎(141)
 4月21日 柳樹屯 一等卒 津崎 辰之助(83)
 4月23日 柳樹屯 二等卒 前川 藤市郎(62)
 4月24日 柳樹屯 一等卒 森田 徳太郎(123)
 4月24日 柳樹屯 二等卒 吉田 市松(195)
 4月24日 柳樹屯 一等卒 田井中 重吉(198)
 4月25日 柳樹屯 一等軍曹 元武 勇(B05)
 4月26日 柳樹屯 一等卒 菊本 萬次郎(43)
 4月27日 柳樹屯 上等兵 川富 吉之(15)
 上陸地である柳樹屯だけではありません。
 「劉家屯」で、4月22日から4月29日までのわずかの間に、17名が次々と亡くなっています。
 4月21日 劉家店 一等卒  吉川 源一郎(128)
 4月22日 劉家店 二等卒  宮嶋 作彌(69)
 4月25日 劉家店 一等卒  浦谷 亀太郎(6)
 4月25日 劉家店 一等卒  中川 安次郎(53)
 4月25日 劉家店 二等卒  木村 忠氏(60)
 4月25日 劉家店 一等卒  山本 松之助(92)
 4月25日 劉家店 二等卒  西嶋 卯之助(95)
 4月25日 劉家店 輜重輸卒 高橋 伊之助(伊香郡片岡)(113)
 4月25日 劉家店 上等兵  村田 喜治郎(118)
 4月25日 劉家店 一等卒  鎌田 辰治郎(162)
 4月26日 劉家店 一等軍曹 矢杉 安太郎(B09)
 4月26日 劉家店 一等卒  西村 小太郎(89)
 4月28日 劉家店 上等兵  坂口 房吉(11)
 4月28日 劉家店 二等卒  平岩 作次郎(56)
 4月29日 劉家店 二等卒  木下 京松(147)
 4月29日 劉家店 一等卒  里内 松太郎(107)
 4月29日 劉家店 一等卒  中澤 忠右衛門(67)
 なぜ「劉家店」なのか、そこには、なにがあったのか。
 もちろん、戦闘ではありません。病院があったのです。
 「第四師団野戦病院経歴書」には次のような記述が見つかりました。
第四師団第二野戦病院 明治二十七年十二月三日動員完成 第四師団中ニ在テ二十八年二月二十五日衛戍地ヲ出発同日広島ニ到リ四月十二日宇品ニ於テ乗船同月二十三日柳樹屯ニ上陸 四月二十四日劉家店ニ進ミ同日劉家店避病室開設四月二十六日沙家屯ニ至ル 同日沙家屯舎営病院開設 同月三十日皮子窩ニ至リ皮子窩舎営病院開設・・・」

 第九聯隊の兵卒・下士官は、出発前から、または船中から、重大な病気に犯されていたと思われます。出発前に3名、船中で1名、宿営地への上陸をまたずに3名、上陸地点の柳樹屯で13名(4月)、さらに進んで劉家店で17名が亡くなり、次回紹介しますが、宿営地の沙家屯でも4月だけで16名が亡くなっています。
 それ以外の場所でも、4月24日から29日の間に、二等軍曹をふくむ9名が亡くなりました。
 4月24日 金州 上等兵 川勝 善吉(84)
 4月26日 金州 二等卒 胡内 梅太郎(81)
 4月26日 花家屯 一等卒 稲生 竹蔵(177)
 4月27日 花家屯 二等軍曹 中川 彌三郎(B01)
 4月27日 林家屯 一等卒 宇野 治良吉(109)
 4月27日 林家屯 一等卒 阪口 吉松(152)
 4月28日 孫家屯 二等卒 石田 嘉市(93)
 4月28日 孫家屯 一等卒 小嶋 房吉(108)
 4月29日 蔡家店 一等卒 向井 二助(42)
(さらに続く)

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)