お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ウォーリズ建築 ~「旧八幡郵便局舎」~2009/10/31

ウォーリズ建築 ~「旧八幡郵便局」~
白雲館の次は、「旧八幡郵便局舎」。
普通の街路に、さりげなくく建っている。
平日で人通りは少なく、見学者だけが
歩いている静かな町並みである。
旧八幡郵便局舎の正面
入り口と隣の窓枠の間に、調和が保たれている。
旧八幡郵便局舎入り口
近づけば近づくほど魅力的・・・。

「ヴォーリーズ展 in 近江八幡」の起点は、「白雲館」2009/10/31

白雲館~鳥居越しに見る~
 「ヴォーリーズ展 in 近江八幡」の出発点は、「白雲館」。
 ここに総合受付がある。
鳥居と白雲館
日牟禮八幡宮の鳥居と重なると、不思議な空間が生まれる。
異なる文化が、小さな枠内に納まるせいなのだろう。
白雲館
白雲館は、すてきな洋館である。
白雲館の入り口
近づけば、単純な洋風建築ではないのがわかる。
木組みは和風で、独特の雰囲気がある。

「おすい」のフタは「まちの顔」 ~近江八幡市の場合~2009/10/29

「おすい」のフタに「まちの顔」 ~近江八幡市の場合~
 「おすい」のフタに、そのまちの顔となるものを彫るというのは、いつからはじまったことなのでしょうか。また、どれだけ普及しているものなのでしょうか。
 大津市の場合は、大津まつりでした。今津町(現在は高島市)は、ザゼンソウ。甲賀町(現在は甲賀市)は、忍者と手裏剣。土山町は、お茶の花でしたね。
 近江八幡市はいったいなんでしょうか。
 興味を持ちながら、まちを歩きました。そして、見つけました。デザインがついている「おすいのフタ」。
 これは・・・水郷の風景かな?

龍遊館2009/10/28

龍遊館
「黒壁」で若者を意識したフィギアのお店。
「龍遊館」というらしい。
「北斗の拳」のケンシローと
大魔神がお出迎え。
なつかしいけれど、私はパス。

鍾馗様ではなくて大黒様2009/10/19

鍾馗様ではなくて大黒様
屋根瓦のうえに、鍾馗様がいるのは
知っていましたが、この姿はちがうようです。
大黒様ですね。

「おすい」のフタは「まちの顔」 ~甲賀はやっぱりこれ~2009/10/15

甲賀はやっぱりこれでした
「おすい」フタが気になって一年。
甲賀町(現在は甲賀市)は、
きっとこんなデザインだと
思ったら、そのとおりでした。
忍者と手裏剣。

期待を裏切る路線がいいのか、
それとも、期待どおりの路線がいいのか。
まあ、甲賀町は、これでいいのだと,
私は納得しました。

ウォーリーズ設計の図書館@水口小学校2009/10/01

ウォーリーズ設計の図書館@水口小学校
 待ち合わせの場所にいくのに、ほとんど迷子状態になりました。電話すると、「近くの建物をいってね」といわれましたので、水口小学校の名前をあげました。それでも、要領をないので、「ウォーリーズの図書館の・・・」と切り出されて、思い出したのです。そうそう、この場所は来たことがあると。
 確か、そのときも、写真をとり、ブログに載せた気がします。
 何年ぶりかのウォーリーズ設計の図書館でした。
 同じアングルかも知れません。この角度しかないんじゃないかと思いました。

巻物に印を結ぶ忍者・・・というコンセプトの駅舎2009/09/29

巻物に印を結ぶ忍者・・・というコンセプトの駅舎
とても駅には見えませんでした。観光センターかなと思っていました。
これが、草津線の油日駅。中学生のデザインが採用されたとか。
しかも、「油日駅を守る会」の市民が管理しているらしいです。こういうのは、温かみを感じますね。駅員がいるのは、午前7時から午後5時まで。

成田牧場にて2009/09/23

甲南インター付近の成田牧場にて
甲南インター近くに、成田牧場の看板。
入場無料なので、立ち寄りました。
牛乳とアイスクリーム、野菜や乳製品
などが、販売中。
子ども達の遊具が少し。
お金のかかっていない施設ですが、
子ども連れの若い夫婦を
多数見ました。

この大きな建物はなんでしょうか?
農業に詳しくない私は見上げるばかり。

龍大町屋キャンパス : そこは懐かしい「我が家」でした2009/07/03

「龍谷大学町屋キャンパス 龍龍(ロンロン)」
区画整理で、中央部に広い道路ができた。
広い道路の両側には、3階以上のビルや家屋。
その隙間に、「龍谷大学町屋キャンパス 龍龍(ロンロン)」がある。



奥まりすぎて、正面にこないと存在がわからないほど。

通り過ぎて、また戻ってたずねることにした。

「今日は学生がいません。町屋喫茶もお休み。
 とりあえず、遠慮なく上がってください」

といわれて、自由に見て回る。

奥行きが深い・・・・でも、なんか感じが・・・。

そうです、私が10代をすごした実家と同じ造り。



床の間に縁側があり、庭がある。
庭を母屋と塀、便所と離れが囲む。
手水の石まで出てみて気がついた。
まったく知った風景なのだ。
台所に通じる木戸、
便所の木戸、そして離れから
見上げた二階の形。

見学者の気分はなくなり、
ただただ懐かしい生家に
立っている気がした。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)