お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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午後の空2010/09/30

国道から離れて農村地域を走りました。好きな道です。
先日、午後に、仕事から解放されました。

少し中途半端ですね。

暗くなるまでの時間、

大津市北部の農村地域を

一人車で走りました。


考え事から解放されたくて。

夕暮れの海岸2010/01/15

熱海市の海岸にて
湖の夕暮れ時はよく知っています。
琵琶湖畔に住んでいますから。

しかし、海には縁が薄いのです。

両親は岐阜県の出身。
岐阜県は海に面していません。
そして、移転先の滋賀県にも
海がありません。

湖も海も、写真では区別がつきにくいと思います。
でも、どことはいえませんが、違いを感じます。

10月の琵琶湖岸(旧志賀町)にて2009/11/19

10月の琵琶湖岸(旧志賀町)にて
10月××日。琵琶湖大橋から北にある旧志賀町を走りました。
ふと思いついて、いつも通るバイパスではなく、
湖岸の縁の細い道を通ることにしました。
そこは、いろんな企業や団体の保養地となっていたところ。
だが、そのための建物は次々閉鎖されて、
昔のにぎやかな面影がない様子です。

変わらないだろうと思えたのは琵琶湖の風景。
ゆっくり走りのも、眺めるのも私ははじめてでした。

三本ののぼり旗2009/11/17

灰色の街に赤は目立ちます
空は曇り。街も全体的に灰色のムード。
そんなときに、真っ赤なのぼりは目立ちますね。
七五三の季節。
旗の色に元気づけられたくて撮りました。

川が流れる街2009/10/26

「黒壁スクエア」のなかにある欄干から川を見る
 その川の名前は「米川」(よねがわ)という。
開店時間(午前10時)より前にたむろする観光客もいるほど、
長浜市の「黒壁スクエア」は繁盛している。
米川は、その中を静かに貫いている。
 賑やかな通りでは、その存在にほとんど気がつかなかった。
しかし、にぎやかな界隈から一歩出ると、
庶民の暮らしと溶け合うように流れている。
なつかしい風景に出会ったような気持ちになった。
キツネの「ハナチャン」のガイド音声を聞きながら、
欄干から撮影した。
米川は、稲荷神社の横を通り、
地蔵尊の祠と郵便ポストを眺めて、
住宅の裏手を流れていく。

これが・・・なにに見えますか?2009/10/23

これが・・・なにに見えますか?
じっと見れば見るほど、
気になる形です。

お尻の微妙なところに
後ろ手を回して、
組んでいるような・・・。

全体を見ればますます・・・。

茶畑の風景2009/10/17

茶畑の風景
甲賀市に合併した水口、甲南、甲賀、信楽そして土山。
それぞれに”顔”がある気がします。
土山は、茶のまち。街道のまち。
滞在先の二階の窓から撮りました。

一号線で通えば一時間半かかりましたが、
新名神が開通し、水口よりも近いまちになりました。

甲賀町の農村風景2009/09/28

甲賀町の農村風景
甲賀市の甲賀町の道路は予想以上に整備されています。田が広がる農村風景の中を走るのは、(農家の方にはご迷惑でしょうけれど)、気持ちのよいものです。
 視野が広がり、山の緑や田の黄色が心をなごませてくれます。
 車を降りて写真を撮りました。路上に止めても、めったに他の車に出会いません。
 しかし、サル、イノシシ、シカ、キジ、カワウなどの被害がひどい状態とききました。「最近では、アライグマも出てくるらしい。甲賀じゃなくて、甲南あたりに」という話でした。
 そういえば、大津市の神社で出会った方は、アライグマの調査をしていました。う~ん、なんという神社でしたっけ。
 そうそう、毛知比(もちひ)神社でした。

まだ「原風景」を残している気がします2009/09/17

まだ琵琶湖の「原風景」を残している気がします
 ここは旧仰木。遠くに見える湖岸には住宅が建てこんでいますが、農村風景と一体に、琵琶湖が見渡せるポイントになっています。



 なんか懐かしい風景に思えました。

「日露戦役の碑」を探して ~二人のバアちゃんに感謝~2009/09/17

お地蔵さんに鮮やかな色のお化粧ですね
 それは、「日露戦役記念碑」を探しに出かけたときのことです。
 地図で見当をつけて、車で向かいました。目的地あたりの集落に入ると、道は細く、曲がりくねって、ヘタをするとそのまま民家の入り口だったりします。両側の家は大きくて、見通しが利きません。駐車するなんて、とてもとても。ナビゲーターは、「これ以上の縮尺はありません」と冷たい一言を残して沈黙しています。目当ての神社にたどりつけず、村落わきに車を放置し、歩いて探すことにしました。途中、少し広くなっていた場所に、バアちゃんが二人。座ってなにやら話していたのを思い出し、立ち寄って聞いてみることにしました。

「こういう神社を探しているんですが」
「あ~、それはとなりの在所じゃぁ~」

なるほど、「森」を目指していたのに、ここは、「羽栗」でした。

「日露戦争の碑があるの知ってますか」
ふたりのバアちゃんは、顔を見合わせて、
「さぁ~、知らんなぁ~」
「歩いていけますか」
「あ~、行ける行ける」



小高い丘を目印に探すと、坂を登りきったあたりに鳥居が見えます。この神社ですね。
観光化している神社とちがい、駐車場もなにもありません。まったく地域の人だけの神社のようです。20分ほど見て回ったあと、帰りに、遠回りをしてお礼を言うことにしました。私の顔を見るなり、

「あ~にいさん、あったかい」
(にいさん??)
「ありがとうございます。ありました。」
「なんか、発表でもするんけ」
 がんばっとくれ」

元気に談笑する二人のバアちゃんに、しっかり、励まされてしまいました。バアちゃんに「チーズ!」という勇気は、私にはありません。ですから、よく似た石像さんを撮りました。なんか、笑っているみたいですね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)