お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「昭和十九年七月十八日於マリヤナ島方面戦死」 ― 2011/08/12
「昭和十九年七月十八日於マリヤナ島方面戦死」---戦死した場所に「方面」がついていることに違和感があります。しかし、東日本大震災のとき、津波にのまれた人たちのすべて見つかっているわけでもありません。どこで、どうして最後を迎えたのかも、わからない状態は、痛ましい限りです。日付も不安が残ります。ましてや、遺骨は帰ってきていないことでしょう。
コメント
_ たろう ― 2011年08月17日 00時59分39秒
うちの爺さんも除籍謄本に「昭和十九年七月十八日午後三時マリヤナ島方面にて戦死」とあります。サイパン島玉砕を大本営が発表した日です。
_ BIN★→たろうさん ― 2011年08月17日 12時09分08秒
コメントありがとうございます。
除籍謄本・・・ですか。
そういうものに、戦死年月日と戦死場所が記載されているのですね。
おじいさんの冥福を祈ります。
今後とも、よろしくお願いします。
除籍謄本・・・ですか。
そういうものに、戦死年月日と戦死場所が記載されているのですね。
おじいさんの冥福を祈ります。
今後とも、よろしくお願いします。
_ たろう ― 2011年08月17日 14時48分30秒
そうなんですね。遺族にはその情報しか伝えられてない。
39歳で召集されてるのに。
兵籍簿を確認すると、最後の行に
「六月七日サイパン港上陸七月十八日同島に於て戦死」
とありました。でも兵籍簿なんて一般の人は知らないですね。
39歳で召集されてるのに。
兵籍簿を確認すると、最後の行に
「六月七日サイパン港上陸七月十八日同島に於て戦死」
とありました。でも兵籍簿なんて一般の人は知らないですね。
_ BIN★→たろうさん ― 2011年08月17日 15時57分24秒
重ねてのコメントありがとうございます。
「除籍謄本」もはじめて聞く言葉でしたが、
「兵籍簿」もまた、はじめてです。
名前から推察しますが、陸軍が所有する軍隊履歴書ですね。
海軍のものは、たぶんこれだと思いますが↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/06/11/4357450
陸軍のものは見たことがありません。
興味を惹かれたので、ネットで検索してみました。
「兵籍簿」は、現在でも閲覧できるそうですが、
身内に資格が限定されているようですね。
・・・都道府県がもっているとか。
拝見できる機会があれば、うれしく思います。
「除籍謄本」もはじめて聞く言葉でしたが、
「兵籍簿」もまた、はじめてです。
名前から推察しますが、陸軍が所有する軍隊履歴書ですね。
海軍のものは、たぶんこれだと思いますが↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/06/11/4357450
陸軍のものは見たことがありません。
興味を惹かれたので、ネットで検索してみました。
「兵籍簿」は、現在でも閲覧できるそうですが、
身内に資格が限定されているようですね。
・・・都道府県がもっているとか。
拝見できる機会があれば、うれしく思います。
_ たろう ― 2011年08月18日 08時29分40秒
兵籍簿は、まあ、賞罰から特業、参加作戦から階級の履歴まで、個人情報のかたまりですからね。個人が携帯してる軍隊手帳にも同様の事が記されるのだけど、戦死者は戦場で失われてることが多いし。都道府県や役所によって閲覧できる関係に温度差があるようです。ちなみに大阪府は直系の孫までが可。陸軍は終戦時の籍のあった都道府ー県が、海軍は厚生労働省が持っているようです。
_ BIN★→たろうさん ― 2011年08月18日 09時55分48秒
大変、参考になりました。
墓碑の碑文と陸軍の文献をたよりに、それぞれの戦死者・戦病死者の最後の様子を求めてきました。どこかで書きましたが、それがいいことなのか、どうなのか、判断がつきかねる場合も多々ありました。生還した方々も、口が重く、戦後60年以上を経てはじめて、息子に事実を語ったということはざらにあると聞いています。
シベリアに抑留されていたと思っていた父親が実は、ヨーロッパロシアに抑留されていたとか、中国戦線に投入されそこで戦死と報告があった縁者の名前が偶然サイパンの慰霊碑のなかに発見したとかでした。どこにどの兵(軍団)を投入するのか、などは、それぞれの軍の機密事項として扱われたためでしょう。そのために、最後の姿がたどれない遺族がいらっしゃるというのは、戦争のもつ残酷さをあらわしていると思います。
墓碑の碑文と陸軍の文献をたよりに、それぞれの戦死者・戦病死者の最後の様子を求めてきました。どこかで書きましたが、それがいいことなのか、どうなのか、判断がつきかねる場合も多々ありました。生還した方々も、口が重く、戦後60年以上を経てはじめて、息子に事実を語ったということはざらにあると聞いています。
シベリアに抑留されていたと思っていた父親が実は、ヨーロッパロシアに抑留されていたとか、中国戦線に投入されそこで戦死と報告があった縁者の名前が偶然サイパンの慰霊碑のなかに発見したとかでした。どこにどの兵(軍団)を投入するのか、などは、それぞれの軍の機密事項として扱われたためでしょう。そのために、最後の姿がたどれない遺族がいらっしゃるというのは、戦争のもつ残酷さをあらわしていると思います。
_ 寺本 ― 2017年04月14日 14時55分42秒
こんにちは、始めまして。私の伯父(父の兄)は陸軍で、同じ1944年にマリアナ諸島で戦死しました。戸籍には「テニヤン」で死亡とあり、戦死日は他の方がご指摘のように、テニアンとグアムの玉砕という大本営発表があった日になっています。叔父の連隊に限らず、グアムやサイパンやロタにも分散配置されていましたし、海上輸送中に魚雷等で沈められた船もあるため、本当は何月何日に、どこで戦死したのか分かりません。親の話では、骨壺には石が一つ、入っているだけだそうです。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)