お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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琵琶湖に注ぐ川の水は、同じ水温の層に流れ込む2007/08/21

 琵琶湖大橋のあるくびれから北を琵琶湖の北湖、南を南湖と呼びます。北の湖は広く、水深も平均40メートル。南湖は狭く、水深も4メートルが平均。
このため、水の量は99:1ほどの差があるのです。
 今津は、その北湖に面しています。その沖は、琵琶湖で一番深い地点となっています。約100メートルです。
 琵琶湖の水温は、夏は一様ではありません。深い層は年間を通してほとんど変化しませんが、表面は大きく変化します。上下の差が激しいわけですが、それは徐々に低くなるのではなく、「水温躍層」(すいおんやくそう)とよばれる急激に温度変化する層があるのです。
 川の水は、上から下まで温度の違いで層をなしている琵琶湖に向かって流れ込むのですが、自分と同じ水温の層めがけて入っていく特徴を持っています。
 今津川が琵琶湖に流れ込んでいます。しばらくは、表面を走っていく様子が見て取れます。
 さて、どの深さの層に流れ込んでいっているんでしょうか。
 そんなことを考えながら、写真を撮りました。

トイレに周期律表は似合っているという上品ではない発見②2007/07/31

落ち着いて(?!)眺めてみると、知らない名前がたくさんある。とくに、異様に感じるのは、ununという接頭語がついている元素。112番はウンウンビウム、113番はウンウントリウム・・・。国際純正・応用化学連合(International Union of Pure and Applied Chemistry)が名づけたのだから、冗談のつもりではない。仮の名前ってことなのか?それにしても、なぜウンウン。

トイレに周期律表は似合っているという上品ではない発見①2007/07/31

上品ではないお話と写真。
つい先日まで、トイレに貼ってあったのは、世界地図。昨晩気がつけば、別の表が貼ってある。元素表である。まあ、K君が化学の勉強に力が入ったってことなんだろうか。・・・・その表を・・・眺めてみた。

人生を変えた眺め(琵琶湖の岸から)2007/07/05

観光案内をするつもりはないのです。
現地人である私たちにとっては、琵琶湖(びわ湖)はあるのが当たり前。
当たり前すぎて、考えることが少ないのが正直のところです。
琵琶湖の周囲に高層建築が壁をつくっていると
私は怒っていますが、それは琵琶湖そのものへの
愛着があってのことです。
少しでも、共感していただけるように、いくつか写真を
お見せすることにしました。

●人生を変える力がある

滋賀大学の名誉教授である岡本巌先生は、九州男児。
外洋を研究することを自分の使命と心得ていたのに、
なぜ琵琶湖の研究に宗旨替えをしたのか?
滋賀大学にいかないかという誘いがあったときに、
断るつもりであったのになぜ気持ちを変えたのか?

それは、興味深いお話でした。

答えは単純、琵琶湖そのものの眺めにありました。
それは海のように雄大で、それをはじめて見た時、
先生はやってもいいかなと思ったそうです。
いろんな説得よりも、物理的な特性よりも、
研究課題の豊かさよりも、姿が心を動かしたというのは
素敵な話だと思いました。

上の写真は、琵琶湖の北部。北湖とよんでいるところの写真です。
高島市から志賀町へ向かう途中。
白髭神社の手前(旧高島町)の湖岸から写しました。

私も、そういう魅力を感じました。

野島断層博物館に行きました ②断層そのもの2004/03/31

断層そのものが保存されていました。

『酸素の会』は大先生の自宅で会合をしています2003/09/27

『酸素の会』は、『北湖水質検討会』のときと同じく、岡本巌先生の自宅で研究会も打ち合わせも行っています。先生は、提出された資料や原稿を見て、的確な指示をだされますね。
これは、資料に目を通す先生の姿を写した写真です。くつろいだ格好をされていますが、真剣なまなざしです。見てもらう私は緊張の瞬間ですね。

『酸素の会』 で発表する大先生②2003/07/21

岡本巌先生は、極度の近眼。さらに目をわずらってらっしゃることもあり、ときどき目をつむりながら話されます。でも、手をみれば力の入り具合がわかります。この『酸素の会』の研究成果はやがて本になるはずです。

『酸素の会』 で発表する大先生①2003/07/20

『酸素の会』の中心である岡本巌先生が、第三回の会合(7月19日)で発表されました。会が発見した琵琶湖の酸素の極小層についてです。

『酸素の会』 第3回全員集会にて2003/07/19

『酸素の会』も、もう三回目です。

大津市の生涯学習センターで、暑い日でした。

この会合には、私も参加することができ、
発表までさせていただきました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)