お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「透明化」するまえの異議申し立て2013/02/08

大津市には自衛隊駐屯地があります。
2012年12月28日に、駐屯地から
大津市に電話連絡がはいったそうです。

2013年1月1日から
隊員の通勤時の服装を、
戦闘服(迷彩服)に変更すると。

地域住民は、果敢にも、駐屯地にその説明を求めました。
自衛隊側はこれに応じ、
駐屯地内で、説明会が行われました。

しかし、変更の理由と根拠をめぐり
住民の納得できる説明はなく、物別れとなりました。

自衛隊は強行。

近隣の二つの学区の住民は、
「自衛隊の戦闘服通勤はやめての会」を結成。
2013年1月7日に、住民は大津市長を訪問。
自衛隊に戦闘服での通勤を中止するよう
求める要請書を提出しました。

私は年末から1月末まで今津にいました。
そこには、大津市より大きな駐屯地があります。
大津市から高島市にむかうには、
161号線を利用するのが便利です。

ときに軍事車両と数十台すれちがうこともあります。
幼いころから、自衛隊のエキジビションに
連れて行かれたことがあったので、
アレルギーが少ないほう(笑)だと思いますが、
軍隊のもつ威圧感は特別なものです。

高島市では砲声が頻繁に聞こえます。
もちろん、ときによりますが。
住民と旅行者の違いは、一目でわかります。
一発目でドキッとし、二発目で外を見渡し、
三発目で近くの人の顔をみる。
四発目で自分だけが不安を感じるのかと
疑問に思い、「あの~、花火ですか」
と聞いてみる。

地元の人たちには、演習は「透明化」しているのです。

軍隊という存在を日常化し、「透明化」させないために
住民は意義を申し立て。

私もその異議申し立てには賛成です。

コメント

_ ひろし ― 2013年02月24日 20時01分29秒

迷彩服姿の自衛隊員(外国では兵隊さん)がフツーに町を歩いてるてことは 平和な状態ですね 戦争になれば草つけて隠れますから 日本は今は平和で良かったです 隣国に基地外国家が何カ国かあるのが嫌ですが( ̄○ ̄;)

_ BIN★→ひろしさん ― 2013年02月25日 18時16分09秒

コメントありがとうございます。

シェフがその姿で通勤すれば異様です。厨房の外は、当たり前のことですが厨房ではなく、料理をつくる服装は必要ないからです。
そして、料理場でシェフが白衣に着替えるように、兵隊さんは平服で駐屯地に通勤し、そこで迷彩服に着替えていました。この国では、軍隊の存在を認めていないからです。少なくとも現憲法のもとでは。
「自衛隊」という呼称は苦肉の策であり、駐屯地は例外的な土地になるのです。
その区別をなくすのは、どういうことなのか。
例外の土地の規則を普通の土地でも通用させることになるのではないか。
もはや、軍隊が普通に存在して当たり前の国にすることではないのか。
そういう危惧です。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)