お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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広大な放射線影響研究所の敷地にて2011/09/27

放射線影響研究所@比治山
 「比治山下」の市電の停車場から、だらだらと曲がった坂道を山頂めざして歩く。途中に駐車場があり、車で来たほうがよかったのかと思ってしまう。
セミの声がいきなり身近で聞こえる。「9月末なのに」と思ってみると、透明な羽をもった小さなセミが縁石の上で鳴いている。一休みのつもりで撮影。
 しばらくすると真上の視界が広がる。頂上は平地で広大になっている。そこに現代的な建物が見える。「放射線影響研究所」である。元となったのは米軍の施設。人間のうえに原爆を投下しその影響を研究するために、陸軍墓地を破壊して造られた施設である。Atomic Bomb Casualty Commission。略称は、ABCC。原爆傷害調査委員会である。 ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなく、 ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなったという。
 素っ気ない告知板の訳が納得できる。
 研究所の通用門に立って見る。墓地の方向がわからない。気配がないからだ。
 しかたなく、施設の正門へ。休日なので入ることはできない。見渡すと、広大な敷地は格好のジョギングコースとなっていて、散歩したり、ジョギングする人がいる。
 市民墓地の方向から登ってきた人に、陸軍墓地の場所をたずねた。研究所のまわりをもう少し回れば、入り口が見えるという。
 たしかにそのとおりだった。

 かつてこの研究所とその向こうに見えるNHKの電波塔のあたりまで、比治山陸軍墓地が広がっていたという。あらかじめ読んで知っていたはずなのに、注意して観察してこなかったことを後悔する。墓地の入り口だけ撮影して、その周囲との関係は撮らずに戻ってきた。現在の墓地はあまりに小さい。米軍の建てたかまぼこ形の建物はいまも健在。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)