お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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加藤茂孝『人類と感染症の歴史』(丸善出版2013)を読む2020/06/17

 コロナ・パンデミックのなかで、感染症について知りたくて買ってみた。内容には、衝撃をうけたが、語り口の見事さ(物語的な)に救われた。まだ、こなしきれない。加藤茂孝氏は、国立感染症研究所室長。

マルクス・ガブリエル『資本主義の終わりか、人間の終焉か?未来への大分岐』(集英社新書)2019/12/25

 原発事故や気候変動など終末的な出来事が続いています。それに、コロナが追い打ち。友人のKさんの勧めもあって、マルクス・ガブリエルの話題本を購入しました。タイトルは『資本主義の終わりか、人間の終焉か?未来への大分岐』(集英社新書2019年8月)。

 注目したのは、第五章。「資本主義では環境危機を乗り越えられない」でした。

高村薫 『マークスの山』2011/12/12

 ブログを書かない生活は、ある意味気楽なものでした。リアルの生活の充実ぶりに満足していたこともありますし、ゆとりがなかったこともあります。
 ・・・いずれにしても、ブログからは、平穏に遠ざかっていました。

 偶然ですけれど、昨日ブログを見ると、アクセス数が、一日だけ突出していました。
 ネット世界はときどき理解に苦しむ反応を生みます。
 そういえば、以前も一度だけそういうことがありました。大阪一有名な弁護士政治家をあからさまに非難した記事を書いたときでした。今回は、ブログを放置した状態でした.。ですから、とても不思議に思えました。

 さて、つい先ほど、高村薫の『マークスの山』(早川書房)を読み終えました。私は、小説の展開よりも、そこに描かれている世界に(嫌気がさしながらも)強い関心をもちました。
 ・・・フィクションなのはわかっていても。
 ラストは不満が残りました。無理矢理ストーリーを終結させたように思えたからです。しかし、それも仕方がないことかも知れません。
 「深窓」の人々は現実社会のなかでは、テフロン状態にあります。小説といえども、彼らを誅する解決はありえない。残念ながらリアリティを欠くのだと。・・・現実を変えないかぎり。

中里成章 『パル判事---インド・ナショナリズムと東京裁判』(岩波新書)2011/09/26

中里成章 『パル判事---インド・ナショナリズムと東京裁判』(岩波新書)
 まだ全部を読んだわけではありません。パル判事のことを詳しく知りたいと思っていたタイミングで、この本に出会いました。
 パル判事は東京裁判でA級戦犯被告全員に無罪を主張した判事として知られています。その行動は、いやがおうでも、日本の戦後政治の流れとからみあうことになりました。
 その点について、本書はつぎのように書いています。
 パルと意見書を紹介し広める試みは、1950年代初め、戦前から続く大亜細亜協会や国粋大衆党の人脈の少数の人たちによって始められた。そのおよそ15年後、それは、中央官庁や大学を巻き込みつつ、日本社会の中枢まで浸透し、国民の一定の支持を集め、現在のパル崇拝にいたる展開を可能にする社会的基盤を確保したようにみえる。
 私がパル判事のことを気に留めるようになったのは、霊山官修墓地(京都護国神社)を見学しに行ったときに、パル判事の顕彰碑を見たからです。「パル神話」と無縁だったこともあり、息子のK君に質問されても、簡単にしか答えることができませんでした。

木村紀八郎 『大村益次郎伝』(鳥影社)2011/09/20

木村紀八郎 『大村益次郎伝』(鳥影社)
 司馬遼太郎の『花神』の主人公は大村益次郎。刑事コロンボのように、外見と内容が不一致の主人公に惹かれた。紀伊国屋書店で、木村紀八郎の『大村益次郎伝』を見つけた。なんどか立ち読みしたあと、買うことに決めた。冷静で客観的な筆致が好ましく思えたからだ。著者は防衛大学出身。それはそれで値打ちだと思えた。

児島 襄 『大山巌 第二巻 西南戦争』2011/09/13

 児島 襄の『大山巌』の第二巻を読む。西南戦争が主役であって、大山が主役という記述ではない。司馬遼太郎のような脇話がないのがいい。

『大津の碑』(1961年大津市史編さん室)2011/08/26

「大津の碑」(1961年大津市史編さん室)
 ずっと図書館で参考にしていた『大津の碑』をブックオフで見つけた。出版は1961年だから、ちょうど50年前になる。カラーは一枚もなく、モノクロ写真だけ。類書がないので貴重。持ち歩くにも、ちょうどいい大きさである。
   戦前、昭和16(1941)年に大津市の『碑と塚』が出版されている。時代を反映して、戦争や天皇家関係のものが重視されているが、逆に『大津の碑』では、それらが省略されている。両方があれば、助かるので、戦前のものが見つかればうれしいのだが。
 ともかく中古でラインマーカーの印が入っていても、105円は安い。お得な買い物をした。

 両者については、ここをクリック。

遠藤誉 『ネット大国中国 --言論をめぐる攻防』(岩波新書)2011/08/17

 遠藤誉『ネット大国中国』ともう一冊の本を、新幹線の車中で交互に読み始めました。はじめて知ることが多くありましたが、ネット事情については、日本とも重なるところがあり、いろんな刺激を受けました。
 中国におけるネット世論の形成、リアルの世界での運動との関係など、考えはじめると、この一冊では物足りなくなりました。
 ご推薦の本があれば、よろしくお願いします。

氷川隆夫『夏目漱石と戦争』(平凡社新書)2011/07/03

 氷川隆夫『夏目漱石と戦争』を紀伊国屋で手に取り、まえがきや結びにかえてなどを読んでいたとき、頭に浮かんだのは、ある映像作品でした。フランスのモンサンジョン氏が編集したスビャトスラフ・リヒテルをめぐる作品「Enigma」です。
 去年の秋ごろに、日露戦争の『戦時事績』を手に入れて、読んでいたことは、なんどか書きました。この事績を読み続けるのは苦痛です。当たり前だと思っていても、苦痛です。それは、戦争への無条件的な協力の姿勢に貫かれているからです。出征者の壮行会から始まり、慰問や募金、戦死者の弔いなど濃厚な社会ぐるみの活動が描かれています。もちろん、批判的な人や憤りの声はあったでしょうけれど、この事績からは無視されています。
 その息苦しさにいつもため息をつくのです。
 社会ぐるみの監視体制と人権抑圧という点では、ピアニスト、スビャトスラフ・リヒテル(1945~1997)が生きた環境は、もっとも厳しいものの一つでした。たとえば、生粋のドイツ人である父は、スパイ容疑で処刑され、自らの演奏活動は様々な制約をうけ、監視されつづけました。リヒテルの凄味は、そのような不自由な生活を強いられながらも、「自由」であった点です。政治的な自由は、体制を打破しなければ得ることはできないでしょう。私は、そういうことを意味しているのではないのです。
 力では屈服させることのできない心の働きのようなものがいいたいのです。むき出しの暴力を目に前にして、また社会全体を覆い尽くす集団的な熱狂に抗して、「自由」であることは容易なことではありません。
 氷川隆夫氏の本を読んだとき、感じたのは、この「自由」の感覚でした。いかえれば、強まる国家主義のなかでそれと対決し、戦い続けた人がいることの救いでした。
  日清戦争、日露戦争以降の時代は、つねに戦争をしていて、治安維持法をはじめ国民への圧政で特徴づけられる暗い時代という印象を私はもっています。そういう時代に、漱石は、どのように生きたのか、著者が描きだす姿に興味津々です。

大江健三郎 『遅れてきた青年』(1960~61)2011/05/11

著者の大江健三郎氏は、文庫本化するときに
「《遅れてきた青年》とぼく自身」という文章を寄せていました。

『いま1970年代の青年にむけて、
この文庫版を刊行しようとしながら、
ぼくが新しく意識するのは、
かれらの想像力の前面に、
1945年夏の少年が立つのみならず、
1960年の、ひとりの作家としてのぼくもまた、
そこに証人のように喚問される、
という感覚にほかならない。』

私がこの小説をはじめて読んだのは、
1970年代のことでした。
肌に粘り着くような文章は、
意気揚々と社会に向かおうとしていた私には
わずらわしく、嫌悪感さえ覚えるほどでした。

1945年は、もはや遠い時代になっていたのです。

私がいま手にとっている文庫本は、
茶色に焼けていて、しかも、細かい字がびっしりです。
敗戦と同じように、大震災も、
大きな傷跡と転機をもたらす「大洪水」。
それがこの本を再び手に取らせた理由です。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)