お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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アオサギ 22011/09/11

アオサギ
さっきの写真より、このほうがいいのかも。

アオサギ2011/09/11

アオサギ
 細見の体であまり動かないアオサギ。突然、私に気がついて、飛び立ちました。その一瞬の写真。

5月のカモ2011/09/11

5月のカモ
 5月に撮ったカモの写真です。一羽だけが澱んだ水面で、エサを探している様子でした。5月は過ごしやすい季節。9月も同じです。

シルエット2011/08/10

シルエット
なんとなく、顔っぽかたので・・・。

湖岸のカモ2009/07/15

湖岸のカモ
先日、人口のなぎさを歩いていたら、
いきなりカモで出会ってしまいました。
カモは、岸でのんびりしたいた様子。
さっさと水に入って、離れていきました。

せっかく出会えるチャンスがあるのですから、
撮ってみようと思いました。

コンクリートと岩の湖岸なので、
カモには気の毒な気がしました。

せめて、膳所公園ぐらいの砂浜と
ヨシが自生していたらいいのに。

水鳥が来るまであと一月です2009/06/20

新旭の湖岸には水鳥の姿はありませんでした
新旭水鳥観察センターは、癒しのスポット。
しかし、湖岸には水鳥の姿はありません。

センターから湖岸に沿って、サイクルロードが整備されています。



水鳥を観察できる広場もありますが、
いまは人の姿がありません。
夕暮れ時なので、なにか寂しげです。



アジサイが水際にあり、清楚な美しさを見せていました。

ある「足跡」に2009/04/11

これは、どんなトリの足跡なんでしょうね。
今年の3月はじめに一人で琵琶湖岸を歩きました。
そして、砂浜に足跡を見つけました。

灰色の砂浜に、スジ状の痕跡。
トリの姿は見えないし、
まもなく消えていくんでしょうね・・・。

日常的な光景のはずなのに、
私は、大発見したような気持ちになり、
あちこち見て回りました。

こんな生き物の痕跡さえ、
私には新鮮に思えたのです。

同じ琵琶湖でも北湖はいいなぁ。

↓これが北湖の湖岸。


こっち↓は南湖の「なぎさ公園」(人工)

夕方に雪がちらつく寒空に2009/02/16

寒いときには、トリも着ぶくれするらしい
朝方はまだ暖かさを感じましたが、
午後には寒さが身にしみるようになりました。
いつもの散歩道を、ダウンジャケットに
着替えて歩きました。

木立の上に止まったトリも、着ぶくれ模様。
でも、暖かそうですね。

仕事場の先輩のN氏によると、
町中でも「雪がちらついている」とのことでした。
私のイスから見える空は小さく、
雪花を見ることができません。

ひさしぶりにムクドリ2009/02/12

ムクドリ  2月12日に大津市の湖岸にて
高島市で仕事を1月末に終えて、
大津市の仕事場に戻ってきました。

それから二週間が経ってようやく
お昼休みのウォーキングを始める気になりました。
心の緊張がほぐれず、一週間ぐらいは、
終わったはずの仕事の夢を見ました。



高島市の事務所は、琵琶湖に面した絶景の地でした。
(上の写真がそれです)
竹生島が目の前に、遠くには伊吹山が見え、
毎朝、カモやユリカモメの群れをなして、
集会(?)や狩りをしていました。

大津市にもどり、ひさしぶりに歩く
人工の「なぎさ公園」が
とても色あせて見えます。

ムクドリを近くに見つけましたが、
カメラのシャッターを切るのがなぜか照れくさく思えました。

アオサギ2008/11/06

はるか岸辺にアオサギ発見
琵琶湖岸の散歩道から
岸辺でたたずむアオサギを発見。
望遠レンズに付け替えてゆっくり接近。



まだ遠いのに私を見つけたのか、
たちまち飛行姿勢へ。



危害を加えるつもりはなくて、
写真が撮りたいだけなのにと悔しい思いがしましたが、
もう止めようがありません。



飛び立ってしまいました。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)