お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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カエルくん2011/07/31

カエルくん
 あぜ道を歩くと、そこここで草が揺れています。足を止めると、揺れはとまります。バッタかな・・・と思ったら、小さなカエルでした。焦点距離の長いレンズをもってこなかたので、手だけ伸ばして、適当に撮りました。
さすがに、保護色ですね。

「スイレン池」にて2009/11/02

「スイレン池」@銅鐸博物館・弥生の森歴史公園
銅鐸博物館・弥生の森歴史公園を見学しました。
案内図には「スイレンの池」があると書かれています。
池の中に突き出るようにしなっている場所があり、
そこに立っていたカミさんが「コイがいるね」というので、
見てみると二三匹の黒いコイが泳いでいるのが見えます。
私が近づくと、遠くから数尾が向かってきます。
それが面白くて見ている間に、ますます私の人気が高まってくる様子。
「??」と思っているうちに、大きな口が次々と開いてきます。
時計を見ると、正午近く。コイも食事時なんでしょうか。

甲賀市の帰りに新鮮なミルク2009/09/20

新鮮なミルクをありがとう
甲賀市で仕事を終えて、土山から甲賀、甲南を経て、第二名神で大津市へ帰ることにした。インターチェンジを探している最中に、牧場を見つけた。そこに立ち寄り、新鮮なミルクを飲む。
この牛のものかも知れない・・・・。

野生化したアライグマの爪あと??2009/09/16

この爪あとはネコか、アライグマか?
 先日、大津市の田上にある毛知比(もちひ)神社で、戦争の碑を探していたときのことです。

神社の柱を丁寧に撮る女性がいました。
不思議だったので、
「何を撮っているのですか」
とたずねました。
「アライグマの爪あとです」
という返事。え!?

 家で飼っていたペットが手に負えなくなり、逃がしたために野生化したアライグマがいるそうです。もともと凶暴で、雑食性のため、農作物などに被害がでているので、その調査をしているということでした。(林野庁の方なんでしょうか。)

 興味を覚えましたので、私も写真を撮りました。
 「これもそうですか?」
 「それは、ネコの爪あとかも知れません。
 ネコも(神社の柱に)登るのです。」
 「爪跡は4本?」
 「爪は5本なんですが、一つは隠れていて」
 「ネコの爪とどう区別するんですか?」
 「アライグマは執念深く(笑)上まで登りますが、
  ネコはそこまで登りません」

 写真の柱の爪はどっちなんでしょうね。

がんばれ、アマガエル2009/08/01

がんばれ、アマガエル
とっても平凡な話だけれど、
カエルさえ、最近、目にすることは少ない。
朽木村(合併で高島市)で出合った
モリアオガエルぐらいなもの。

一つ前の日記のトノサマガエルの
写真はカミさんの里で撮ったもの。

そうそう、もう一匹いた。
それがこのアマガエル。

日本の階級構成で、
労働者階級が勤労者の半数を
超えたのは、1960年(国勢調査)。
(滋賀県は70年だけど)
それまでの数千年は、圧倒的に農民。

自分たちの食料と国土を守ってきた
人たちへのひどい仕打ちを
続けてきた自民党農政。
いよいよ見捨てられるとなって、
切り出す自給率50%の空手形。

農業再生と食の安全を!
父の代で農家ではなくなったけれど、
そう叫びたい。

カエルに言うのは本末転倒。
しかし、君達にはがんばって
生き延びて欲しいんだ。

がんばれ、カエルくん!
いや、カエルさん。

カエルの思い出2009/07/31

トノサマガエル
カエルは両生類であり、人になつくとは思えない。
それでも、何年もつきあってきたカエルがいる。

小学生の頃、一匹の大きなカエルを捕まえた。
あまりに大きいので、そのまま逃がさず、
自宅に持って帰り、庭に放した。

夏の間、ずっと庭で鳴いて、
私たち家族を楽しませてくれた。
秋になり、カエルは保護色なのか
全身を茶系統に染めていた。
冬になるとしずかに声が消えた。

その存在をとっくに忘れていた春、
カエルの声が聞こえた。
巨大な姿は、まちがいようがなかった。
庭に穴を掘って、冬眠したのだ。

それから、数年(!)の間、
巨大なトノサマカエルは、
冬に消え、春に現れた。

私は、その姿が
見えなくなった春をよく覚えている。
小さな庭をけんめいに探したけれど、
二度と会うことができなかった。

アカハライモリに出会う・・・何年ぶり!2009/07/29

アカハライモリを探せ!(クリックしてね)
朽木村の森。
モリアオガエルの池でしばらく
じっと水面を見つめていました。
すると、いるいる・・・!!
アカハライモリ(こういう名前だっけ)。
写真をアップして見てください。
いますよ、池の中に。
小さいのでわかりにくいのですが。

暗い闇・・・白い壁に緑のカエル2009/07/23

白い壁に緑のカエル
森の中は生き物が息づく。
当たり前の事実なのに、
とてもウキウキしてしまいました。

夜、外に出てみれば、
白い壁に
カエルが何匹もくっついています。

どういうつもりなのか、
さっぱりわかりませんが、
壁が好きなのでしょうか?
緑の葉なら、周囲にいっぱいあるでしょうに。

アマガエル?モリアオガエル?

「モリアオガエルの池」にて2009/07/22

モリアオガエルの卵
「くつきの森」を朝一人で散策する。
地図の看板を見ると、
すぐ近くに「モリアオガエルの池」

とりあえず、歩いてみた。
すると、たちまち到着。
道に面して池があった。



池に枝をたれた木に、
握りこぶしほどの
白い泡を見つける。

小さなカエル(トノサマカエル?)2009/07/21

見つかったと思っていないカエルかも
森の中の池に近づくと、草むらから
ピョンピョンなにかが動く。

カエルだ。

注意して近づくことさえ、
忘れてしまっていた。

姿が見えないほど小さい。

やっと一匹見つける。

センサーの光に反応しないで、
じっとしている。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)