お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
日露戦争戦病死者名簿@『戦時事績 滋賀郡膳所町』 ― 2010/12/18
各市町村の『戦時事績』のなかには、人数だけは記されていますが、氏名のないものもあります。『戦時事績 滋賀郡膳所町』(現在の大津市膳所学区)には、日露戦争の戦病死者の氏名などが記されています。いそいでメモしたので不十分な点はあります。
『大津市志』では、冨永東一さんは少尉ではなく、特務曹長になっています。→クリック。
○駒井 松太郎以上のなかで、私が墓碑を確認している方が何名かいます。一気には無理ですが、記入していきます。
陸軍歩兵一等卒
●藤本 清三郎
陸軍歩兵一等卒
明治37年5月26日 金州南山にて戦死
*別保墓地→クリック
●佐々木 松之助
陸軍歩兵上等兵
東鶏冠山北砲台にて戦死
*別保墓地→クリック
○臼杵 重英
陸軍歩兵大尉
明治37年11月8日。清国得利寺にて病歿
○小林 泰蔵
海軍一等水兵 明治37年2月13日。旅順口にて戦死
●冨永 東一
陸軍歩兵少尉
明治37年8月22日。東鶏冠山北砲台にて戦死
*岡山墓地→クリック
●徳大寺 亀一
陸軍歩兵少尉
明治37年8月22日。東鶏冠山北砲台にて戦死
*旧大津陸軍墓地
●鈴木 房吉
陸軍歩兵上等兵
明治38年3月2日。北台子附近にて戦死
*梅香山縁心寺(膳所藩主の菩提寺)。→ここ
○小林 勝次郎
陸軍歩兵一等卒
明治38年3月2日。北台子附近にて戦死
○小林 慶三郎
陸軍歩兵軍曹
明治38年3月4日。来神堡にて戦死
○北脇 藤吉
陸軍歩兵伍長
明治38年4月5日。小貴興堡にて戦死
○国松 藤次郎
陸軍歩兵一等卒
明治38年3月5日。清国馬軍丹附近で戦死
○国松 喜三郎
陸軍歩兵一等卒
明治38年4月6日。大坂予備病院にて病死
●村治 昭
陸軍少尉
明治37年8月22日 東冠山北砲台にて戦死
*旧大津陸軍墓地
○山口 重造
海軍中尉
明治37年12月14日 旅順口にて戦死
『大津市志』では、冨永東一さんは少尉ではなく、特務曹長になっています。→クリック。
コメント
_ MK ― 2010年12月19日 18時06分31秒
モーちゃんが一日も早く元気になりますように。
_ BIN★→MKさん ― 2010年12月21日 00時35分00秒
ありがとうございます。
先日、カミさんが検査に行ってきたら、
数値がほぼ正常に戻ってきたそうです。
ですが、それは、点滴があってのことです。
モーはいつまでこの状態が保てるか
わかりませんが、堂々とした体躯を
ゆらせて家をのし歩いています。
先日、カミさんが検査に行ってきたら、
数値がほぼ正常に戻ってきたそうです。
ですが、それは、点滴があってのことです。
モーはいつまでこの状態が保てるか
わかりませんが、堂々とした体躯を
ゆらせて家をのし歩いています。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)