お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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住民が建設に反対したマンションを通過2008/09/29

住民が建設に反対したマンションを通過
もうここまで完成しているんですね。
隣のマンション住人の方が、
建設反対を訴えていたマンションです。

隣のマンションは、同じぐらい大きいのに見えませんね。
どこまで行ったら見えるのかと心配になりました。



ここまで、来ないと見えません。
でも、なんかくっついているように見えます。

境目はどこだ?



やっと見えました。

こんなに隣接していては、
接する側の人たちの窓の目の前
いっぱいにマンションが見えるだけです。
暗いでしょうしね。

マンション建設は止まりませんでした2008/09/18

マンション建設は止まりませんでした
高層マンション住人が高層マンション建設に反対。
そう書けば、矛盾した運動のように聞こえます。
周りから見れば、そうかも知れませんが、
実際に住んでみての実感がそうさせているのだと思います。
たとえば、ビル風。ドアを開けられない強さなどは、
住んだ人しかわからないでしょう。
隣に同様のものが建てば、さらに深刻に。

まち全体の立場からも、これ以上の高層マンションが
湖岸に建ち、景観を壊すことはいいことではありません。
しかし、現在の法律や条例に違反しない限り、
住民の声は届かないのが現実なのです。
変えるべきはそこにあります。

下の写真は、一年前の写真です。
左にマンションの姿はありません。




まちは、大きく変わりつつあります。
一方で、滋賀会館とか、琵琶湖文化館など
公の施設が予算的に維持できず、
閉館が相次ぎます。
他方で、巨大マンション建設が相次ぎ、
イオンモールなどの大型商業施設が
禁止前に駆け込み出店・・・。
まちの未来の姿が描けないまま、
動いているように思えます。

歓迎されていない恐竜の首が二つ見えます2008/03/10

歓迎されない恐竜がふたつとも
先日、大津市の膳所公園から、琵琶湖岸のまちを撮りました。ひとつは、(琵琶湖の)南湖にかかる近江大橋。もう一つは、その草津側に建設される「イオンモール」の建設現場のクレーン群。
 クレーンが「恐竜に見える」って書きましたが、書いてみると、なるほどそんか気がしてきます。

 この写真は、南側です。右が膳所団地。
真ん中にマンションが見えます。

 そのマンションにかぶってクレーンが見えますね。同じような大きさのマンションをつくる工事現場のものです。これに、隣のマンション住人や近所の人たちが建設反対の声をあげているのです。「歓迎されていない」というのは、そういう意味です。

 もう少し左にも、クレーンが見えますね。
 写っているのは知りませんでしたが、これも高層マンションの建設現場のものですね。これにも、建設反対の声を住民があげています。

 ふたつとも写っています、「歓迎されていない恐竜の首」が。

ビル風から、居住環境をまもることはできるのか?2008/02/01

ビル風が気になる
マンションの住人から、ビル風のすさまじさを
聞いています。
残念ながら、私は、それを身近で経験していません。

となりに巨大マンションができるときいて、
既存のマンションに住む人たちが反対運動。
ビル風のすさまじさが反対の理由のひとつ
に挙げられています。

ところが、マンション建設をすすめる業者からは
いっしゅうされてしまったといいます。

ビル風から、居住環境を守る基準は
ないのでしょうか?

上の写真は、反対運動をされている
マンションではありません。
商店街に建てられているマンションを
写したものです。

★ビル風で調べるといろいろでてきますね。
剥離流
吹き降ろし
逆流
谷間風
開口部風
ピロティー風
街路風
吹き上げ

商店街にまた空き地が2008/02/01

これは、郊外を写したのではありません。
商店街のなかに生まれている空き地です。
すっかり整地されて、マンションの
建設がいまにも始まりそうでした。

石山商店街は、JR石山駅と京阪石山駅
に接している商店街です。
通勤の便利さでは一等地。
そのために、商店がなくなると、
その土地は売れなくなるどころか、
マンション建設にとっては、
願ってもみないようなありがたい
用地となるのです。

にらめっこみたいですね2008/01/25

美しい琵琶湖の景観が見える浜大津港。
そこに、ふたつのビルが湖岸に平行に建ち、
背の高さを競っているように見えます。

右手が琵琶湖側です。

左手のマンションは、さらに高いですね。
だから、新しいマンションより高い階は、
琵琶湖が見えるかも知れません。
同じ高さではとても無理ですね。

湖岸にこういう高層ビルは
ふさわしいものなのでしょうか。
景観は、個人の財産ではないはず。

私の近所の方とお話をしていたときに、
新しいマンションビルが話題になりました。
その方は、「屏風のように」と
おっしゃっていました。
だれが見ても、そう感じるんですねぇ。

明日都浜大津の4階窓から湖岸側を見ると2008/01/25

明日都浜大津は、現在、社会福祉協議会とかふれあいセンターがあるビルです。その4階の窓からは、琵琶湖が見えて、会議の合間にやすらぐ空間でした。
 いま、その窓から見えるのは・・・。

マンションの全体はこれ2008/01/25

 手前に、明日都浜大津とマンションの複合ビル(このビルも景観を壊しているといえますが)があり、道路をはさんで、「あたか飯店」と一般住宅(お店も含む)があります。
 そして、問題のマンション(購入者の方の責任ではありません)があります。これが全体の姿。
 琵琶湖は、かろうじて、右手に見えています。

2007年9月。見えませんⅡ。2008/01/25

●見えます、見えませんシリーズ その2

前に紹介した同じマンションによる景観破壊について
(マンション購入者の方、申し訳ありません。
 みなさんに罪があるわけではないのですが)

あたか飯店の少し右手の方向でも、
比較できる写真を見つけました。

これは、「見えません」の方です。

●見えます、見えませんシリーズ その1

前回のものはこれです。

2005年5月。見えます。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/13/2507476
2007年7月。見えません。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/13/2507507

2005年5月。見えますⅡ。2008/01/25

前に紹介した同じマンションによる景観破壊について
(マンション購入者の方、申し訳ありません。
 みなさんに罪があるわけではないのですが)

あたか飯店の少し右手の方向でも、
比較できる写真を見つけました。

これは、「見えます」の方です。

●見えます、見えません

前回のものはこれです。

2005年5月。見えます。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/13/2507476
2007年7月。見えません。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/13/2507507

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)