お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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祖母はメンソレータムを目に塗った2009/10/29

「近江兄弟社 メンターム資料館」
 「ヴォーリーズ展 in 近江八幡」の会場は、まちそのもの。ウォークラリーのように番号順に、関係する施設を回る。一つの会場の中を見て回るのではない。
 生きたまちを歩くことはとても楽しい。
 「近江兄弟社 メンターム資料館」にも入ってきた。
 「メンターム資料館」と書かれているけれど、同じ近江兄弟社の元の製品名は「メンソレータム」。これは、発明者A・A・ハイド氏が、ヴォーリスに日本での販売権を譲渡して、伝道活動を支援したことによる。
 その「メンソレータム」は、「オロナイン軟膏」と並んで、家族代々の常備薬だった。子ども時代は怪我が絶えないので、いつも赤チンと同じくらいお世話になった。
 私の母方の祖母は、眠る前に、メンソレータムを目にすり込む。スースーして寝るどころではないと私は思うのだけれど、祖母はいつも楽しそうそうに手にとっていた。孫たちが、あきれた顔をすると、それが面白いのか、いつも「クック」と笑いながら、つけていた。もともと、小柄だった祖母だけれど、90歳をすぎて寝たきりとなり、そして亡くなった。
 明治生まれで、とても賢い人だった。尋常小学校のとき抜群の成績のために、進学するように勧められたけれど、親の反対でいけなかったことを残念がっていたと妹に聞いた。ほんとにチャーミングで気丈な祖母。 泣き言なんか聞いたことはなかった。
 ただ、その娘、つまり私の母は、祖母より先に病気で逝くことになった。入院を迫られた母は、しゃにむに故郷に帰りたがった。重大な病気とはまだ知らされていなかった家族は、異常な行動に思えて、それに反対し、「とりあえず入院して検査して」と説得した。興奮していた母もやがて落ち着き、入院した。だが、二度と、故郷に帰ることはなかったのだ。
 母は祖母が見舞うことを避ける風もあった。それもそうだろう。変わり行く娘の姿を見て、祖母は悟ったと思う。
 母が亡くなり、葬儀の日。いよいよ棺とお別れのとき、あれほど気丈な祖母が棺にすがりついて、きっと幼いときから呼んでいるように、その名前を呼んだ。私は逆縁の不幸を目に刻むことになった。
 メンターム、いやメンソレータムを見ると、私は、いまでも、笑いながら目にすり込む祖母の姿が浮かぶ。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)