お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
明治5年の兵卒の墓碑の碑文~「清水男外吉之墓」の背面~に原型がある ― 2010/11/02
農民が圧倒的多数の平民から徴兵して、明治陸軍を築く構想を建てたのは、大村益次郎でした。そういう意味では建軍の父なのでしょう。現実にそれを実行したのは、山県有朋でした。
徴兵は明治6年以降。それまでは、各藩の藩兵をあつめて、ありあわせの軍で間に合わせるしかありませんでした。それらは、主に士族であり、「壮兵」と呼ばれました。
それらの拠点として、鎮台が生まれ、そのもとで、彦根に営所がつくられました。そこに駐屯したのは、十八番大隊。農民騒擾の鎮圧に出動していました。その兵卒の墓碑が上の写真です。
りっぱな墓碑であり、碑文はいまなおしっかり読めます。
十八番大隊の墓碑は5基ありました。当初は彦根にありましたが、維持できなくなり、明治40年代に旧大津陸軍墓地に移設されました。
その旧大津陸軍墓地ですが、ここを営所とした歩兵第九聯隊のための墓地でした。練兵過程で亡くなる兵卒はでてきます。そのための埋葬地を必要としたからです。それは、全国の営所で共通の動きであり、その最初で最大のものが旧真田山陸軍墓地です。 この墓地に残る最初の頃の墓碑には、明治8年という日付が刻まれています(上の写真をクリックして拡大すれば読み取れます)。それは、この地に営所が建設された同じ年のことです。訓練をはじめるやいなや、たちまち病死をする若者が生まれたのです。衛生状態とか、訓練の激しさが関係していると思われます。
さて、そうして大津営所で亡くなった兵卒のための墓地が、明治11年までは中断のFブロック、それ以降は下段(東と西)です。
明治5年の十八番大隊の墓碑と歩兵第九聯隊の墓碑を比較するのは、興味深いことです。ただ、日清戦争以後の墓碑のように碑文がなければ、比較することができません。碑文がある日清戦争以前の墓碑との違いを見てみたいと思います。
徴兵は明治6年以降。それまでは、各藩の藩兵をあつめて、ありあわせの軍で間に合わせるしかありませんでした。それらは、主に士族であり、「壮兵」と呼ばれました。
それらの拠点として、鎮台が生まれ、そのもとで、彦根に営所がつくられました。そこに駐屯したのは、十八番大隊。農民騒擾の鎮圧に出動していました。その兵卒の墓碑が上の写真です。
りっぱな墓碑であり、碑文はいまなおしっかり読めます。
男外吉石川縣貫属卒加賀石川郡金沢大工町清水彦三男嘉永庚戌二月廿五日生明治壬申三月應徴為歩兵十八番大隊兵卒同年四月廿七日病没於大阪鎮台第一分営彦根屯所時年二十三「貫属」という言葉は、戸籍のある土地という意味です。本籍、家族関係(○○の男)、生年月日、入営日と入営先、死亡年月日、死亡場所、死亡年齢の順番で記述されています。旧大津陸軍墓地の墓碑を見ても、以後、これと同じ記述形式となっていきます。
十八番大隊の墓碑は5基ありました。当初は彦根にありましたが、維持できなくなり、明治40年代に旧大津陸軍墓地に移設されました。
その旧大津陸軍墓地ですが、ここを営所とした歩兵第九聯隊のための墓地でした。練兵過程で亡くなる兵卒はでてきます。そのための埋葬地を必要としたからです。それは、全国の営所で共通の動きであり、その最初で最大のものが旧真田山陸軍墓地です。 この墓地に残る最初の頃の墓碑には、明治8年という日付が刻まれています(上の写真をクリックして拡大すれば読み取れます)。それは、この地に営所が建設された同じ年のことです。訓練をはじめるやいなや、たちまち病死をする若者が生まれたのです。衛生状態とか、訓練の激しさが関係していると思われます。
さて、そうして大津営所で亡くなった兵卒のための墓地が、明治11年までは中断のFブロック、それ以降は下段(東と西)です。
明治5年の十八番大隊の墓碑と歩兵第九聯隊の墓碑を比較するのは、興味深いことです。ただ、日清戦争以後の墓碑のように碑文がなければ、比較することができません。碑文がある日清戦争以前の墓碑との違いを見てみたいと思います。
日清戦争の影~明治20年代前半と後半の墓碑を分けるもの~ ― 2010/11/01
上の写真は、旧大津陸軍墓地のLブロック。その左側面から撮影しています。右が正面。見れば、一列目と二列目では、台石の数が違います。前列は一段で、後列は二段。前には、若い年代の墓碑、二列目以降は、旧い年代の墓碑。
具体的に言えば、右の一番手前が、明治44年歿の馬場寅吉の墓碑(東2)、その後ろが明治22年歿の米田兼蔵の墓碑。
二段から一段へと変わるのは、明治の20年の半ばです。明治22年の墓碑は2段。しかも、個人的経歴をわずかにせよ刻んでいます。しかし、明治27年以降は、台石は1段で、しかも、階級、氏名、死亡年月日のみとなっています。
明治20年代の中頃になにが起こったのか。
いうまでもなく日清戦争(明治27~29年)です。
具体的に言えば、右の一番手前が、明治44年歿の馬場寅吉の墓碑(東2)、その後ろが明治22年歿の米田兼蔵の墓碑。
二段から一段へと変わるのは、明治の20年の半ばです。明治22年の墓碑は2段。しかも、個人的経歴をわずかにせよ刻んでいます。しかし、明治27年以降は、台石は1段で、しかも、階級、氏名、死亡年月日のみとなっています。
明治20年代の中頃になにが起こったのか。
いうまでもなく日清戦争(明治27~29年)です。
下段東側でもっとも新しい墓碑:大正7(1918)年歿の「故陸軍一等卒高坂早實之墓」(東8=L146) ― 2010/11/01
大正年間だからといって、墓碑があたらしい形をしているわけではありません。明治10年代の墓碑と形も大きさも特に変わることはありません。粗悪な墓石を用いているのか、文字が摩滅状態で読み取りが困難です。
右側面には文字はなく、左側面に「大正七年十月二十七日死亡」とだけ、刻まれています。
右側面には文字はなく、左側面に「大正七年十月二十七日死亡」とだけ、刻まれています。
大正年間の墓碑@旧大津陸軍墓地Lブロック
大正1年11月 陸軍歩兵一等卒 西田 末次郎 東3
大正2年 8月 陸軍二等看護卒 藤井 安太郎 東4
大正2年 8月 陸軍二等看護卒 奥村 季吉 東5
大正6年11月 故陸軍歩兵一等卒 八木 喜之助 東6
大正7年 5月 陸軍上等看護卒 月井 彦太郎 東7
大正7年10月 故陸軍歩兵一等卒 高坂 早實 東8
階級、氏名と死亡年月日のみの墓碑 「陸軍歩兵二等卒 馬場寅吉(墓)」(東2=L140) ― 2010/11/01
明治12年に病没した「生兵 川﨑 松之助墓」(東93=L227) ― 2010/11/01
Lブロック埋葬者名簿(簡略版)@旧大津陸軍墓地 ― 2010/11/01
旧大津陸軍墓地Lブロック(移葬前は下段東ブロック)埋葬者名簿
*随時更新するようにします。
① L以下の番号は、現在の位置
② 階級
③ 氏名
④ 東以下は下段東の頃の位置
⑤ 病死した年月(日)
以上98柱。
*随時更新するようにします。
① L以下の番号は、現在の位置
② 階級
③ 氏名
④ 東以下は下段東の頃の位置
⑤ 病死した年月(日)
一列目 L141~159
L140 陸軍歩兵二等卒 馬場 寅吉 東2
明治44年2月5日死亡 記事①
L141 陸軍歩兵一等卒 西田 末次郎 東3
大正1年11月
L142 陸軍二等看護卒 藤井 安太郎 東4
大正2年8月
L143 陸軍二等看護卒 奥村 季吉 東5
大正2年8月
L144 故陸軍歩兵一等卒 八木 喜之助 東6
大正3年11月
L145 陸軍上等看護卒 月井 彦太郎 東7
大正7年5月
L146 故陸軍歩兵一等卒 高坂 早實 東8
大正7年10月 記事①
L147 陸軍歩兵二等卒 盛田 留蔵 東14
明治43年6月
L148 陸軍歩兵一等卒 杉森 祐吉 東15
明治43年9月
L149 歩兵一等卒 山口 佐兵衛 東16
明治43年8月
L150 ○○○○○ 平野 彌三八 東17
明治39年2月 記事①
L151 陸軍歩兵二等卒 西堀 政吉 東18
明治39年10月
L152 歩兵二等卒 中嶋 浅次郎 東19
明治39年9月
L153 陸軍歩兵一等卒 小杉 喜一郎 東20
明治39年9月
L154 陸軍歩兵一等卒 西村 喜太郎 東21
明治39年12月
L155 陸軍歩兵二等卒 松井 元市 東22
明治40年4月
L156 陸軍歩兵二等卒 河合 増太郎 東23
明治40年5月
L157 陸軍砲兵二等卒 塚嵜 倉太郎 東24
明治40年5月 記事①
L158 ○○○ 大北 雅郎 東25
明治33年6月 記事①
L159 歩兵一等卒 池田 藤十郎 東26
明治33年8月
2列目 L160~179
L160 歩兵二等卒 米田 兼蔵 東44
明治22年11月
L161 歩兵二等卒 雁瀬 其三吉 東43
明治22年7月 記事①
L162 ○○○○ 上田○○ 東42
明治22年11月
L163 歩兵一等卒 光崎 宗貫 東34
明治27年2月
L164 二等卒 増田 重吉 東94
明治12年8月
L165 歩兵二等卒 大瓦 松蔵 東92
明治12年9月
L166 陸軍歩兵二等卒 吉川 重吉 東41
明治28年12月
L167 森本 徳松 東40
明治28年8月
L168 永井 兼太郎 東39
明治28年1月
L169 細田 大蔵 東38
明治27年12月
L170 岸下 嘉次郎 東37
明治27年11月
L171 高岡(?)友次郎 東36
不明
L172 仲井 幾太郎 東35
明治27年10月
L173 陸軍歩兵二等卒 菊田 友三郎 東33
明治35年3月
L174 陸軍歩兵二等卒 油浦 藤蔵 東32
明治34年8月
L175 釈勇勤○○ 中尾 庄三 東31
明治34年5月 記事①
L176 釈勇進 俗名 中西 丹○ 東30
明治33年11月 記事①
L177 釈強覚 中村 勘四郎 東29
明治33年10月 記事①
L178 歩兵一等卒 畑野 澤次郎 東28
明治33年9月
L179 重地 虎次郎 東27
明治33年9月
第三列 L180~199
L180 歩兵二等卒 物部 平吉 東45
明治22年11月
L181 歩兵二等卒 山田 菊松 東46
明治22年12月
L182 ○○○○ 坂 幸治郎 東47
明治22年12月 記事①
L183 歩兵一等銃卒 仲 亀松 東48
明治29年8月(*19年?)
L184 ○○○○卒 木村 種吉 東49
明治19年8月
L185 歩兵一等銃卒 中村 粂三郎 東50
明治19年8月
L186 歩兵一等銃卒 前田 留吉 東51
明治19年8月
L187 ○○○ 辻本(?)乙松 東52
明治19年10月
L188 ○○○○ 七里 万治郎 東53
明治19年10月
L189 生兵 水川 丑松 東54
明治19年10月
L190 看護卒生兵 小笹 丈之進 東55
明治17年11月 記事①
L191 歩兵二等卒 小島 源次郎 東56
明治17年11月
L192 生兵 中岡 捨吉 東57
明治17年12月
L193 二等看護卒 安場 繁次郎 東58
明治17年12月
L194 歩兵二等卒 小椋 甚太郎 東59
明治17年12月
L195 故生兵 久野 彌三郎 東60
明治18年12月
L196 故歩兵一等卒 川崎(?)増次郎 東61
明治19年4月
L197 歩兵 平川 歌次郎 東62
不明
L198 歩兵二等卒 中村 九市郎 東63
明治16年9月
L199 生兵 梶川 太郎(市) 東64
明治16年9月
4列目 L200~234
L200 二等卒 田中 重太郎 東84
明治13年9月
L201 歩兵二等卒 高橋 佐吉 東83
明治12年8月
L202 歩兵二等卒 九木 由之助 東82
明治15年3月
L203 生兵 永田 春吉 東81
明治15年
L204 生兵 山下 音松 東80
明治15年2月
L205 生兵 小松 正 東66
明治16年10月
L206 生兵 西野 仁吉 東78
明治14年12月
L207 歩兵二等卒 ○○ 吉松 東77
明治14年11月
L208 歩兵二等卒 高田 佐之助 東76
明治14年8月
L209 歩兵上等卒 近藤 安之助 東75
明治15年11月
L210 歩兵二等卒 吉田 友次郎 東74
明治15年11月
L211 歩兵二等卒 ○寺 乙松 東73
明治15年11月
L212 生兵 小林 甚九郎 東72
明治15年9月
L213 歩兵二等卒 和田 専次 東71
明治15年9月
L214 生兵 松本 岩吉 東70
明治15年9月
L215 歩兵二等卒 ○○○○ 東69
明治15年9月
L216 歩兵二等卒 永田 巳之助 東68
明治16年10月
L217 歩兵二等卒 山口 彦太郎 東67
明治16年10月
L218 歩兵二等卒 澤崎 ○○ 東101
明治11年11月
L219 歩兵二等卒 上田 平助 東65
明治16年9月
L220 陸軍二等卒 秋山 亀吉 東79
明治15年1月
L221 歩兵二等卒 ○○之助 東86
明治13年10月
L222 生兵 西口 丈吉 東87
明治13年10月
L223 二等兵卒 馬渕 新吉 東88
明治12年8月
L224 生兵 西出 勇吉 東89
明治12年9月
L225 生兵 原田 國兵 東90
明治12年9月
L226 二等兵卒 春山 由松 東85
明治13年9月
L227 生兵 川﨑 松之助 東93
明治12年10月 記事①
L228 二等兵卒 安澤 利三郎 東91
明治12年9月
L229 二等兵卒 今井 藤松 東95
明治12年8月
L230 生兵 橋爪 佐次郎 東96
明治12年8月 記事① 記事②
L231 二等兵卒 脇谷 榮吉 東97
明治12年8月
L232 二等兵卒 川崎 力之助 東98
明治11年10月 記事①
L233 上等卒 宮崎 伊三郎 東99
明治11年10月
L234 二等卒 堀川 ○次郎 東100
明治11年10月
5列目 L235~237
L235 二等卒 堀田 源七 東102
明治12年1月 記事①
L236 竹村 治三郎 東103
明治42年7月 記事①
L237 二等卒 峯 熊次郎 西134
以上98柱。
Kブロック埋葬者名簿(簡略版)@旧大津陸軍墓地 ― 2010/11/01
旧大津陸軍墓地のKブロックの墓碑名簿(簡略版)
2010年10月にBINが調査して、大津市が保管する名簿を訂正したものです。後日調査される方のために作成しました。生年月日、出身地、入営年月日、など碑文に刻まれている内容などについては、加筆していく予定です。
①K以下の数字は、現在の位置を示す。
②階級名
③氏名
④西以下の数字は、移葬前の当初の位置
⑤死亡年月(日)
以上139柱。
2010年10月にBINが調査して、大津市が保管する名簿を訂正したものです。後日調査される方のために作成しました。生年月日、出身地、入営年月日、など碑文に刻まれている内容などについては、加筆していく予定です。
①K以下の数字は、現在の位置を示す。
②階級名
③氏名
④西以下の数字は、移葬前の当初の位置
⑤死亡年月(日)
○最前列 K001~K017
K001 故陸軍歩兵一等卒 青山 喜代治? 西1
大正10年11月
K002 故陸軍歩兵上等兵 青山 ○之助 西2
大正11年 1月
K003 故陸軍歩兵上等兵 青山 捨吉 西3
大正11年 2月
K004 故陸軍歩兵一等卒 瀬戸 喜蔵 西4
大正13年 4月
K005 陸軍歩兵二等卒 藤井 新蔵 西5
大正 5年 2月
K006 故陸軍歩兵二等卒 川上 重太郎 西6
大正11年12月
K007 故陸軍歩兵二等卒 洞 栄作 西7
大正 7年12月
K008 故陸軍歩兵一等卒 岡川 八郎衛 西8
大正 7年12月
K009 陸軍歩兵●等卒 楓井 嘉吉 西9
明治40年 6月
K010 陸軍歩兵二等卒 佐々木 三次 西10
大正 2年12月
K011 故陸軍歩兵二等卒 伊藤 弥七 西11
大正10年 4月
K012 二等兵卒 市田 與三郎 西12
明治11年10月
K013 故陸軍歩兵二等卒 樋口 一蔵 西13
大正10年 5月
K014 陸軍歩兵一等卒 平田 清七 西14
大正 2年 8月
K015 故陸軍歩兵一等卒 森田 善太郎 西15
大正 2年11月
K016 陸軍歩兵二等卒 南部 岩雄 西16
大正 4年 4月
K017 陸軍歩兵一等卒 松田 ●良次郎 西17
●は漢字ロムにない。「大」の下に「良」と書く
明治40年 6月
○前から二列目 K018~K034
K018 陸軍歩兵一等卒 中野 又太郎 西34
明治38年 5月
K019 陸軍歩兵●●卒 大垣 平八 西33
明治38年 2月
K020 陸軍歩兵二等卒 富島 九平 西32
明治38年 3月
K021 陸軍歩兵二等卒 田中 與三郎 西31
明治36年 3月
K022 (俘虜清人) 汝 恒信 西30
明治27(1894)年11月12日赤痢にて死亡
K023 故陸軍歩兵 高田 芳雄 西29
大正 9年 3月
K024 故陸軍歩兵上等兵 山中 久一郎 西28
大正12年10月
K025 故陸軍歩兵二等兵 田中 ○郎 西27
大正 7年12月
K026 陸軍歩兵上等兵 河合 庄吉 西26
明治40年12月
K027 陸軍歩兵二等卒 馬場 金弥 西25
明治41年 5月
K028 故陸軍歩兵二等卒 磯部 安吉 西24
大正 4年 4月
K029 陸軍歩兵一等卒 高山 藤市郎 西23
明治40年 3月
K030 (俘虜清人) 寶 少春 西22
明治27(1894)年11月11日
K031 陸軍歩兵二等卒 中村 仙重郎 西21
明治42年 4月
K032 陸軍歩兵二等卒 西村 大助 西20
大正 6年 9月
K033 陸軍歩兵二等卒 實柳 庸成 西19
大正 5年 1月
K034 故陸軍歩兵二等卒 井上 友蔵 西18
大正 7年12月
○前から3列目 K035~K051
K035 ○○○○○○ 伊○ 清太郎 西35
明治38年 4月
K036 陸軍歩兵上等兵 松野 無松 西36
明治38年11月
K037 陸軍歩兵二等卒 川瀬 市治郎 西37
明治38年 6月
K038 陸軍歩兵二等卒 杉本 傳吉 西38
明治28年 8月
K039 陸軍歩兵二等卒 林 安之助 西39
明治29年 9月
K040 陸軍歩兵二等卒 福川 寅次郎 西40
明治29年12月
K041 陸軍歩兵一等卒 中村 卯之助 西41
明治29年12月
K042 陸軍歩兵二等卒 前川 俊造 西42
明治30年 2月
K043 陸軍歩兵二等卒 早瀬 栄蔵 西43
明治30年 2月
K044 陸軍歩兵二等卒 宮坂 安次郎 西44
明治30年 5月
K045 陸軍歩兵一等卒 富永 猶吉 西45
明治30年 5月
K046 ○○○○卒 小西 戈治郎 西59
明治21年 3月
K047 生兵 三田村 勝治郎 西93
明治13年11月
K048 二等卒 小田 辰五郎(二行) 西127
明治11年 8月
K049 二等卒 西堀 與惣治郎(二行) 西132
明治11年 9月
K050 二等卒 萩田 庄吉(二行) 西133
明治11年 5月
K051 生兵 永井 七五郎(二行) 西135
不明
○4列目、K052~K068
K052 歩兵二等銃卒 田本 太蔵 西63
明治19年 6月
K053 故歩兵一等卒 宮崎 駒吉 西62
明治19年 5月
K054 歩兵○等卒? 松本 光治郎 西61
明治21年12月
K055 ○○○○○ 福田 金治郎 西60
明治21年 6月
K056 歩兵二等卒? 前田 留次郎 西58
明治20年11月
K057 生兵 大八木 菊之助 西57
明治20年 8月
K058 歩兵一等銃卒 高田 里次郎 西56
明治20年 7月
K059 生兵 石田 重吉 西55
明治20年 6月
K060 歩兵一等銃卒 久野 豊杢 西54
明治20年 3月
K061 歩兵二等卒 田村 政治郎 西53
明治25年??月
K062 歩兵二等卒 岡田 友吉 西52
明治25年 5月
K063 歩兵一等卒 望田 源之助 西51
明治25年12月
K064 歩兵一等卒 山川 仙太郎 西50
明治24年 7月
K065 歩兵二等卒 小林 ○之助 西49
明治24年 6月
K066 歩兵二等卒 竹嶋 鶴松 西48
明治24年 4月
K067 二等卒 泉並 ○(廉)?蔵 西47
明治23年11月
K068 歩兵二等卒 寺島 外吉 西46
明治23年 8月
○前から5列目 K069~K085
K069 歩兵○○卒? 森田 喜次郎 西64
明治19年 6月
K070 歩兵上等兵 西村 岩吉 西65
明治19年 6月
K071 歩兵二等銃卒 坂口 捨吉 西66
明治19年 6月
K072 歩兵○○○卒 三上 松之助 西67
明治29年 6月
K073 歩兵○○銃卒 新谷 宣吉 西68
明治19年 7月
K074 歩兵二等銃卒 増田 ○之助 西69
明治19年 7月
K075 生兵 山下 長松 西70
明治18年11月
K076 歩兵二等卒 西田 戈治郎 西71
明治16年11月
K077 歩兵二等卒 山本 兼松 西72
明治17年11月
K078 歩兵二等卒 安井 伊之助 西73
明治17年 6月
K079 歩兵二等卒 瀧原 定吉 西74
明治17年 7月
K080 喇叭一等卒 田原 仁次郎 西75
明治17年 8月
K081 歩兵二等卒 山元 石之助 西76
明治17年 9月
K082 歩兵二等卒 四方 榮吉 西77
明治16年 4月
K083 歩兵二等卒 早馬 徳次郎 西78
明治15年11月
K084 歩兵二等卒 久保田 留二郎 西79
明治15年 8月
K085 歩兵二等卒 亀井 新二郎 西80
明治15年12月
○6列目 K086~K102
K086 二等卒 村田 斉?五郎 西98
明治14年 1月
K087 歩兵二等卒 望月 新吉 西97
明治12年12月
K088 二等卒 中川 元吉 西96
明治13年11月
K089 歩兵二等卒 瀬尾 ○一郎? 西95
明治13年11月
K090 歩兵二等卒 森 文六 西94
明治13年11月
K091 歩兵上等卒 末 鉄次郎 西92
明治15年 9月 *中折れ
K092 歩兵二等卒 濱地 熊次郎 西91
明治15年 9月
K093 歩兵二等卒 渡邉 久吉 西90
明治14年11月
K094 歩兵二等卒 藤枝 ○次郎 西89
明治15年 8月
K095 歩兵二等卒 中濱 長松 西88
明治15年 8月
K096 歩兵二等卒 仲井 乙吉 西87
明治19年11月
K097 歩兵二等卒 松永 ○○ 西86
明治15年 5月
K098 歩兵二等卒 山野 伊達? 西85
明治17年10月
K099 歩兵二等卒 守谷 丈吉 西84
明治16年 4月
K100 歩兵二等卒 田畑 芳松 西83
明治16年 7月
K101 歩兵二等卒 大中 芳松 西82
明治16年 2月
K102 歩兵一等卒 鈴木 力之助 西81
明治16年 2月
○前から7列目 K103~K116
K103 歩兵二等卒 武智 隆太 西99
明治14年 2月
K104 歩兵一等卒 萬濃 勇吉 西100
明治14年 4月
K105 生兵 脇田 福蔵 西101
明治12年10月
K106 歩兵二等卒 生川 光三郎 西102
明治10年12月
K107 二等兵卒 入山 五郎右衛門 西103
明治13年 1月
K108 二等兵卒 瀧岡 久二郎?? 西104
明治13年10月
K109 生兵 越知 清太郎 西105
明治13年 1月
K110 陸軍歩兵二等卒 南嶋 浅太郎 西106
明治13年 8月 *建て直し?
K111 喇叭二等卒 奥藤 吉五郎 西107
明治11年10月
K112 喇叭?二等卒 黒田 太蔵 西108
明治13年 8月
K113 二等兵卒 田中 藤次郎 西109
明治12年 8月
K114 一等兵卒 奥村 次郎吉 西110
明治12年 8月
K115 陸軍一等兵卒 今西 丑松 西111
明治12年 8月
K116 二等兵卒 松井 音松 西112
明治12年 9月
○8列目 K117~K130
K117 二等卒 山内 新太郎 西126
明治11年10月
K118 二等兵卒 中尾 茂八 西125
明治11年 9月
K119 生兵 竹詰 音之助 西124
明治11年 9月
K120 一等卒 辻 伊助 西123
明治11年 9月
K121 一等兵卒 後藤 音五郎 西122
明治11年 9月
K122 二等兵卒 宍藤 助二 *実藤?西121
明治12年 8月
K123 一等兵卒 福田 音次郎 西120
明治12年 8月
K124 一等兵卒 山口 庄次郎 西119
明治12年 8月
K125 一等卒 望月 直吉 西118
明治12年 8月
K126 一等兵卒 中村 小太郎 西117
明治12年 7月
K127 二等兵卒 加藤 源七 西116
明治12年 1月
K128 歩兵 四方 弁吉 西115
明治12年 4月
K129 二等兵卒 羽田 藤二郎 西114
明治12年 9月
K130 二等兵卒 北井 西113
明治12年 9月
○9列目左から右へ
K131 (階級名なし) 清水 男外吉 東9
明治 5年 4月
K132 (階級名なし) 長谷 吉太郎 東10
明治 5年 6月
K133 (階級名なし) 新畑 周二 東11
明治 5年 7月
K134 (階級名なし) 辻 安次 東12
明治 5年 7月
K135 (階級名なし) 岡田 ○良 東13
明治 5年 8月
K136 二等喇叭卒 鵜飼 万治郎 西128
明治11年 8月
K137 上等卒 伊藤 惣七 西129
明治11年 6月
K138 生兵 生田 亀吉 西130
明治11年 8月
K139 二等卒 栢垣 徳松 西131
明治11年 9月
以上139柱。
旧大津陸軍墓地に眠る兵卒の出身地はどこか(2) ~「近江国神崎郡」出身の雁瀬其三吉の墓碑~ ― 2010/10/30
大津市は滋賀県の県庁所在地。滋賀県出身者の兵卒の墓碑は、どれだけあるものなのか。
「歩兵二等卒雁瀬其三吉墓」(東43=L161)の左側面には、「滋賀縣下近江国神崎郡池田村平民」と刻まれています。とりわけ、「平民」と刻まれているところに関心がわきます。叛乱を起こした「士族」ではないという意味でしょうか。要はプラスのイメージなのか、マイナスのイメージなのか、それともニュートラルか。死亡年月は、明治22年7月。
ちなみに神崎郡は、その大部分(葉枝見村は彦根市)が、現在の東近江市になっています。池田村は、どこなのか、私にはわかりません。 墓石の材質に関心が湧き始めました。同じ年代でも、摩滅が激しい墓碑とそうではない墓碑があります。この墓碑はまだくっきりしているようです。赤っぽい材質ですね。
「歩兵二等卒雁瀬其三吉墓」(東43=L161)の左側面には、「滋賀縣下近江国神崎郡池田村平民」と刻まれています。とりわけ、「平民」と刻まれているところに関心がわきます。叛乱を起こした「士族」ではないという意味でしょうか。要はプラスのイメージなのか、マイナスのイメージなのか、それともニュートラルか。死亡年月は、明治22年7月。
ちなみに神崎郡は、その大部分(葉枝見村は彦根市)が、現在の東近江市になっています。池田村は、どこなのか、私にはわかりません。 墓石の材質に関心が湧き始めました。同じ年代でも、摩滅が激しい墓碑とそうではない墓碑があります。この墓碑はまだくっきりしているようです。赤っぽい材質ですね。
旧大津陸軍墓地に眠る兵卒の出身地はどこか(1) ~「近江国甲賀郡」出身の坂幸治郎の墓碑~ ― 2010/10/30
旧大津陸軍墓地に眠る兵卒は、下段だけで239名。死亡年月は、明治11(1878)年から大正13(1924)年までの47年間に及びます。他の墓地(Fブロック)兵卒(明治8年)を考慮すると、ちょうど50年間の歴史を刻んでいます。
死亡年月の記録は、大津市に保管されている名簿に書かれています。欠落しているのは、兵の履歴です。出身地、生年月日など後代にいくほど、簡略になっていきます。
ここを衛戍地とした旧日本陸軍第九聯隊を例として、徴兵制度などを学ぶためにも、また、この墓地の意味を理解するためにも、出身地がわかることが大事だと考えました。
断片的に紹介していますが、「三重縣」が多く出てきます。これは、どういうことなんでしょうか。その地が第九聯隊に配属される範囲に入っていたのは、わかりますが、とくに三重縣・・・遠いために、自宅で埋葬することが不可能で、大津にある陸軍墓地に埋葬(当時は土葬)することを選んだのでしょうか。
上の写真は、明治22年12月に亡くなった「坂幸治郎」(東47=L182)の墓碑の左側面です。出身地が大きく刻まれています。 「近江国甲賀郡朝宮村」(現在の滋賀県甲賀市)。「宮」という字に自信がもてませんが。
○補足:「朝宮」を「朝国」に訂正します。10月31日。
死亡年月の記録は、大津市に保管されている名簿に書かれています。欠落しているのは、兵の履歴です。出身地、生年月日など後代にいくほど、簡略になっていきます。
ここを衛戍地とした旧日本陸軍第九聯隊を例として、徴兵制度などを学ぶためにも、また、この墓地の意味を理解するためにも、出身地がわかることが大事だと考えました。
断片的に紹介していますが、「三重縣」が多く出てきます。これは、どういうことなんでしょうか。その地が第九聯隊に配属される範囲に入っていたのは、わかりますが、とくに三重縣・・・遠いために、自宅で埋葬することが不可能で、大津にある陸軍墓地に埋葬(当時は土葬)することを選んだのでしょうか。
上の写真は、明治22年12月に亡くなった「坂幸治郎」(東47=L182)の墓碑の左側面です。出身地が大きく刻まれています。 「近江国甲賀郡朝宮村」(現在の滋賀県甲賀市)。「宮」という字に自信がもてませんが。
○補足:「朝宮」を「朝国」に訂正します。10月31日。
「看護兵卒」の墓碑@旧大津陸軍墓地 ― 2010/10/30
旧大津陸軍墓地の下段東側の兵卒の墓地には、「看護兵卒」の墓碑が、(すでに紹介した「看護生兵」の墓碑を含めて)、4柱あります。
上の写真は、明治17(1884)年12月に亡くなった「二等看護卒安場繁次郎之墓」の正面です。こういう墓碑を見てはじめて、そういう人たちの存在に目を向けることになりました。
右側面の写真ですが、摩滅していて読み取ることが困難ですね。冒頭は「三重縣平民伊勢國阿・・・」。途中に「文久三年」という年号が見えます。
大正2年に亡くなった奥村季吉と藤井安太郎の墓碑には、履歴の類は一切なく、死亡年月日が刻まれているだけでした。
上の写真は、明治17(1884)年12月に亡くなった「二等看護卒安場繁次郎之墓」の正面です。こういう墓碑を見てはじめて、そういう人たちの存在に目を向けることになりました。
右側面の写真ですが、摩滅していて読み取ることが困難ですね。冒頭は「三重縣平民伊勢國阿・・・」。途中に「文久三年」という年号が見えます。
旧大津陸軍墓地下段東側の看護卒の墓碑4人ですが、2人づつ死亡年月が重なります。明治17年冬と大正2年の夏に、なにか特別のことがあったのでしょうか。
東58(L193) 二等看護卒 安場繁次郎
明治17年12月没
東55(L190) 看護卒生兵 小笹丈之進
明治17年11月没
東 5(L143) 陸軍二等看護卒 奥村季吉
大正 2年 8月没
東 4(L142) 陸軍二等看護卒 藤井安太郎
大正 2年 8月没
大正2年に亡くなった奥村季吉と藤井安太郎の墓碑には、履歴の類は一切なく、死亡年月日が刻まれているだけでした。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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