お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「1名の将校と14名の下士官、そして206名の兵卒」の日清戦争 その6 ~タイトルの意味~2011/08/24

 『「1名の将校と14名の下士官、そして206名の兵卒」の日清戦争』というタイトルの意味について、書きたいと思います。
 「1名の・・・」は、旧大津陸軍墓地に存在する日清戦争で亡くなった将兵の墓碑の数を意味しています。その一人ひとりが日清戦争でどういう亡くなり方をしたのか知りたいと思いました。それで、2007年に調べ始めました。今回あらためて、その続きをしたいと思ったのは、亡くなった兵卒の一人、中村林蔵さんの関係者の方から、連絡をいただいたことがきっかけでした。資料も写真で送っていただきました。感謝します。
 それらを見ながら、一人の兵卒には、実際の死の物語と死後の物語があることに気がつきました。
 実際の死の物語とは、自らの行動を自ら決める立場にない兵卒が、国が望むままに動かされ、無残な死をどうして迎えたのかという物語です。お気づきでしょうけれど、それは英雄譚ではありません。
 死後の物語とは、本人ではなく、国家や社会が家族をまきこんで、つくりだす物語です。いいかえれば、兵卒ではなく、「英霊」もしくは「軍神」の物語です。
 この二つの物語は、(すべての人がそうだとは言えませんが)、旧大津陸軍墓地にある墓碑と民間墓地に存在する墓碑によって象徴されています。前者は、腰の高さにも及ばない良質とはいえない素材の墓碑です。後者は、巨大で「軍神」にふさわしいものです。
 私は、これら二つを一つの流れとして書きたいと思っています。
 最初に戻りますが、亡くなった人の墓碑の数はタイトルのとおりですけれど、一人ひとりの死の意味は、数ではかれるません。私は、それぞれの死の状況を、可能なかぎり具体的に追いたいという思いをもっています。私の手掛かりは、墓碑に刻まれた死亡場所と死亡年月日だけでした。情報をよせていただける方ができたことで、探究は前に進み始めました。
 戦病死された方に失礼のないように心がけるつもりでいます。以上のよな点をご理解いただき、今後ともご協力をお願いします。
C06061821000

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)