お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
ストップTPP!風雨をついて集まった人たち ― 2013/04/06
「ストップTPP!緊急県民集会」のチラシ(裏) ― 2013/04/05
「ストップTPP!緊急県民集会」のチラシ(表) ― 2013/04/05
「棄権」でしか表せない・・・ ― 2012/12/17
投票結果が判明。
世の中は、落ち着かない。
意図しない結果をのみこめずにいるようだ。
今日、私は高島市にいる。
市議会議員のMさんから興味深い話をきく。
長年の共産党支持者が
今度ばかりは棄権を選んだという。
世の中は、落ち着かない。
意図しない結果をのみこめずにいるようだ。
今日、私は高島市にいる。
市議会議員のMさんから興味深い話をきく。
長年の共産党支持者が
今度ばかりは棄権を選んだという。
今度は、なにがなんでも棄権する。
自民、民主、公明、維新、未来も
みんなアカン!
むちゃくちゃや。
でも今度は共産党に入れない。
こんな政治はアカンということを
棄権で表したい!
No easy walk to freedom ― 2011/09/08
市長選挙をめぐって、記者の取材を受ける。その日に記者の書いた記事を見ていなかったことに気づく。内容は会話のなかで確認できたのでよかったが、失礼なことをしたと思う。
それで終了後に、記者の記事を取り出して読む。視線の先にとまった別の市の記事が気になる。それは草津市長選挙の記事。「36年ぶりとなる30人が立候補し、3分の1近い9人が新人」とある。「固い地盤を持たずに支持を訴える都市型選挙の様相」とある。それは一般的な傾向にあるのだと思う。
興味深かったのは、今年4月のいっせい地方選挙での投票率の部分。「草津市の投票率は42.93%に対して、20代はほぼ半分の21.93%」にとどまったこと。やはり、「政治」は遠いのだ。
草津市議選では、若い候補者も出ていて、「若者が政治に参画するチャンスを」と訴えているという。しかし、その訴えは、若者自身にアピールするというよりは、投票率から考えると、上の世代のほうに効果が大きい気がする。もちろん、そんな現状でいいとは思えない。
大津市議会に当選した20代~30代の市議会議員は、超党派で、若い世代の政治参加を促す施策を議論しているときく。
いま矛盾の焦点のひとつが若い世代の雇用にあることは確かである。だが、私は、投票率の報道を見て考え込んでしまう。
一般市民は6割近く選挙にいかない。若者は8割が行かない。苦しみの活路は、どこにあるのか。それを政治に見いだせないとすれば、なにに見いだせばいいのだろうか・・・。一般参政権への遠い道のりと犠牲が報われるためには、なにが必要なのだろうか。
それで終了後に、記者の記事を取り出して読む。視線の先にとまった別の市の記事が気になる。それは草津市長選挙の記事。「36年ぶりとなる30人が立候補し、3分の1近い9人が新人」とある。「固い地盤を持たずに支持を訴える都市型選挙の様相」とある。それは一般的な傾向にあるのだと思う。
興味深かったのは、今年4月のいっせい地方選挙での投票率の部分。「草津市の投票率は42.93%に対して、20代はほぼ半分の21.93%」にとどまったこと。やはり、「政治」は遠いのだ。
草津市議選では、若い候補者も出ていて、「若者が政治に参画するチャンスを」と訴えているという。しかし、その訴えは、若者自身にアピールするというよりは、投票率から考えると、上の世代のほうに効果が大きい気がする。もちろん、そんな現状でいいとは思えない。
大津市議会に当選した20代~30代の市議会議員は、超党派で、若い世代の政治参加を促す施策を議論しているときく。
いま矛盾の焦点のひとつが若い世代の雇用にあることは確かである。だが、私は、投票率の報道を見て考え込んでしまう。
一般市民は6割近く選挙にいかない。若者は8割が行かない。苦しみの活路は、どこにあるのか。それを政治に見いだせないとすれば、なにに見いだせばいいのだろうか・・・。一般参政権への遠い道のりと犠牲が報われるためには、なにが必要なのだろうか。
a hardworking loach,bottom-feeding yet resilient fish ― 2011/09/04
上のフレーズは、The New York Times の記事の一部です。
その直前には次の語句がありました。
he compared himself to
つまり、「自分自身をたとえた」内容が
上のタイトルというわけです。
これを読んだNewYorkder も悩むでしょうけれど、
私もイメージするのに苦しみました。
無知なせいかも知れませんが、
これを用いた人が念頭においたはずの
魚の肯定的なイメージを
私は共有していません。
しかしまあ、「泥鰌」はよいとしても、
loach が英語圏のなかで、
prime minister をアピールするのに
適切な fish なのでしょうか?
私では判断がつきかねます。
ともあれ
The New York Timese には
上記の部分が堂々と掲載されていました。
幸か不幸か。
余計なことですが、「泥鰌」を和英辞典でひくと
つぎのことわざがでてきました。
Good luck doesn't repeat itself.
チャンスは一度という意味です。
その直前には次の語句がありました。
he compared himself to
つまり、「自分自身をたとえた」内容が
上のタイトルというわけです。
これを読んだNewYorkder も悩むでしょうけれど、
私もイメージするのに苦しみました。
無知なせいかも知れませんが、
これを用いた人が念頭においたはずの
魚の肯定的なイメージを
私は共有していません。
しかしまあ、「泥鰌」はよいとしても、
loach が英語圏のなかで、
prime minister をアピールするのに
適切な fish なのでしょうか?
私では判断がつきかねます。
ともあれ
The New York Timese には
上記の部分が堂々と掲載されていました。
幸か不幸か。
余計なことですが、「泥鰌」を和英辞典でひくと
つぎのことわざがでてきました。
Good luck doesn't repeat itself.
チャンスは一度という意味です。
望まないことを望むことにかえるシステム ― 2011/09/04
先日、思い切って昼休みを延長しました。
そして、ひたすら歩きました・・・ふつうの靴で。
かなり長距離を一生懸命。
目的はダイエット。上の写真はその副産物。
気をよくして、つぎの日も。
しかし、三日目の朝・・・左足首が痛い。
望んだウォーキングが
望まないリタイヤの原因になりました。
カミさんとQooが笑ったことはいうまでもありません。
戦争を望まないのに徴兵され、
そこで望まない戦死を遂げる。
恨みを残していいはずなのに、
死んだ後は、天まで持ち上げられ、
新たな死を鼓舞する役割をはたす。
戦争を望まないはずの普通の人たちが、
戦いへ戦いへと突き進む。
その魔術のようなシステムは、
どうして創られていったのか。
私が見つめようとしているのはこの点です。
原発も同じ。
普通の人たちが望まないはずの原発再開。
ところがメール投票をすれば、
再開賛成が多数を占める。
繰り返し行われてきた奇術の裏側が
少しだけ明るみにでたに過ぎません。
そして、ひたすら歩きました・・・ふつうの靴で。
かなり長距離を一生懸命。
目的はダイエット。上の写真はその副産物。
気をよくして、つぎの日も。
しかし、三日目の朝・・・左足首が痛い。
望んだウォーキングが
望まないリタイヤの原因になりました。
カミさんとQooが笑ったことはいうまでもありません。
戦争を望まないのに徴兵され、
そこで望まない戦死を遂げる。
恨みを残していいはずなのに、
死んだ後は、天まで持ち上げられ、
新たな死を鼓舞する役割をはたす。
戦争を望まないはずの普通の人たちが、
戦いへ戦いへと突き進む。
その魔術のようなシステムは、
どうして創られていったのか。
私が見つめようとしているのはこの点です。
原発も同じ。
普通の人たちが望まないはずの原発再開。
ところがメール投票をすれば、
再開賛成が多数を占める。
繰り返し行われてきた奇術の裏側が
少しだけ明るみにでたに過ぎません。
「このままでは滅びます」 ― 2011/08/11
先日、若い男性がふたり、私の事務所に来られてました。話をしていて、強い印象が残った言葉がありました。
それはつぎのようなものでした。
それはつぎのようなものでした。
「反対派がまったくいない政界やマスコミの報道に、恐怖を感じます。いま反対派が100%必要です。このままでは日本は確実に滅びます」東日本大震災や原発事故と政治の在り方を見れば、私には決して誇大な言葉とは思えませんでした。
「正気」の側に ~原発事故から~ ― 2011/07/02
チャップリンの「独裁者」は、ほんとうによくできていて、正気な社会とはなにか、狂気にとらわれた社会とはなにかについて、深く考えさせてくれる。
ユダヤ人迫害が当然となった時代に、それに立ち向かうことは容易ではない。しかし、チャップリンが扮する床屋の主人公は、記憶喪失にかかっていて、しかも、ながく不在であったために、ナチズムの台頭と支配、ユダヤ人迫害の進行を知らない。つまり、床屋がもどってきた社会は、狂気と正気、正義と犯罪が入れ替わっていた。その認識のずれが、笑いを生み、笑いを凍らせる。
たとえば、ユダヤ人の家屋・・・どの家でもそうだが、ドアをペンキで汚すのは、正常な社会では「犯罪」である。「正気」な床屋は、ユーゲントが行う犯罪を見つけて抗議する。だが、もはや、正義は床屋の方にあるのではない。裁かれるのは「正気」のほうである。
そうして、映画は進行するが、狂気はやがて滅ぶことになる。
1945年8月に旧大日本帝国は無条件降伏をした。戦争の実相を知った多くの人は、「なぜ、戦争が止められなかったのか」、「なぜ、狂気を止められなかったのか」と、自らに問いかけた。その答えとして、あるものは、やがて台頭してきた戦争を美化する者たちにむかって筆をとり、あるものは憲法を守る共同に命を燃やす。二度と、正気を失わないために。
2011年3月、大震災と巨大津波、原発事故。
「なぜ、原子力災害は防げなかったのか」と、私は自分に問いかける。「なぜ、『安全神話』を打ち破れなかったのか」と。
ユダヤ人迫害やナチズム、天皇の名の下での人権抑圧と他国への侵略、それらと原発の『安全神話』は、比較するのがおかしいかも知れない。
しかし、今回の災害とその被害者の姿は、利益優先の狂気からさめることを、「理性」を発揮することを痛切に求めているように思える。
村上春樹がアメリカと日本にまたがる原発利益集団を名指しすることをせず、「効率」という考え方に主敵を定めたのは、普通の人間の意識改革と立ち上がりに期待したのだろう。
それは、彼の言うように夢想家の声ではない。また、唯一の声でもないと私は思う。
ユダヤ人迫害が当然となった時代に、それに立ち向かうことは容易ではない。しかし、チャップリンが扮する床屋の主人公は、記憶喪失にかかっていて、しかも、ながく不在であったために、ナチズムの台頭と支配、ユダヤ人迫害の進行を知らない。つまり、床屋がもどってきた社会は、狂気と正気、正義と犯罪が入れ替わっていた。その認識のずれが、笑いを生み、笑いを凍らせる。
たとえば、ユダヤ人の家屋・・・どの家でもそうだが、ドアをペンキで汚すのは、正常な社会では「犯罪」である。「正気」な床屋は、ユーゲントが行う犯罪を見つけて抗議する。だが、もはや、正義は床屋の方にあるのではない。裁かれるのは「正気」のほうである。
そうして、映画は進行するが、狂気はやがて滅ぶことになる。
1945年8月に旧大日本帝国は無条件降伏をした。戦争の実相を知った多くの人は、「なぜ、戦争が止められなかったのか」、「なぜ、狂気を止められなかったのか」と、自らに問いかけた。その答えとして、あるものは、やがて台頭してきた戦争を美化する者たちにむかって筆をとり、あるものは憲法を守る共同に命を燃やす。二度と、正気を失わないために。
2011年3月、大震災と巨大津波、原発事故。
「なぜ、原子力災害は防げなかったのか」と、私は自分に問いかける。「なぜ、『安全神話』を打ち破れなかったのか」と。
ユダヤ人迫害やナチズム、天皇の名の下での人権抑圧と他国への侵略、それらと原発の『安全神話』は、比較するのがおかしいかも知れない。
しかし、今回の災害とその被害者の姿は、利益優先の狂気からさめることを、「理性」を発揮することを痛切に求めているように思える。
村上春樹がアメリカと日本にまたがる原発利益集団を名指しすることをせず、「効率」という考え方に主敵を定めたのは、普通の人間の意識改革と立ち上がりに期待したのだろう。
それは、彼の言うように夢想家の声ではない。また、唯一の声でもないと私は思う。
政府が軍部に気兼ねするのは危険~「暴力装置」発言に~ ― 2010/11/20
秋は美しい季節です。旧い銀杏の木にも生気が蘇り、目を楽しませてくれます。社会の出来事にかかわりなく、人生は美しいと思えます。
戦争の記事を書いてきました。そういうこともあり、一言いうべきだとおもったのは、「暴力装置」発言をめぐる騒動でした。
人が人に暴力をふるうのは許されません。ですから、銃器の保持は(アメリカは別かも知れませんが)、基本的に認められていません。武器は、国家が独占しているのです。警察と軍隊で。
国と国の間で争いを暴力で問題を解決するのが戦争です。それを担うのは軍隊なわけですから、軍隊が「暴力装置」というのは、疑問の余地がありません。戦車が田を耕したり、爆撃機が花の種をまくわけではないのです。
旧日本軍が自国民を守る建前ながら、実際の振る舞いは自国民を虐げ、命を奪うこともした(自決の強要も含めて)のが沖縄戦の有りようでした。
ですから、そういう軍隊の性格(「暴力装置」)と悲惨な歴史的経験(軍部の暴走を許す統帥権など)をふまえて、シビリアン・コントロールが確立していくるのです。
いま、政権担当者が「暴力装置」と言うべき事かどうかは別かも知れません。しかし、その発言のそこだけをとらえて、だれが、どういう理屈で攻撃しているのかは、注目に値します。
ほぼ同じ趣旨ですが、自衛隊OB村井知事の発言。
軍隊の客観的性格を論じるのではなく、自衛隊という名前の軍部の心証をもとに攻撃する手法は、戦前の不敬罪を思い起こさせます。
適切不適切で議論はあったにしても、シビリアン・コントロールをする主権者の立場からではなく、それを受けるべき軍部の立場から非難が生まれ、それに影響されるのは危険な気がします。
戦争の記事を書いてきました。そういうこともあり、一言いうべきだとおもったのは、「暴力装置」発言をめぐる騒動でした。
人が人に暴力をふるうのは許されません。ですから、銃器の保持は(アメリカは別かも知れませんが)、基本的に認められていません。武器は、国家が独占しているのです。警察と軍隊で。
国と国の間で争いを暴力で問題を解決するのが戦争です。それを担うのは軍隊なわけですから、軍隊が「暴力装置」というのは、疑問の余地がありません。戦車が田を耕したり、爆撃機が花の種をまくわけではないのです。
旧日本軍が自国民を守る建前ながら、実際の振る舞いは自国民を虐げ、命を奪うこともした(自決の強要も含めて)のが沖縄戦の有りようでした。
ですから、そういう軍隊の性格(「暴力装置」)と悲惨な歴史的経験(軍部の暴走を許す統帥権など)をふまえて、シビリアン・コントロールが確立していくるのです。
いま、政権担当者が「暴力装置」と言うべき事かどうかは別かも知れません。しかし、その発言のそこだけをとらえて、だれが、どういう理屈で攻撃しているのかは、注目に値します。
東京都の石原慎太郎知事は19日の記者会見で、仙谷由人官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現したことについて「軽率というか、ばかというか。はなはだ好ましくない発言で、陳謝で済むものか」と強く批判した。また「下手をしたら暴力団と自衛隊を重ねて想定するようなイメージにつながりかねない。自衛隊は傷ついたと思う」とも指摘した。(時事通信)つまり、軍部の心証を根拠にした非難です。
ほぼ同じ趣旨ですが、自衛隊OB村井知事の発言。
自衛隊出身の村井嘉浩知事は19日、産経新聞の取材に対して「自衛官に対して大変失礼だ」と述べて、強い不快感を表明した。「自衛隊」が暴力をふるうために存在していないならば、武器はいらないわけです。また、自国を守る軍隊が暴力装置でなく、攻めてくる他国の軍隊が暴力装置という議論は、心情論であったとしても、国際的に通用する理屈ではありません。お互いがそれを主張しはじめたら、どうなるか考えれば、わかることです。
村井知事は取材に対して「他国の侵略に対して自衛するのと暴力を振るうというのは全く意味が違う。自衛隊は暴力を振るうために存在する組織ではない。あまりにも不謹慎な発言ではないかと強い憤りを覚えます」と語気を強めた。
大阪出身の村井知事は昭和59年に防衛大学校を卒業、陸上自衛隊東北方面航空隊(仙台市)などに籍を置いていた。 .(産経新聞)
軍隊の客観的性格を論じるのではなく、自衛隊という名前の軍部の心証をもとに攻撃する手法は、戦前の不敬罪を思い起こさせます。
適切不適切で議論はあったにしても、シビリアン・コントロールをする主権者の立場からではなく、それを受けるべき軍部の立場から非難が生まれ、それに影響されるのは危険な気がします。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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