お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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幸福の押しつけはよくない2011/09/10

 山手を開発して生まれた仰木の里、仰木の里東の住宅地。琵琶湖を一望にできる緑豊かな環境に惹かれて入居した人が多数。しかし、近年、住民生活に影を落とす出来事が相次いでいる。バイパス無料化による騒音問題など。 いま大問題は、「幸福の科学」学園の建設計画。

飲み歩きスタンプラリー@浜大津・柴屋町2011/09/09

飲み歩きスタンプラリー
 私は下戸・・・ですが、飲み歩きスタンプラリーに誘われて参加。お客と飲み屋さんの双方にとって、安心できる取り組みというキャッチフレーズ。1人の参加料が3,500円。3人一組で一店あたり30分。各組が指定された3店を回るシステム。飲み屋さんの方に負担が多いが、賑わいにはなるかと思いました。

わが街の光景から2010/11/29

ヘルパーさんに付き添われて風呂屋さんへ
カミさんと用事があって高齢者を訪問。
偶然、戸口で出会いましたが、
これからお風呂に出かけるところだそうです。
ヘルパーさんに付き添われて
近い道のりをゆっくり歩を進めます。

その後姿を撮らせてもらいました。


旧い街なので、
銭湯文化がまだ生きています。

「町並保存」の文字がまぶしい2009/11/05

「町並保存」の文字がまぶしい
 この十月の末に、「ヴォーリズ展 in 近江八幡市」に出かけたことで、すっかり近江八幡市が気に入ってしまった。この街には、ウォーリズ建築だけではない。「旧西川家住宅」にみられるような昔ながらの、近江商人の家も保存されている。
近江八幡の町並み

「おすい」のフタは「まちの顔」 ~大津市の場合~2009/11/01

これは「大津絵」のデザインですね
大津市の場合、「おすい」のフタは、
大津祭りのヴァージョンがあるのを知っていた。

「大津絵」のヴァージョンもあったのだ・・・。

それにしても、過去の遺産にたよるばかり
で、いいはずはない。
まちの”いま”を発信するものをもちたいと思うのだが。

まちのアイデンティティ ~「くすりの町甲賀」に~2009/10/30

「くすりの町甲賀」にピンとこなかったのは私の無知のせいでした
 9月下旬から10月下旬近くまで甲賀市に滞在しました。そのときに、水口町、土山町、甲賀町、甲南町そして信楽町というように多様な町が合併してできただけに、考えさせれれたのが、その地域のアイデンティティとはなにかでした。
 「○○はどんなまちですか?」「○○の誇りはなんですか?」「もっとも○○らしい所ってどこですか?」という問いへの答えでもありますね。もっとも先を見越して「○○はどんなまちを目指しますか?」という問いでもいいですね。
 甲賀町へ行ったとき、「近江米の産地」というのはりっぱなアイデンティティです。しかし、民主党新政権はFTAを認める方向に見えるし、高齢化と後継者問題が深刻です。「もちもちハウス」にあるように、モチで新生面を開いているとはいえ、それは全体の底上げになるのかどうか、わかりません。
 「くすりもある」と言われました。そういえば、製薬会社はちいさな町に10社(程度)が集まって、工場をもっています。なぜこの地にかということですが、江戸時代からの伝統があるからというのが答えでした。

「おすい」のフタは「まちの顔」 ~近江八幡市の場合~2009/10/29

「おすい」のフタに「まちの顔」 ~近江八幡市の場合~
 「おすい」のフタに、そのまちの顔となるものを彫るというのは、いつからはじまったことなのでしょうか。また、どれだけ普及しているものなのでしょうか。
 大津市の場合は、大津まつりでした。今津町(現在は高島市)は、ザゼンソウ。甲賀町(現在は甲賀市)は、忍者と手裏剣。土山町は、お茶の花でしたね。
 近江八幡市はいったいなんでしょうか。
 興味を持ちながら、まちを歩きました。そして、見つけました。デザインがついている「おすいのフタ」。
 これは・・・水郷の風景かな?

要するに人力車2009/10/28

要するに人力車
さて、BIN★の黒壁ウォッチングは続きます。
 向こうからなにが来るんだろうと興味深く見ていていました。これは、雨でも大丈夫なようにした・・・人力車・・・自転車・・・ですね。青年が似三人乗り場(?)で、客引きをしていました。お代は1000円なり。
 そういえば、長浜駅の構内には、案内コーナーにも、若い女性が笑顔でお出迎え。
 若い人たちも企画に参加しているのでしょうか。

龍遊館2009/10/28

龍遊館
「黒壁」で若者を意識したフィギアのお店。
「龍遊館」というらしい。
「北斗の拳」のケンシローと
大魔神がお出迎え。
なつかしいけれど、私はパス。

店先を飾るサザエ2009/10/28

店先のサザエ
先日行った「黒壁スクエア」の話。
ガラス館を中心にして、懐かしい昭和のお店。
そして、ブティックという組み合わせ。
古さや地域の特性だけではないところが
ミソだと思いました。

店先を飾るサザエを撮りました。
ちょっとしたお気に入り。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)