お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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奇岩として目を楽しませる鍾乳石@風連鍾乳洞2008/08/21

奇岩として目を楽しませる鍾乳石@風連鍾乳洞
天井から垂れ下がる鍾乳石は、
成長し、重なり合い、複雑で
奇妙な形態を造り出す。
それを見て人間が感じる驚きが、
観光資源となるのだ。
形の違いがどれだけ科学的な
価値があるのか、私にはわからない。

どこの鍾乳洞でも、人間の目から見て、
奇抜と思われるものに、名前がついている。
私にはそれが俗っぽくって、名札を見たり、
覚える気がしないのだ。



ところで、風連鍾乳洞は「日本一うつくしい」
と自称している。
すべての鍾乳洞を見たわけではないので、
私には、判断する資格はないのだけれど、
確かに美しいと感じる。
フラッシュをたかずに、洞内の照明だけで
撮影するとよくわかる。

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民家の説明書き@関宿2008/04/13

関宿民家の説明文
東海道のかつての宿場町・関宿。
旧い民家を保存し、再現していますが、
その重要なものについては、
説明文が板書され掲げられています。
たとえば、こんな風です。
写真をクリックしてください。

車が走っていない!関宿2008/04/13

車が走ってない関宿
かつての鈴鹿の関があったところ。
「関宿」は東海道の宿場町を再現してます。
観光を考慮しているのでしょう。
ですが、車が(ほとんど)走っていない道は、
感性的にインパクトがありました。
まず、静か・・・。
なにか別世界です。
つまり、これがタイムスリップ。
江戸時代には戻らないでしょうけれど、
数十年前の日本には出会えるところです。

ところで、車はともかく、
観光客がいないじゃないか!という
つっこみが出そうですね。
いたのですが、いなくなったときを
とらえて撮影しました。
まだ時間が早かった(?)のです。
それに、この方向には、あまり
「マップ」に掲載されたクーポンの
お店が少ないってこともあるのです。

関宿を訪れる観光客2008/04/13

関宿をおとずれる観光客
大津市から亀岡市まで、第二名神を利用しました。
祝開通で一定期間半額。片道1,200円。
1時間もかからないのでこの値段ならお得。

出発は、10時35分ぐらい。
到着は11時40分ごろでした。

インターで降りたあと、
いったん亀岡の方に向かいました。
観光のメインは亀岡より関町。
ですから、1号線をもどって
関の道の駅の観光案内センターへ。
そこを起点にして、
「関宿」をぶらぶら歩くことになりました。

昼過ぎはまだ人影はまばらでしたが、
午後2時をすぎてから、
観光バスで訪れる客が増えてきました。

小杉谷橋の真下に水流と石が岩にあけた穴が見えました2008/03/30

小杉谷橋から下を撮影。穴が見えますね。
 おっかなびっくり小杉谷橋から景色を見ていると、ガイドさんが橋の真下を見るように促しました。見ると、岩にきれいに丸い穴が開いていました。水流と石が回転して、あけた穴です。
 つり橋に渡してある板の隙間から撮影しました。
 3月29日午前7時24分。

道の駅「マキノ追坂峠」@高島市2008/02/24

道の駅 マキノ追坂峠
安曇川の道の駅に立ち寄った同じ日、
マキノの追坂峠にある道の駅にも
立ち寄りました。

さすが湖西地域で一番北にあり、
スキー場もあるマキノです。
吹雪となっていました。
道の駅の入り口では、除雪作業が
真っ最中。

内部にあるレストランから見る
追坂峠は、びわ湖を背景にして
美しいものです。
吹雪のために、遠景がかすんで
いました。

*****************
道の駅 マキノ追坂峠
路 線 名 : 一般 国道161号
所 在 名 : 滋賀県高島市マキノ町海津897-27
T E L  :0740-28-8081
F A X :0740-28-0228
開設時間 : 9:00~19:00(4月~10月)
9:00~18:00(11月~3月)
直売所・パン工房
・4月1日~10月31日 9:00~19:00
・11月1日~3月31日 9:00~18:00
レストラン休業 2006年2月から2006年3月中旬まで
2006年3月中旬新装開店予定
休館日
 火曜日(祝日の場合は翌日)、12/30~1/1
※ トイレ・駐車場・公衆電話は24時間利用できます。

琵琶湖観光は、昔から和船ではなく汽船?2007/08/27

これが、琵琶湖博物館にあった、琵琶湖観光船の絵ですね。
”手軽に、国内で外国の気分(洋風の船旅)が味わえる”というコンセプトだったんでしょうね。
いまのミシガンもそのラインを受け継いでいるといえますね。
和船じゃあ、お客が来ないんだろうか?

そんなことを考えながら、プリンスホテルを超えて、なぎさ公園を近江大橋の取り付け道路に向けて歩きました。

・・・これが琵琶湖めぐりのポスター・・・でしたか2007/08/25

琵琶湖で舟遊び・・時代を感じさせるポスターですが、風景の写真ばかりが多い最近のものとちがって新鮮な気がします。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)