お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「二等卒柴田久治郎墓」@旧大津陸軍墓地F012008/10/31

「二等卒柴田久治郎墓」@旧大津陸軍墓地F01
柴田久治郎は、これまでの兵卒とは経歴がちがいます。
まずもって「士族」という文字が見えます。
そして、壮兵の五大隊に所属していた後備兵でした。
西南戦争のときに臨時に召集され、大津営所に転属となり、
そこで亡くなっています。
現役兵ではありませんから、亡くなった年齢も
二十五歳と高めです。



和歌山縣紀伊國牟婁郡@@@村士族柴田九蔵@@明治十年三月五日臨時應召集大坂鎮台後備歩兵五大隊入営同年四月同隊第六大隊@称同隊同年六月十四日大津営所ニ轉同年八月廿七日羅病没於大津営所病室没時年二十五歳又六ヶ月

「陸軍兵曹藤井六蔵之墓」@旧大津陸軍墓地F022008/10/31

「陸軍兵曹藤井六蔵之墓」@旧大津陸軍墓地F02
藤井六蔵は、大阪鎮台に属する下士官ではありません。
石川県出身で名古屋鎮台の所属。
なのに、なぜ、大阪鎮台大津営所付埋葬地に葬られているのか。
これが、私が知りたいことでした。
碑文のなかに「西南之役」と「病没」いう文言がはいっています。
これが答えを与えてくれる気がします。

この碑は、右側面と左側面に個人履歴が刻まれています。
下は、左側面の一部。


「名古屋鎮台後備歩兵第四大隊第四中隊」と刻まれています。
墓碑文の形式が、大坂鎮台第九聯隊とはちがうようですね。
下は、右側面の一部です。



石川縣越前國南條郡@阪村@藤井@@三男@@@明治十年西南之役臨時徴募應同六月十二日@@@@病没

「矢田権助墓」@旧大津陸軍墓地F032008/10/31

「矢田権助墓」@旧大津陸軍墓地F03
矢田権助。没年月日は「明治十年一月九日」。



権助者三重縣下農矢田権平次男嘉永@年@ニ月七日生於@@國三重縣西@@村明治七年四月二十五日應徴入営於大坂鎮台第九聯隊第ニ大隊同十年一月九日病没於大津営所病室干時二十有三年@@月

「伊藤定次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F042008/10/31

「伊藤定次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F04
「伊藤定次郎之墓」
この若者も明治九年病死です。



「明治九年十一月廿ニ日」



定次郎三重縣下農伊藤久吉二男安政ニ年二月廿@日生於@@國@@郡三好新田明治八年四月廿@日應徴為大坂鎮台第九聯隊第ニ大隊兵卒同九年十一月廿ニ日病没於大津営所病室干時年廿一年一月

「川端音次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F052008/10/31

「川端音次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F05
「川端音次郎」も明治九年に「病没」
墓碑の右側面には「明治九年十一月二日」の文字。



音次郎和歌山縣下@川端@@@門@@安政元年五月二日生於紀@@國@@郡@@@村明治八年五月@日應徴為大坂鎮台第九聯隊第ニ大隊兵卒同九年十一月二日病没於大津営所病室干時年@@月@@@

「門田清助墓」@旧大津陸軍墓地F062008/10/31

「門田清助墓」@旧大津陸軍墓地F06
「門田清助」は、「明治十年十一月九日」に病死しています。 碑文では、二十三歳。
時期的には西南戦争直後の死です。
碑文を見ると、「明治九年八月」應徴。
墓碑の左側面は風化して、読み取りづらい状態です。
それでも「鹿児島縣」と読み取れる文字があります。
目の迷いでしょうか。

亡くなる直前(明治10年10月7日)に、
「大津営所付埋葬地」が竣功しています。
上段・中段・下段の三段構造で、下段が兵卒の墓地。
なぜ、下段に葬られなかったのか不思議です。
下段に葬られている兵卒の年代を見る必要がありますね。

右側面は、没年月日。



「明治十年十一月九日」と読むことができます。



わずか3行ですが、相当痛んでいて解読困難です。

「乾福松之墓」@旧大津陸軍墓地F072008/10/31

「乾福松之墓」@旧大津陸軍墓地F07
「乾福松之墓」
この墓碑は、碑文の損傷がはげしい方です。
右は歿年月日。



「明治九年九月十二日」とかろうじて読めます。



福松者兵庫縣下@@乾@左衛門@安政元年ニ月@日生於@@國河辺郡@@@@@明治八年@@@@應徴為大坂鎮台第九聯隊第@大隊兵卒明治九年@@月十二日病没於大津営所病室干時二十三年有六月

相当、苦労します。
同じ状態でも、時間が経つと、読めない気がします。
集中力が必要。

「細川弥次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F102008/10/30

「細川彌次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F10
「細川弥次郎
この若者も、明治9年に病死。



右側面はなにも見えない。
コケのせいだろうか。



弥次郎@@@縣下農細川@嘉永六年六月@日生於@@國@@郡@@田村明治七年四月廿四日應徴為大坂鎮台第九聯隊第ニ大隊生兵明治九年十月十五日病没於大津営所病室干時年二十三有五月

「村田良助之墓」@旧大津陸軍墓地F112008/10/30

「村田良助」@旧大津陸軍墓地F11
「村田良助之墓」
この若者も、明治9年になくなっています。

明治9(1876)年の「病死」者は、20名を下りません。
毎月2名もの病死者を20代の若者から出している計算です。
これは伝染病なのか、それとも訓練の激しさなのか。



「明治九年十月十八日」に死亡。
この日から6日後に熊本神風連の乱が起こっています。



良助三重縣下農村田倉吉弟(?)安政ニ年三月十二日生於伊勢國一@郡中林村明治九年四月廿八日應徴為大坂鎮台第九聯隊第弐大隊生兵明治九年十月十八日病没於大津営所病室干時年廿一有八月

「宮川清太郎之墓」@旧大津陸軍墓地F162008/10/30

「宮川清太郎之墓」@旧大津陸軍墓地F16
「宮川清太郎」は、碑文から見る限り、
西南戦争(1877年2月から9月)の最中に徴兵され、
翌年春に病死しています。
死亡年月日は、明治11年4月15日。
このときに、旧大津陸軍墓地は竣工していますから、
Fブロックではなく、正規の場所に葬られると
思うのですが、この場所にあります。

なぜでしょうか?



右側面の死亡年月日は、苔むして
読むことはできません。



碑文はいろんな角度から見て、
なんとか解読できそうです。
あと少し・・・。

清太郎者滋賀縣下近江國坂田郡@@@村農宮川@@@次男安政三年十一月三日生明治十年六月五日應徴為大坂鎮台歩兵第九聯隊第ニ大隊@入営同十一年四月十五日病死於大津営所病室干時二十有一年六ヶ月


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)