お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
古谷桂信『どうしてもダムなんですか?』(岩波書店2009) ― 2020/01/26
古谷桂信『どうしてもダムなんですか』をアマゾンで注文しました。一冊もっていたのですが、あまりに安価だったので衝動買い。
この本に注目したのは、つぎのような理由からです。
2012年12月の第二次安倍政権の誕生によって、大型公共事業優先への流れが再発しました。滋賀県的にみれば、それがすぐに表れたわけではありませんが、象徴的な存在として、大戸川ダム計画があります。この計画は、事実上撤回となったはずのものでした。しかし、県議会での自民党の議席増により、ゆりもどしがはじまりました。2018年6月の第二次三日月県政の出発にあたって、自民党は大戸川ダム計画の再起動(凍結の見直し)を踏み絵にして、支持を約束したのです。
2019年4月に、知事は大戸川ダムが治水対策に有効として「必要」と表明しました。
そこで、嘉田由紀子県政のもとで進められてきた流域治水政策と対立するダム問題が再浮上。
そこで私は、淀川流域委員会の活動をあらためて学んでみようという気になりました。
古谷桂信氏の『どうしてもダムなんですか?』の副題は、「淀川流域委員会奮闘記」。まさに、そういう内容であり、胸が熱くなりました。
この本に注目したのは、つぎのような理由からです。
2012年12月の第二次安倍政権の誕生によって、大型公共事業優先への流れが再発しました。滋賀県的にみれば、それがすぐに表れたわけではありませんが、象徴的な存在として、大戸川ダム計画があります。この計画は、事実上撤回となったはずのものでした。しかし、県議会での自民党の議席増により、ゆりもどしがはじまりました。2018年6月の第二次三日月県政の出発にあたって、自民党は大戸川ダム計画の再起動(凍結の見直し)を踏み絵にして、支持を約束したのです。
2019年4月に、知事は大戸川ダムが治水対策に有効として「必要」と表明しました。
そこで、嘉田由紀子県政のもとで進められてきた流域治水政策と対立するダム問題が再浮上。
そこで私は、淀川流域委員会の活動をあらためて学んでみようという気になりました。
古谷桂信氏の『どうしてもダムなんですか?』の副題は、「淀川流域委員会奮闘記」。まさに、そういう内容であり、胸が熱くなりました。
compliance ― 2011/09/09
東日本大震災救援チャリティバザーに行きました ― 2011/07/31
村上春樹~第23回カタルーニャ国際賞受賞スピーチに~ ― 2011/06/13
映像 ― 2011/03/15
家族とワンコを連れて、ドッグランに
行ったのは、つい先日のことでした。
帰宅途中に立ち寄ったお店で
食べたこのケーキ。
「いちござんまい」という名前。
冗談のつもりで撮影しました。
いまは、それがまぶしく思えます。
それは、3月11日から始まりました。
私は動き回っていて、感じませんでした。
しかし、同じ事務所にいた人たちは、
ゆっくりした振動に体調の不調を訴えました。
それが悲劇の始まりでした。
いまなお続き、終末を見通せないこの災害は、
「東日本大震災」という名前を与えられました。
マグニチュード9.0という世界最大規模
未曾有の津波災害、そして原発事故。
たしかに、それだけで恐怖は伝わります。
しかし、私たち同時代人が
記憶するのは、この文字ではなく、
堤防を乗り越える猛烈な水の勢い、
流されていく車と家屋、
爆心地のような災害地
避難所に集まる被災者、
いまだ見つからない家族を捜し歩く人々
ひとを助けられなかったと涙ぐむ隣人たち、
そういう姿にちがいありません。
有名な作家で知事をしている人が
今回の災害を「天罰」といったそうです。
あとで訂正されましたが、
非難する言葉さえ浮かびません。
世界からの励ましの言葉と
行動に感激した後だっただけに、
赤面する思いでした。
全世界に衝撃をあたえたナマの映像
そこから伝わるものは現実の悲劇の
ごくわずかの部分に過ぎません。
しかし、私たちは、ともに、そこにいた!
そこで、苦しみ、そこで泣いた。
・・・私はそれが周囲の人々を
突き動かしているのだと思いました。
3Dが普及する時代ですから、リアルさは、
やがて、強烈なものとなるでしょう。
しかし、人の痛みへの感性と想像力がないなら、
いくら臨場感が高まっても同じことかも知れません。
行ったのは、つい先日のことでした。
帰宅途中に立ち寄ったお店で
食べたこのケーキ。
「いちござんまい」という名前。
冗談のつもりで撮影しました。
いまは、それがまぶしく思えます。
それは、3月11日から始まりました。
私は動き回っていて、感じませんでした。
しかし、同じ事務所にいた人たちは、
ゆっくりした振動に体調の不調を訴えました。
それが悲劇の始まりでした。
いまなお続き、終末を見通せないこの災害は、
「東日本大震災」という名前を与えられました。
マグニチュード9.0という世界最大規模
未曾有の津波災害、そして原発事故。
たしかに、それだけで恐怖は伝わります。
しかし、私たち同時代人が
記憶するのは、この文字ではなく、
堤防を乗り越える猛烈な水の勢い、
流されていく車と家屋、
爆心地のような災害地
避難所に集まる被災者、
いまだ見つからない家族を捜し歩く人々
ひとを助けられなかったと涙ぐむ隣人たち、
そういう姿にちがいありません。
有名な作家で知事をしている人が
今回の災害を「天罰」といったそうです。
あとで訂正されましたが、
非難する言葉さえ浮かびません。
世界からの励ましの言葉と
行動に感激した後だっただけに、
赤面する思いでした。
全世界に衝撃をあたえたナマの映像
そこから伝わるものは現実の悲劇の
ごくわずかの部分に過ぎません。
しかし、私たちは、ともに、そこにいた!
そこで、苦しみ、そこで泣いた。
・・・私はそれが周囲の人々を
突き動かしているのだと思いました。
3Dが普及する時代ですから、リアルさは、
やがて、強烈なものとなるでしょう。
しかし、人の痛みへの感性と想像力がないなら、
いくら臨場感が高まっても同じことかも知れません。
東北地方太平洋沖地震の被災者へ可能な援助をしたい ― 2011/03/12
明治以降最大規模の地震だそうです。
世界的にも5番目とか。
そのすさまじい被害に呆然とします。
お亡くなりになった方々への弔意とともに、
まだ命が救える方々への救援の手が
間に合うことを祈ります。
自分にできる行動をしたいと思います。
いまは、募金ぐらいしか思いつきませんが。
世界的にも5番目とか。
そのすさまじい被害に呆然とします。
お亡くなりになった方々への弔意とともに、
まだ命が救える方々への救援の手が
間に合うことを祈ります。
自分にできる行動をしたいと思います。
いまは、募金ぐらいしか思いつきませんが。
雨 ― 2009/07/28
たしかに、なんでもない写真です。
ピンぼけで、溝のように細い
河川が写っています。
自分でもなぜ写したのか
わかりません。たぶん、
街中にこんな川があったんだ
・・・くらいの気持ちでした。
それから数日して、雨が降りました。
しかも、わずか10分でしたが、
猛烈な雨でした。
傘を持たずに、昼食に出て、
仕事にもどろうとしたとき、
激しい音を立てて、水が
地上に落ちてきたのです。
傘をもっていても
役立ちそうにありませんでした。
どうしようもなくて、
雨宿りをしていたら、
すぐに空が明るくなり、
澄んだ夏空となりました。
その落差に、雨が降ったという
現実が薄らいでいきました。
しかし、道路は別世界。
水があふれて、
横断歩道と歩道の間は、
ジャンプして渡る他ありません。
静かに流れていた川も
わずかの間に変身し、
茶色く濁り、音と泡を立てて、
流れていました。
ケータイなので、二つとも
写りがよくありませんね。
激しい降雨が1時間以上続くと
どんな事態になるのか・・・・
被災された方々への思いとともに、
恐怖を実感したのでした。
ピンぼけで、溝のように細い
河川が写っています。
自分でもなぜ写したのか
わかりません。たぶん、
街中にこんな川があったんだ
・・・くらいの気持ちでした。
それから数日して、雨が降りました。
しかも、わずか10分でしたが、
猛烈な雨でした。
傘を持たずに、昼食に出て、
仕事にもどろうとしたとき、
激しい音を立てて、水が
地上に落ちてきたのです。
傘をもっていても
役立ちそうにありませんでした。
どうしようもなくて、
雨宿りをしていたら、
すぐに空が明るくなり、
澄んだ夏空となりました。
その落差に、雨が降ったという
現実が薄らいでいきました。
しかし、道路は別世界。
水があふれて、
横断歩道と歩道の間は、
ジャンプして渡る他ありません。
静かに流れていた川も
わずかの間に変身し、
茶色く濁り、音と泡を立てて、
流れていました。
ケータイなので、二つとも
写りがよくありませんね。
激しい降雨が1時間以上続くと
どんな事態になるのか・・・・
被災された方々への思いとともに、
恐怖を実感したのでした。
がけ崩れの傷跡@朽木村 ― 2008/08/02
《「緊急地震速報」地デジ2秒遅れ》ということ ― 2008/07/05
緊急地震速報を出しても、地上デジタル放送は、(地デジ)アナログ放送に比べて2秒遅れるので、災害対策に支障がでるというニュースが流れています。ケータイなどのワンセグでは、平均3.8秒。
これ、気がついていましたよ。
地上アナログに比べて、BS衛星放送は1秒以上遅れるのです。2画面にして、スポーツ中継を見ていて発見。BSはシュートしていないのに、アナログはすでにシュートが決まっていました。
地上デジタルとアナログは試していませんが、車に搭載したTVとワンセグの画面がかなりずれるのも、経験済み。車のTVで音声を出して、ワンセグの画面を見ると、かなり変です。ずれまくり。
実用的には、時報なんか問題があるんじゃないかと思っていましたが、「?」程度ですませていました。しかし、1秒を争う緊急警報では重大な問題になりかねませんね。
原因は、データのあり方。デジタルは圧縮→解凍というプロセスがある分だけ遅れるそうです。つまり、CPUの速度に依存するってことでしょうか。
これ、気がついていましたよ。
地上アナログに比べて、BS衛星放送は1秒以上遅れるのです。2画面にして、スポーツ中継を見ていて発見。BSはシュートしていないのに、アナログはすでにシュートが決まっていました。
地上デジタルとアナログは試していませんが、車に搭載したTVとワンセグの画面がかなりずれるのも、経験済み。車のTVで音声を出して、ワンセグの画面を見ると、かなり変です。ずれまくり。
実用的には、時報なんか問題があるんじゃないかと思っていましたが、「?」程度ですませていました。しかし、1秒を争う緊急警報では重大な問題になりかねませんね。
原因は、データのあり方。デジタルは圧縮→解凍というプロセスがある分だけ遅れるそうです。つまり、CPUの速度に依存するってことでしょうか。
「AEDは、どこにありますか?」 ― 2008/05/24
防災訓練のメニューのなかに、突然倒れた人の救命のための処理がありました。
①「もしもし、大丈夫ですか!」という、よびかけに始まり、②窒息を防止するための頭の位置を変えること、③大声で救援を求めて、「あなた、119番に電話してください」、「こちらのあなたは、AEDを○○支所から、取ってきてください。」という指示をすること、④AED到着までに、人工呼吸と心臓マッサージをすること、⑤AEDの操作、⑥人工呼吸+マッサージ+AED操作などの作業を交代で行うこと、などなど。
先日のペンギンさんでの訓練が生きてきましたねぇ。(心臓マッサージのテンポを保持するために歌う歌は、「アンパンマンの歌」、「世界でただ一つの花」ともう一つは「地上の星」でした)
一連の訓練が無事終了したあと、JR駅を通りがかったとき、AEDがどこにあるのか、確かめようという気になりました。
京阪三条の駅には、改札口の外にありますね。
ではJR大津駅はどこにあるんだろう?
改札口の外に見当たりませんから、(よせばいいのに・・・)、改札口に聴きに行きました。
「AEDは、どこにありますか?」
「それは・・・そうそうキオスクの裏手、あそこにあります。」
「改札口の中ですね。外で事故が起きたら、ここから入ればいいのですか?」
場所確認だけで引き下がらず、念押しをするものですから、駅の事務所から人が集まってきて、「だれか、AEDが必要な人がいるんですか!」とあわてた様子。
まあ、ふつうはここまで聞きませんよね。
「今日、防災訓練があったので、確かめたかったのです」と笑顔でいって、引き上げてきました。
そういう文脈が伝わっていないと変だと思われるはずですね。
遠くから見ていたカミさんは、話をきくと、大笑いでした。
まあ、「AEDどこですか」と聞けば、使うって思いますものね。
①「もしもし、大丈夫ですか!」という、よびかけに始まり、②窒息を防止するための頭の位置を変えること、③大声で救援を求めて、「あなた、119番に電話してください」、「こちらのあなたは、AEDを○○支所から、取ってきてください。」という指示をすること、④AED到着までに、人工呼吸と心臓マッサージをすること、⑤AEDの操作、⑥人工呼吸+マッサージ+AED操作などの作業を交代で行うこと、などなど。
先日のペンギンさんでの訓練が生きてきましたねぇ。(心臓マッサージのテンポを保持するために歌う歌は、「アンパンマンの歌」、「世界でただ一つの花」ともう一つは「地上の星」でした)
一連の訓練が無事終了したあと、JR駅を通りがかったとき、AEDがどこにあるのか、確かめようという気になりました。
京阪三条の駅には、改札口の外にありますね。
ではJR大津駅はどこにあるんだろう?
改札口の外に見当たりませんから、(よせばいいのに・・・)、改札口に聴きに行きました。
「AEDは、どこにありますか?」
「それは・・・そうそうキオスクの裏手、あそこにあります。」
「改札口の中ですね。外で事故が起きたら、ここから入ればいいのですか?」
場所確認だけで引き下がらず、念押しをするものですから、駅の事務所から人が集まってきて、「だれか、AEDが必要な人がいるんですか!」とあわてた様子。
まあ、ふつうはここまで聞きませんよね。
「今日、防災訓練があったので、確かめたかったのです」と笑顔でいって、引き上げてきました。
そういう文脈が伝わっていないと変だと思われるはずですね。
遠くから見ていたカミさんは、話をきくと、大笑いでした。
まあ、「AEDどこですか」と聞けば、使うって思いますものね。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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